Fragile

シティーハンターの二次小説を書いております。

Entries

はじめまして、でございます。

サバ猫と申します。
最近(2015年10月頃?)から、突然CHの中毒になりました。

かつて、アニメをテレビで見ていたくらいで原作は未読。
ドラマをやるというので、どんなんだっけ? と調べだしたら、なぜだか止まらなくなりました。
二次創作の皆様の作品を読み漁り、原作を大人買いして、今やどっぷりです。

読むだけでは飽き足らず、ついに自分でも書き始めてしまいました。
Pixivという投稿サイトで人様に読んでいただいたり、感想いただいたりして、ありがたさに涙目になりながら、自分の誤字脱字の多さに、さらに涙。
もうちょっと整理しようと、プログにすることにいたしました。

作品紹介を書きました。多過ぎて何を読んだらわからない! って方はこちらを覗いてみてください。
  ↓↓
「作品の簡単なご紹介」


##### 2016.8.12 追記 #####

当ブログのお話を年表に整理してみました。
こちらでご覧になれます。

##### 追記ここまで #####




##### 2016.6.27 追記 #####

書き始めたことろは、CHに派閥(?)があることを知りませんでした。
最近になりまして、私は根っからのサエバスキーであることが判明しましたので、追記いたします。
香あっての冴羽獠、というスタンスです。

当ブログでは、原作後と2016年の年齢を経た二人を創作しておりまして、小品もすべてこの世界観と時間軸の中で書いております。
子供まで作ってしまっておりますので、苦手な方はご注意ください。

##### 追記 ここまで#####


2016.4.22 リクエストについて追記しました。
2016.5.27 変更しました。


ご訪問いただいている皆様へ

ブログ開設しまして、1ヶ月半立ちました。
2016.4.20に1000パチ目をいただきまして、嬉しいコメントをいただきました。
感想をいただけると、妄想がさらに膨らみます!
憚りながら、キリ番リクを受け付けますので、パチとかカウンターで、これってキリよくね? と思われた方は、お話をリクエストしていただいてOKです。コメントとかメールでどうぞ!
ゾロ目とか連番みたいなのでも、個人的に「キリ」と思われたら、それで自己申告で。

ですが、以下、ご配慮ください。

・リクエスト内容は、当ブログの基本の二人の設定に読み替えさせて頂きます。(92年に結婚、98年に双子誕生、これは変更できません。)
・CH原作キャラならどのカップリングでもOKです。超脇役でも大丈夫です。
ですが、
・リョウちゃんが香以外とか、香がリョウちゃん以外はムリです。瞬間的にも書けませぬ!
・直接性描写もムリです。
ただし、
・パラレルのご要望はOKです。簡単な設定をいただけるので大丈夫です。
そして、
・AHはサバ猫的には存在しておりませんので、ご了承くださいorz

基本的には長編が好きなので(というか、気の利いたSSが書ける気がしない)、無駄に長いものになるかもしれませんが、喜んで書きます。
自分で書きたい連載の途中は、お時間を少々いただくかもしれませんが、ご了承ください。

###追記ここまで###





Attention!!
当ブログは、PCビューを推奨いたします。スマホ、ガラケーでも見にくい等ございましたら、ご連絡いただけまいさらできる限り対応いたしますが、私の環境的に難しいこともありますので、対応しきれないことがございます。申し訳ございません。

*原作者様とは当然ながらまったく関係がございません。
*原作イメージを大事にされている方には、閲覧をお勧めいたしません。
*当ブログの内容につきましては、作者、つまりサバ猫の想像の産物であり、完全なるフィクションです。
*誹謗中傷は小心者なので受け付けません。
*感想や励ましをいただけると、飛んで喜びます。
*一度、Pixivに投稿したものを、加筆・修正したものを基本的に上げて行く予定です(当面の方針です)。
 書く楽しさを投稿サイトで教えていただいたので、そちらのご縁をまずは大事にしたいと思っています。
*絵心はゼロですので、テキストオンリーでございます。
*原作からかけ離れたものは、能力的に書けないと思います。
*R指定が必要なものは、自分の能力を超えておりますので、書く予定はございません。

*AHについては、少しは読みましたが、今のところ設定が受け入れがたい人間です(スミマセン)。
*漢字表記が問題のリョウについては、当面はカタカナで表記いたします。
*基本的に、「リョウはかっこいい」と脳内で変換フィルタが働いている人間です。
*リョウと香の幸せを心から願っているので、悲しいお話も書けないと思います。

*コピー&ペーストはご遠慮ください。

これくらい、お断りしておけば大丈夫でしょうか?
ご助言いただけましたら、嬉しいです。

ありがたくも、当ブログにリンクいただく場合は、CH二次創作関連サイト様でしたら、リンクフリーです。
ご連絡には及びません。
これから素敵サイト様のリンクを作りますので、ご挨拶に伺うこともあるかと思います。
よろしくお願いいたします。


サイト名:Fragile
サイト管理者:サバ猫
URL: http://sabanekosan.blog.fc2.com/

                    2016.3.11 サバ猫 拝
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*CommentList

作品の簡単なご紹介

このサイトの作品たち(簡単なご紹介)
*作品が増えてきましたので、どれ読んだらいいの? って方にご案内を書いてみました。

「すべてはその一杯から」(長編/オムニバス/完結)
当サイトの基本となっている作品。すべての原点がここに。
冴子嬢の「三角関係」発言がどうしても受け入れられずに、原作初期を少々ねつ造し、「奥多摩後」の二人の物語を書きました。少しずつ寄り添う二人。その原点を一本の線でつなぐのは、槇村秀幸と冴子の想い出のバーと、そこで振る舞われた一杯のカクテル。そのカクテルはやがて、リョウと香の特別な一杯に-----


幕間ー「すべてはその一杯から」(中編2編/完結)
リョウと香の祝宴と、大切な大切な人との再会の物語。「すべてはその一杯から」からこぼれ落ちたお話です。


終幕ー「すべてはその一杯から」(中編1編/完結)
あらたな始まりの物語。様々な出会いと別れが冴羽リョウという男を形作った。香と新たな一歩を踏み出そうとする、その最初の一歩の物語。


「My Best Buddy」 (長編/完結)
リョウと香の子供たちは、2016年春、大学進学を控えていた。そこに呼び込まれた事件とはーーー全41話。
「もしもリョウと香が年齢を重ねていったら、こんな二人になっているかも」と、妄想を膨らまさせた物語。ダンディなリョウが国家を巻き込む大掛かりな事件を鋭く解決!
”お前こそ、オレの生涯最高のパートナーだ” ーMy Best Buddy……


「霧を超えて」(長編/完結)
子供が欲しいと言い出せない香、子供を持とうと決断できないリョウ。お互いを深く思いやりすぎる二人は、少しずつすれ違いはじめる。依頼遂行の過程で、香はリョウのもとを離れる決断をする。リョウは策略に巻き込まれ姿を消した。二人の運命は、まさにいま霧の中を進むーーー全29話。
”二度と銃口を人に向けるな。約束してくれ”ーーーリョウの想いは香に届くのか!?


「君に、愛を」(中編/完結)
1960年前後の京都と1997年の東京、この時空を結ぶものは? 二組の夫婦の愛情物語。
”私たちが息子に注いでやれなかった全ての愛を、君に託そう”……全11話。


キリリク作品(中編5編/完結)
リョウのドタバタコメディを含む中編たち。家族旅行に出かけたりもして、かなり自由です。二世たちのお話も。


花言葉のお題(1)(2)(お題コンプリート)
リョウと香の様々な時間を切り取ったショートストーリー。
「すべてはその一杯から」〜「My Best Buddy」のどこかの二人。双子も登場します!


「幼なじみの恋」(中編/連載停滞中)
リョウと香の長女槇村藍、ミック・エンジェルと名取かずえの長男ラルフ・エンジェル、二人は4歳年の差のある幼なじみ。
ラルフは藍の父親に怯えながらも、藍への愛を誓っている。二人の恋の行く末は!?


「色彩の美女」ー100のお題(更新中)
色にまつわるお話を100題。設定自由でいろいろな獠と香を描いています。
”phenomenon”と題して、「こんな奥多摩後のストーリーもあるかも」な物語を。恋をして、結ばれた後に襲い来る不安と、それに乗じるように何者かの襲撃にあい、凶弾に倒れた冴羽獠。寄り添う香は、獠の愛の大きさを知るーーー。


「新宿島物語」(パラレル長編/完結)
とある絶滅危惧種の保護活動に情熱を燃やす、生態学者冴羽獠の物語。他人を拒絶し、理想に生きようとする頑な心を癒すのは、一人の女学生だったーーー。全51話。
”愛を求める女を愛そうと思ったこともないし愛したこともない。だが、そんな女たちとはまったく違う槇村香。香はおのれを追いかけている。だがそれは、愛されたいからではないのだ。ただ、俺の側にいたいと言ってくれる。それは・・・それは、香が自分を無条件に愛してくれているからなのだろう?”
やがて開かれる心、未来へつながる物語へ。




自己紹介的に書いてみた。【同人サイト管理人に30の質問】

1.まずはあなたのH.N.をどうぞ。

サバ猫 と申します。サバ色の猫です。

2.サイト名は何ですか? 由来などもありましたら。

Fragile 壊れやすいモノという意味です。由来? なんとなくです。


3.サイトの開設日はいつですか?

2016.3.11 5年前の震災に追悼したのち、唐突に開設を思い立ちました。

4.あなたがサイトで扱っているジャンルはなんですか?

北条司先生の「シティーハンター」の二次創作(小説)です。

5.そのジャンルで扱っているコンテンツは? (ex.小説、イラスト)

小説オンリーです。絵心はゼロです。てか、たぶんマイナス行ってます。

6.作品について。 カップリングにはどのようなものがありますか?

リョウ*香 です。でも、原作登場人物は誰でも書けると思ってます。

7.作品について。 一番贔屓にしているキャラは誰ですか?

もちろん、リョウちゃんです。

8.作品について。 傾向は? (ex.ほのぼの、シリアス)

シリアス書きたいけど、書けない。ほのぼのはちょっと難しいかも。
いろいろ書いてみたいです。

9.作品について。 年齢制限はありますか?

まったくございません。
書いてる人間の精神年齢が低いので。。

10. 作品について。 書く(描く)上で気にかけていることは?

丁寧に書くこと。
愛を忘れないこと。

11. 作品について。 これからどんなものを書いて(描いて)みたいですか?

パラレルを書きたいという野望が。難しいと思うけれど。

12. あなたのサイトのイチ押し作品は?

おすすめできるものが書けるよう、頑張ります!

2017.2.14変更
君に、愛を。
パラレル的要素を含みながら、リョウの生い立ちをねつ造したという作品です。自分の書き方の一つのスタイルが、これで確立しました。
2016.5.9変更
ポーカーフェイス これが原点かと思います。

同窓会 は私自身とても楽しんで描いた作品で、好評のようです。


13. 更新予想頻度を教えてください。(不定期なら不定期と)

不定期です。週一くらいを目標、かな。

14. 今後のサイト運営方針は?(野望など)

とりあえず、続けること!

15. あなたの性別は?

男脳女脳で調べたら、男70%女30%でした。
一応、Femaleです。   

16. あなたの血液型は? それと同じキャラは思い当たりますか?

A型 キャラ? わかりません。

17. あなたの誕生日は? それと同じキャラはいますか?

8月19日 
ココ・シャネル、
9代目松本幸四郎(お誕生日にミュージカルを見にいったら、盛大に祝われて自分も嬉しくなったことがあります。)

18. 年齢、職業など、差し支えのない範囲で。

年齢は干支は3回以上は確実にまわってるってことで。
職業は、めっちゃ理系の技術系です。頭の中も、バリバリの理系です、と思ってます。


19. 出身地、活動範囲はどの辺ですか?

コスモポリタンということで。

20. 似ていると言われるキャラは? (顔でも性格でも)

ジブリに登場する5歳児くらいのキャラは、すべからく私をモデルにしていると思っております。

21. 好きなものを5つあげてみてください。(何でもいいです)
   
ワイン、猫、サッカー、自由、あとひとつ? わからん。。

22. 嫌いなものを5つあげてみてください。

人の噂話、自分勝手な人、使いっぱなしで放置されたコーヒーカップ、開けっ放しの引き出し、あと一つ? 特になし!

23. ハマりやすいキャラのタイプは?(萌ポイント)

ハードボイルド
アニメだと声がいいと、結構すぐはまる。声フェチです。


24. サイトで扱っているジャンル以外で話が通じるのは?

攻殻機動隊 特にアニメ版。神作品だと思ってます。タチコマのファンです。
鬼平犯科帳 鬼平は理想の上司。こんな人の下で仕事したい。
名探偵ポアロ 声はもちろん熊倉一雄さんで。灰色の脳細胞です。
十二国記 ファンタジーとかそんな枠はとっくに飛び越えた、傑作だと思ってます。


25. あなたのパソコン歴は?

Windows95から使ってます。


26. あなたのオタク歴は?

オタクなのでしょうか? だとしたら人生のほとんどだと思う。

27. 同人世界に足を突っ込んだキッカケは?

突っ込んだのでしょうか? ただ、書きたかったのです。

28. オタク関係以外の趣味は?

サッカー観戦 某J1チームの熱心なサポーターです。
スキー 下手の横好き。位置重力を弄ぶ感が好き。休憩にゲレンデでビール! これが最高です。
読書 乱読です。
DVD鑑賞 マニアックな映画が好き。

29 休日の過ごし方はどのようなものですか?

サッカー観戦 試合ある限り、できる限り参戦。忙しいです。
旅行 サッカー観戦かねていくことも多い。
温泉 秘湯巡り。そのうち温泉ソムリエをとりたい。
庭いじり ベニシアさんの庭を目標に、頑張ってます。
家庭菜園 おもに夏専門。野菜を育てるのは喜びです。
猫の世話 綺麗な猫と長年暮らしています。歳とって、いろいろと大変…。

30 最後に、読んでくれている人に愛の一言をどうぞ。

よろしくお願いいたします!



お題配布元
Tip Tap Toudie 第二基地(T×3第二基地)

作品年表 −ご参考に。

リョウと香の物語り;簡単な年表

tips


年代
物語りのタイトル
tips
1960年君に、愛を。リョウの両親の物語。
1997年の獠と香とリンクしていきます。
1985年
3月
ポーカーフェイス槇村秀幸との出会い。香との出会いの物語りを。
(1993年から回想)
1987年
晩秋
戸惑う心リョウと香、そして冴子の思いを。
1992年初夏空木花言葉のお題からー秘めたる恋
2012年彼岸花花言葉のお題で、槇兄のお墓参りの一コマを
1992年冬近付く二人「死なせやしないよ」の後日談。
1992年1月山葵花言葉のお題で、初めての朝を。
1992年2月スノードロップ花言葉のお題からー初恋のため息
1992年2月竜胆ちょっと弱気な獠を、花言葉のお題に寄せて。
1992年3月蒲公英花言葉のお題に寄せて、リョウの決意を。
1992年
初春
咲き誇る花リョウの重大を決断を。
1992年
初春
スイートピー花言葉のお題から二人の甘いひと時を。
1992年
2月
スノードロップ親友に追求されて赤面する香を、花言葉のお題のよせて。
1992年春それぞれの時刻(とき)恋が実る時、失う時を。
1992年春祝宴仲間達に見守れて。
1994年カモミール花言葉のお題によせて、獠と香の些細な喧嘩と仲直りのお話を。
1993年
新春
再会この人に、再び会わなければ二人の物語りは進みません。
1993年春解き放たれる闇一つの伝説の誕生? カクテルXYZのもう一つの物語り
1993年
初夏
邂逅多くの出会いと、そして未来へつながる物語り。
1993年
初夏
紫陽花花言葉のお題によせて、ミックの回想を。
1993年
晩秋
長編;「霧を超えてリョウと香の微妙なすれ違いを。
1994年オンシジウム花言葉のお題によせて、獠と香の映画のような日常の一コマを。
1997年君に、愛を。双子誕生の物語。
1998年
5月
金瘡小草二人の子供の名付けの物語りを、花言葉のお題によせて。
1998年
5月
布袋葵花言葉のお題で、出産間近の香を気遣うリョウを。
1998年
晩夏
新宿に戻る香を出迎えるリョウの想いを、花言葉にお題で。
1999年
3月
鷺草花言葉のお題で、比翼の鳥の二人を。
2002年5月花菖蒲花言葉ー嬉しい知らせ。獠の子育て日記?
2002年鳳仙花花言葉のお題によせて、孤独なリョウとその癒しを。
2002年ローズマリー花言葉のお題によせて、獠の追憶を。
2003年
8月
花火冴羽一家の初めての家族旅行。
2004年同窓会香を渋々同窓会に送り出したリョウが,散々な目に
2005麦藁菊リョウの過去と現在を、花言葉のお題によせて。
2006年リョウの授業参観?
マダム香の危険な午後!!
なんとしても授業参観に行きたいリョウ、ちょっと壊れてます。
2008年牛蒡花言葉のお題より。藍が猫を拾いました。
2012年パイナップル花言葉のお題から、スイーパー一家の午後の過ごし方?
2016年
3月
リョウのお誕生日に寄せて
2016年
3-4月
長編「My Best Buddy円熟した二人の物語り。長編ミステリーです。
2016年
7月
槇村秀のとある一日リョウと香の息子のとある一日を。
2016年夏藍とラルフの恋愛講座?
恋のレッスンは物理学とともに!
二人の娘とミックの長男の恋愛講座。
二人の恋の行方はいかに??
2021年頃七夕の出会い運命の人と出会う槇村秀の物語り(献上品)。今の所公開予定無し。




<番外>
獠と香のパラレルストーリー(長編)
新宿島物語」(pixivにて連載中

花火

#昨年書きました花火の、後日談でございます。
昨年書いておりまして、眠っていたものです。
当ブログのデフォルトの獠と香。双子に恵まれて数年後のお話です。苦手な方はお控えを.....



ーーーーーーー

夏の終わりが近付いている。
香は買い物袋を下げて、いつもの公園を通り過ぎた。頭上から聞こえるカナカナというヒグラシの鳴き声に、思わず足をとめた。

ーーー新宿御苑では聞くけれど、こんなところにもヒグラシがいるなんて・・・

空を見上げると、東の空に積乱雲がモクモクと湧いている。一雨来るかもしれない、香はそう思いアパートへ帰る足を速めた。

「ただいま」

香はリビングに声をかけて、キッチンで買い物袋を置いた。藍と秀がかけてきて、おかえりなさいと香にまとわりついた。ついひと月前に6歳の誕生日を迎えた、可愛いさかりの子供たちだ。リョウが二人を追いかけて、ゆっくりとした足取りで顔を覗かせた。

「おかえり」

そう言うと、すっと香に近付いて腰に手を回して軽く抱き寄せると、触れるだけのキスを落とした。

「さっきミックから電話があったんだ」
「それで?」
「うちの屋上で、今晩花火をやらないかって。大量に余ってるらしいんだ。それに、そろそろラルフの学校も始まるからって」
「それでなんて答えたの?」
「香に聞いてみるって返事しといた」

香はリョウの腕をほどくと、買い物袋をあけて食材をテーブルに並べ始めた。

「構わないけど、私に聞くなんて珍しいじゃない。いつも勝手に決めちゃうくせに」
「まぁね。もう一つおまけがあるんだ」
「なに?」
「浴衣」
「そんな単語ひとつじゃわかんないよ。サボらないで」

香は苦笑してみせた。

「あっちは浴衣で来るって話だ。うちもそうするか?」
「あら、いいじゃない」

今年の夏、リョウのところもミックのところも、呉服商であるかずえの祖母の計らいで浴衣を誂えていたのだった。この浴衣を着て、家族で花火大会を見たのも香にはまだ鮮明な記憶だった。丁寧に香が手洗いして、ちゃんとしまってある。

「じゃぁ、 OKだって連絡するよ」
「待って。でもさっき空を見たら、夕立が来るかもって感じがした」
「夕立ならすぐにすぐ止むさ。時間は? 夕食後すぐでいいか?」

香は時計を見た。

「8時くらいかな」

リョウはひらりと手を振って、リビングに戻った。電話を使っている声が、遠くに聞こえる。香は買ってきた食材を冷蔵庫にしまい、代わりに必用なものを取り出して手早く夕食の準備を始めた。

「藍に秀、今夜は花火だよ」

香がそう二人に声をかけると、キャッキャと喜んでいる。二人とも花火が好きで、この夏の間、何度か屋上で花火を楽しんだのだ。

急に窓の外が暗くなり、ポツリポツリと雨が落ち始めた。
リョウがキッチンに顔を出して、雨が降り始めたと伝えにきた。そのままダイニングテーブルに腰掛けて、料理をする香の後ろ姿を眺める。

「はなび、できないの?」

秀がリョウを見上げて言う。

「すぐに止むから、大丈夫だ」

言っている側から、ピカリと窓の外が明るくなって、ゴロゴロと小さく雷が鳴り響いた。雨足が急に強くなったのが、窓を叩く雨粒で分かる。包丁を使っている香の手が一瞬止るが、気を取り直したように再びリズムを取り戻した。リョウは冷蔵庫から麦茶を出して、無造作な手つきでグラスに注いだ。
やがて地鳴りのような音が響き、またピカリと窓が光った。途端にズドンという激しい音が轟き、香は再び包丁をまな板の上2cmのところで止めた。

リョウは麦茶を一気に飲み干すと、椅子から立ち上がって香の右後ろに立って、包丁を香の手から取り上げた。

「みじん切りでいいのか?」

リョウはそっと香を押しやると、タマネギを刻み始めた。
土砂降りの雨と雷・・・香は時折、こうやって反応する。特に、今のような逢う魔が時にはーーー。

「リョウ、大丈夫よ」

香は小さな声でそう答えた。

「無理をするな。秀と藍も心配している」

見ると、小さな双子は手をつないで香を見あげているのだ。香は二人の前に膝をついて、そっと抱きしめた。
ーーーこんなにも幸せなのに。思い出すと悲しくなるのはなぜ?
香は長年、雨の日が苦手だ。特に今日のように地面に叩き付けるような雨は、実際には見てはいないはずなのに、兄・秀幸の血を暗いアスファルトに押し流していく幻影を見る。
ーーーアニキ…私は幸せだよ。アニキにも、こんなに幸せに暮らしている私を、見て欲しかった。
香は我が子を抱く腕に力を込めた。

「おかあさん、カミナリこわいの?」

秀が問いかける。

「・・・怖く、ないよ。少し悲しいだけ」

香は腕をほどいた。

「かなしいの?」

秀がつぶらな瞳で香を見つめている。隣の藍の瞳は、不安で揺れていた。

「秀と藍がいてくれるから、今は嬉しい」

香は二人の髪を撫でた。

「あいは、かみなりこわくないよ」
「ぼくもこわくない」

ふたりは競い合うように言う。香はもう一度二人を抱きしめた。

「ふたりとも、すごいね。ご飯もうすぐだから、椅子にすわってられる?」

二人は満面の笑みで頷いた。香は立ち上がって、リョウの隣に立った。見ると、タマネギのみじん切りが小山をなしている。

「リョウ・・・ちょっとやりすぎ」

そう言いながらもリョウの手は止らない。

「そうか? 冷凍しとけばいいさ」
「・・・ありがとう」
「なにが?」

香はリョウの左腕に右腕を絡めた。

「ちょっ、危ないから。刃物もってるんだぞ」

そう苦笑しながらリョウは包丁をまな板の上に置いた。香はぐっとリョウの腕を自分のほうに引っ張って、少し背伸びして体制を崩しかけたリョウの頬にキスをした。
ーーー分かってるくせに、何も言わないリョウが、好き。

リョウは体制を立て直して、香の腰を抱き寄せ、二人は真正面に向き合った。

「香、ほっぺもいいけど、オレはどっちかというと、もっとお熱いのが好きだ」

そう言って、香に深く口付けた。ダイニングテーブルにお行儀よく座っている二人は、足をぶらぶらさせながら、そんな両親をまん丸な目で見つめている。二人にとって、これはもう日常の出来事過ぎて、すっかり見慣れてしまっているのだった。


***


4人で食事を終える頃には、雨はすっかり上がっていた。

「食器はオレが洗ってやるから、香は秀と藍の支度をやってやれ」

リョウは食べ終わった食器を次々にシンクに運びながら、香に声をかけた。冴羽リョウは、家に来客があるときは見事な亭主関白ぶりを発揮するのだが、その実、こまめに家のことは手伝うのだ。双子を育てるのは、覚悟していたことだったが何もかも2倍でーーー二人は1倍がどの程度かは分からないのだが、香にかかる負担は大きかった。ヘトヘトになっている姿を見て、ふんぞり返っていられるリョウではないのだ。自然、リョウは家のことは大抵はやるようになった。もともと器用なので、やろうと思えばできないものなどない男だ。香は香で、一度に二人も授かって、大変さは2倍かもしれないけど喜びは4倍なのだと、いつも笑顔を忘れない。この家は、香の笑顔で保っているとリョウは思う。香が悲しくなれば、子供たちは不安になる。そういう連鎖なのだ。

ーーー槇村よ。土砂降りの雨の日なんかじゃなくて、もっと違う時に現れてくれ。香が、悲しむ。

リョウは皿を洗いながら、そんなことを思う。
香が時折、槇村の死んだ日を想い出すのは、リョウはよくわかる。自分とて、同じようなものなのだ。そしてふと思う。こんな日に花火とは、また好都合な。
ーーーあとでミックと盛大に花火をやるよ。盆が終わってとっくにそっちにいっちまってるんだろうが、今日だけはなんとかお前も来い。そしたら香の記憶がきっと上書きされるだろう。美しい記憶を、香にやってくれ、頼む。

リョウはバカげたことをと思いながら、なんとなく槇村に自分の声が届いた気がするのだった。濡れた手をタオルで拭いて、リビングに向かうと秀と藍の浴衣の着付けが終わったところだった。藍は髪を結んでと香に甘えている。

「香、お前も支度を。着付けてやる」

藍の髪を梳いてゴムでまとめている香は、リョウを見ずに返事をした。

「もう自分でできるから、大丈夫よ」
「だから、お前が自分でやると絶対着崩れるから」
「ちょっとぐらいいいじゃない。ミックもかずえさんも身内なんだし」

そう言って、立ち上がった。リョウはすかさず近寄って、香の耳元に口を寄せる。

「ダメだ。着崩れないように完璧にオレがする。あっちは呉服屋育ちだぞ。いいかげんはダメだ」
「堅苦しいのね・・・そんなにミックに負けたくないの?」
「当たり前だろうが」

リョウはニヤリと笑ってみせた。香は小さくため息をついた。
香は実は、リョウに浴衣を着付けられるのが、なんだかとても恥ずかしいのだった。普段のどんな表情とも違う真剣な眼差しで、微妙な力加減と繊細な指使いで襟元やお端折を直されていくと、素肌に直に触れられるよりも何か淫靡な気分になるというのは、絶対に内緒にしておかなければと香は思っている。帯を結び終わった後に、ほうとため息をついて、やっと終わったと安堵していることなど、リョウに知られたら大変なことになるだろう。だが、自分はウソが下手だ。なんでもすぐに表情に出てしまう・・・。

「ほれ、上で着付けてやるから」

そう言うと、リョウは香の手をひいた。

***

香の浴衣の襟元をリョウの指がすっと走る。身ごろを合わせながら、リョウは時々顔をあげて香と視線を合わせる。
ーーーひどく優しい目で、でも何か艶っぽいと思うのは、自分だけだろうか?

「リョウ?」

背後で帯を結びはじめたリョウに、香は声をかけた。

「なんだ?」
「どこで着付けを覚えたの?」

リョウの手が止った。

「えっと、どこだったかな。昔、歌舞伎町のクラブのママさんに教わったような気がするなぁ。ツケが溜まったんで、着付けでも覚えて手伝えって」
「・・・話、作ってるよね」

香は苦笑して言った。

「まぁいいじゃないか」

まさか、着物美女を口説くために教わったとは、言えるわけもないリョウなのだった。だが、技術は身を助けるとはよく言ったもので、こうやって香の着付けをできるのを、リョウは嬉しく思っている。こうする時、香の目元がほんのりピンクに染まっているのは、リョウは気がついている。自分の指先を見つめていることにも。

帯を文庫に結び終わると、リョウは香の前に戻って再び御端折りを正した。香の右耳に唇を寄せて、低い声で終わったよ、とても綺麗だと囁いた。香はふるりと身体を震わせるてため息をついた。

「どうした?」

リョウは香を瞳を覗き込む。

「耳元で囁くの、やめて」
「どうして?」
「・・・・」
「もしかして、ドキドキするんだ?」

リョウはニヤリと笑う。

「わ、悪い?」
「悪くない,悪くない。いつまでもそんな香でいてくれ」

***

8時を少し過ぎて、ミックとかずえ、ラルフは連れ立って現れた。ミックが意外にも浴衣が似合っている。かずえは、長い髪を綺麗に結い上げていた。リョウはそれを見て、少しだけカオリンが髪が長かったらどうだろう? と考える。癖毛を気にしてこれまで伸ばしたことがないのだが、一度ロングヘアーの香も見てみたいと、リョウはちょっぴり思う。ラルフはしばらく見ない間にまた背が伸びているのにも驚いた。すでに理知的な雰囲気が漂い始めているが、ミックとかずえのいいとこ取りのように、ハーフの愛らしさも残していた。

二組の家族は、花火をパチパチと鳴らす。
夕方屋上を濡らした雨はすっかり上がっているが、まだしっかりコンクリートを水分を保っていて、花火の色を反射した。夜空には星も見えている。賑やかな夜だった。
リョウはミックを手すり際に呼んで、二人でそこに凭れて、花火に興じる妻と子供たちを眺めた。

「ミック、今日はいいタイミングだったよ。ありがとう」
「なんだなんだ? 気色悪い」
「今日は槇村を呼んだんだ」
「マキムラって、カオリのアニキの?」
「そう」
「お前の言うことは,時々わけが分からん」
「・・・分からなくていいさ。・・・香はいまでも時々、あいつのことを思い出すんだ」
「それはそうだろう。家族だものな」
「家族・・・か」
「おマエ、まさかカオリのアニキに嫉妬してるのか?」
「まさか。だが、槇村に関することでは、オレは香を癒してやれないから、本人に来いと、そう伝えただけだ」
「ふうん」
「一杯、やるか?」
「いいね。だがバーボンは辞めてくれよ」

そう言ってミックは笑う。
香は階下に降りていくリョウを視界の隅で見送って、戻ってきた時にはアイスペールとグラス3個とウィスキーの瓶を持っているのを認めた。
この夏の間、屋上でよく使ったガーデンセットのテーブルに、リョウはそれを静かに置いた。そのまま流れるような仕草で、グラスに氷を入れて、ウィスキーの封を切った。あれは、何かの時にといって仕舞い込んでいた30年もののバランタインーーー

向かい合って座ったリョウとミックは、グラスを手に取って乾杯したあと、テーブルに置かれたままのもう一杯に、グラスの底の角をカチリとあてて、挨拶をした。それはまるでーーーそれはまるで、古き友に挨拶をするようで。
香は二人の子供が手に持つ花火を見つめる。手持ち花火の短い寿命が終わると、兄を見上げてもっと遊んでいいかと問いかけた幼い自分を思いだした。
ーーーアニキ・・・。

  辛い日を思い出すのはもうやめよう。
  アニキとは楽しい日々の方が多かった。
  そう、悲しいことより、楽しかったことのほうが何倍も。

香は立ち上がって、リョウの側に近寄ってその肩にそっと手を置いた。
リョウはグラスをテーブルに置くと、左手で自分の肩に置かれた愛する妻の右手を包み込んだ。
ーーーここに槇村がいることを、きっと香は気がついただろう。

ミックはすっと目を細めてそんな二人を見つめる。
言葉を使わずとも、心が通い合うその夫婦の姿を。

「リョウ、お前の想いは、どうやら届いたようだな」

リョウはゆっくりと頷いた。



ーーー了

*CommentList

キスをしながら

pixiv既出です。いつもと同じ展開ですみません、ってぐらいワンパターンしか書けないorz






例えば、俺が突然死んだら香はどうなるんだと、唐突に考えた。
表の世界で幸せにやれと言い残したところで、それを素直に聞くやつじゃないだろう。かと言って、スイーパーとして一人でやってけるわけもない。
香は優しすぎる。都会のゴミクズみたいなやつらにも、下手をしたら愛情を注ぐんだ。そんな女に、スイーパーなんて絶対に無理だ。
ーーークソっ。

***

獠はベランダの手摺にもたれて煙草を吸っていた。ここのところ、家の中で、例えばそれが自分の寝室であっても、煙草を禁止されているからだ。
「煙草ぐらい自由に吸わせろよ。ここは俺の家だぞ」
「自分の家なら自分て掃除でもなんでもなさいよ。それもできないくせに。あんたなんて、あたしがいなかったらゴミ溜めみたいな家ですぐ飢え死によ」
「んなこたぁねぇよ」
「だっらやってみる? あたしはここを出る。その代わり給料をちゃんと払って人並みの暮らしをさせて」
「なんだよ、出てくのに仕事は続けるんかよ。虫がいい話だ」
「何? あたしがパートナー辞めてもいいわけ?」

ーーー良いわけ、ない。

黙りこくった獠を、香は呆れて見つめる。最近の獠は何やらおかしい。いや、おかしいのはもともとだが、言うことやること支離滅裂で……

奥多摩での出来事から、獠も香も少しずつ我儘になっている。お互いの想いはもう疑いなく重なっているのだ。それは分かっている。だが、意地を張り続けた時間が長すぎた。そして、お互いがお互いを受け入れられるだろうという甘えで、言いたい放題の割に指1本も触れ合えなくなっていた。

獠は思っている。
香が、可愛らしく自分に身を委ねてくれたら、今の自分なら愛の言葉も、嘘偽りなく囁けるだろうと。だが、そんな香は香じゃない。

香は思っている。
愛するもの、そう言われても、自分はやはり獠がもとめる「女」ではないのだろうと。
だって、あの日から獠は自分をまともに見ようともしないのだから。

獠はベランダでの一服を終え、リビングに足を踏み入れた。
バスタイムを終えた香が、タンクトップに短パンでやはりリビングに足を踏み入れたのと同じタイミングだった。なんでそんなに肌を出して男のいる家でうろつけるんだよ! と獠は思わず言いたくなるが、いやまてよ、ここは香の家でもあるんだろうがと、言葉を飲み込んだ。こんな風に、たぶん、お互いが言葉を飲み込むことも、また、増えていた。
だからなのだろう。電気のついていない薄暗い部屋で、二人は向き合うように思わず足をとめた。
「……お風呂、どうぞ」
香は小さな声で言う。
「お、おう」
これが日常でいい。獠はそう思う。
ーーー香がいてくれれば、何もいらない……だから それ以上なんて望まない。香のためには、その方がいいんだ……。
だが、そのまま部屋に戻る香とすれ違いざま、獠は思わず香の腕をひき、その胸の内に抱き込んだ。いつものシャンプーの香りがしたから。いつもは黙ってやりすごせるのに、この時獠の中で何かがたぶん崩れたのだ。
ーーー伝えなければ。

だから低い声で囁いた。
「香、俺はきっとこれから何度でもお前を危険な目に合わせる」
「そんなこと……」
ーーーとっくに覚悟ができていると言うのだろう。だが、その言葉を獠は乱暴に唇で塞いだ。

叶うなら、もっと優しい口付けを香に贈りたいと思っていた獠だった。欲望に任せるのではなく、おまえと俺とはもうとっくに一つなのだと思っているのだと伝えられるような、そんな口付けを。
ーーー言葉が欲しいのに、なぜその言葉を聞いてやらない。お前は、卑怯だ。思ってることとやってることが、バラバラだぞ?

それでも、獠は止められなかった。
初めてのそれはガラス越しで直接触れ合えなっかた想いは、本当はもうとっくにはちきれんばかりなのだ。だから……。



獠の熱い舌が香の口内を蹂躙する。
ーーーーこれが、キス、なの?
激しい行為に香は息ができない。だけれど、怖くはない、そう思って獠の背中に腕をまわした。だが、その口付けは唐突に終わった。
「すまない」
そういって獠は目を伏せる。
「なんで、謝るの?」
「こんなこと、だめだろう?」
「どうして?」
今、身体を離したら、獠の心も離れて行くーーー香はそんな想いに襲われた。
「いやじゃないのか?」
「……やなわけないじゃない」
そう言って獠の身体にまわした腕に力を込めた。
「あまり、煽るなよ。そんなことされると、その……」
「なに?」
「……したくなるだろう?」
「なにを?」
あどけない香に、獠はため息をつきたい気分だ。
「なにをってお前、男と女が抱き合ってキスしたら、次やることなんて決まってるだろう?」
「決まってるの?」
「おまぁ……」
こいつはワザと言ってるんだろうかと、獠は混乱する。そこまで鈍感か? もういい歳だろうにーーー
だが、はたと思うのだ。
ーーーこんな女に誰がしたって、俺がしたんだろう。責任、とらなくちゃだよな。覚悟を決めろよ、俺!

「香? もう一回、キス、していいか?」
「いいに決まってるじゃない」
そう言って微笑んだ顔が、あまりに可愛くて、そして美しくてーーーゆっくりと顔を近づけ、今度は、優しく上の唇下の唇とついばんで、そしてゆっくりと唇を合わせた。触れるか触れないかで香の唇を楽しんだ。
ーーーああ、そうか、俺は、こいつの喜ぶ顔が、きっとみたいんだ。
キスをしながら、獠は唐突にそう思った。
少し角度をかえて、軽く触れるように、何度も。薄く目をあけると、香が目を見開いているから、獠は少し唇を離して「目、閉じて」と囁いた。香がゆっくりと目を閉じると、その目尻から涙が一筋零れ落ちた。獠はその涙を拭ってやり、その手でそのまま香の頭を撫でる。
「なぜ泣く?」と聞けば、「嬉しくて」と香が小さく答えるから、獠はもう一度優しく唇を合わせた。
ただ身体の一部が触れ合っただけなのに、なぜこれほどまでに心が満たされるのだろう? 
やがて、カチコチだった香の身体から力が抜けたので、ゆっくりと獠は歯列を割って舌を差し込んだ。柔らかな唇と同じくらいに柔らかなその体の感触を、味わった。


香、俺はもっと早くこうすればよかったよ。何を躊躇っていたんだ? お前のことが好きだから、だからこうやって触れたかった。そんな単純なことに、今の今まで気がつかなかったなんてーーー
獠は飽きることなく、口づけを続けた。


香は始めて絡め合った舌先から伝わる獠の熱い想いを、胸一杯に感じている。求められている、それが伝わってくる。
ーーーキスが、こんなに気持ちいいなんて、ちっとも知らなかった。

「ん、りょぉ?」
唇が離れた隙に香はやっと声を出した。
「ん?」
「あたし……素直じゃなくてごめん」
「それを言うなら、俺のほうだ」
「意地、張り過ぎだね、あたしたち」
「だな……だがな、香。俺の大事な相棒もさ、今日はやたら素直なんだが?」
「相棒って?」
きょとんと小首をかしげて自分を見上げるのが、愛おしかった。だから耳元に唇を寄せて、囁いた。
「俺のモッコリ、香が欲しいって主張してるんだ」
「欲しいって!?!?!?」
「モッコリしたいの、香と」
「ウソ!」
「本当だ。素直になったとたんに、さっきから主張してて、実は困ってる」
「!?!?!?」
「だが心配するな。今さらだからさ、焦ってないから、俺」
「りょぉ……」
「んな顔するなよ」と前髪をくしゃりとした。
香は眉をハの字に下げていた。
「風呂、入ってくる」と獠はようやく香の体を解放した。
急いてはダメだと獠は思っている。香は初心者だ。ゆっくりでいい、そう、ゆっくりで。

獠はゆっくりと風呂を使い、昂りを身のうちに沈め込む。普段、そう考えずともコントロールなどし慣れているはずのそこは、今日はなかなか鎮まらないのに苦笑する。
ーーーガキじゃあるまいし。
シャンプーで乱暴に頭を洗って乱暴に湯を使った。獠は髪など洗えればなんでもいいと思っているので、香が買ってきお得なシャンプーを文句一つ言わずに使っている。すなわち、香と同じものだ。ボディーソープもそう。もしかして、俺たちって同じ匂いさせて歩いてるんか? と思ったら、突然おかしくなった。いつも、風呂上がりの香の匂いが実は好きだった獠だが、なんのことはない自分の匂いなのだ。だが、やっぱり男の自分と女の香じゃ、同じ匂いをまとったって全然違うんだろう。そうだ、そうだよ。身ぐるみはいで抱き寄せたら、もっとそれがわかるんだろうなぁとエロい妄想に浸りかけて、ふるふると頭を振った。思った以上に、もしかしたら自分は溜まってるんか? と思うが、それはそうだろう。都合何年も女など抱いてはいないのだから。
獠はこんな日は、一杯飲んで寝るかと最後に顔を勢いよく洗って、風呂を出た。

リビングの電気は消えていた。獠はキッチンの棚からグラスとワイルドターキーを出して、ドバっと注いだ。氷はいらない。
7階に戻る途中「香のへや」のプレートの前で、立ち止まった。もう寝ただろうか? 初めてのキスが心地よく感じて、幸せに眠ってくれていたら、今日はそれでいいと獠は思う。明日も、またキスをしよう。その次の日も、きっと。そうしたらいつしか、もっとお互いが欲しいと思えるようになるだろう。いや、違う。香が、もっと先を知りたいと思うようになるだろう。それで、いい。

グラスのウィスキーを舐めるように飲んで、そのままグラスを持って7階にあがってドアを開けた。いつものように、ブラインドはきっちりと閉められている。だが、暗闇というわけではないから、獠にはすぐにわかった。というか、なぜドアを開ける前に気がつかなかったのかーーー
「香……どうした?」
香がベッドの端に、ちょこんと腰掛けているのだった。いつものパジャマ姿で。
「遅かったね」
「いや、どうした? 電気も点けずに」
獠は電気のスイッチに腕を伸ばそうとした。
「つけないで」
香が壁を見たまま言うので、獠はゆっくりと腕を下ろした。
「香?」
呼びかけても返事をしない香に、獠は不安になった。
「香、どした?」ともう一度呼びかけた。
「んー、もうっ! 獠のバカ! 女が夜に部屋で待ってたら、決まってるでしょう?」
「へ?」と獠は間抜けな声を出した。
「全部言わせないでよ!」
「おま、まさか……」
獠は、男女のことに疎い香が、こうやってベッドで待っていることの意味がわからない。いや、普通はそういうことだろう。だが、発想が斜め上に行きがちな香には、やはり確認が必要だ。グラスをベッドサイドに置いて、獠は香の前で膝を折った。
「香?」
「……ごめん、本当はどうしたらいいのか、よくわからないの。だけど、獠と、その……」
「俺と一緒に、寝たいのか?」
コクリと、香は頷いた。暗がりで顔色まではよくわからないが、きっと真っ赤な顔をしていることだろう。
「寝るだけじゃ、済まないかもしれないぞ?」
「いいの」
「無理するな。だが、だんだん慣れてくのもいいかもな」と獠は香の前髪をくしゃりとまぜた。自分の理性がもつかどうか、獠はこの日はいささか不安だが、やはり香に長足の無理はさせたくないのだ。最初は大事だ。もしも香を抱くとしたら、それはもう獠にとっては永遠の契りだ。そうである以上、香がモッコリを嫌いになったりしないように、丁寧に丁寧に進めなければ。

獠は立ち上がって、クローゼットからスエットの上下を出して身につけた。冬でもTシャツにトランクスとか、トランクスだけで寝るとか、はたまた何も身に付けずに寝るのが習慣だが、香を隣に置くのにそんな格好ではまずいだろうと思ったのだ。
「じゃぁ、寝るか」と獠は掛け布団を捲った。香にまず布団に入らせて、その隣に自分も潜り込んだ。カチコチになっている香を真上から覗き込み、「お休み」と囁いて、その額に口づけを落とす。広いベッドで助かったと、少し離れたところに獠は体を沈めた。
これでいい、そう思う獠だが、香にこれでよかったのかと考えると、目が冴えた。
ーーーだって仕方ないだろう? もしも今日のこの気分で手を出したら、だぶん、抑えようがなく香を壊してしまう。少しずつでいい。香は、男の本気なんて知らないから、こんな無防備に。
そしてなぜか槇村秀幸を恨んだ。
ーーー槇ちゃん、なんでこんな箱入りの最強に育てたんだよ? しかも、お前が可愛がりすぎたんだろう? 男と一緒に寝るってのが、どういうことなのか香は分かってないんだ。アニキに添い寝してもらうぐらいの気分だぞ? きっと。

余計に目が冴えて、眠れそうにない。

「りょぉ? やっぱり私じゃ、モッコリしないの?」と香が小さく言う。
香の言葉に獠は気づかれないようにため息をつく。
「そうじゃない。お前を、怯えさせたくないから」
「あたし……怖くない。獠なら……」
「お前、なーんもわかってない。だいたいこんな雰囲気で、さて始めますかってやるもんでもねぇんだよ。焦らなくていいから」
「ね、どうするの? どうしたらいい? 教えて?」
「香……今日はもう寝よう。こうやって慣れてけばいいから」
「やっぱり私じゃダメなんだ……」
「だから、違うって」
香はむくりと起き上がった。
「自分の部屋で寝る」
無機質な声でそう言ってベッドを降りようとする香の右手を、獠は咄嗟に左手で掴んで自身にぐいと引き寄せた。
ーーーこのまま、いかせてはダメだ。
「いいから、ここにいろ」
「だって」
泣きそうな香の顔を見て、獠は覚悟を決めるしかないと思った。
自分のベッドで、女を、それも並みの女じゃない。香にこんな顔をさせては、モッコリ男の名折れだろう。
組み敷いてその瞳を覗き込む。そうして、よりいっそう優しくその唇を弄んだ。そして、耳元で囁いた。
「しょうがない女だな。痛かったりしたら、ちゃんと言えよ? できる限り優しくする。だが、手加減できねぇかもだから、嫌だったら嫌とおもいっきり言え。いいな?」
嫌と言われて止まれるのか、獠にはまるで自信がないが、香にこれ以上自分を卑下して欲しくない。大切な、大切な女なのだから。
獠はスウェットの上をまず脱いで、香のパジャマのボタンに手をかけたーーー


***


獠はサイドテーブルのウィスキーを手に取って、舐めるように飲んだ。
香は獠に頭を預けるように、穏やかな寝息を立てていた。その髪を、左手でゆっくりと梳いた。
ーーー幸せっていうのは、こういうのを言うか……
獠は自分で心配したほど、自制が効かないわけではなかったことにホッとしていた。香に欲情しないとか、そんなことではなくて、ただ丁寧に抱きたいと思ったのだ。そうしたら、これまで誰とのセックスでも感じたことのない充実感が襲ってきた。それ以上に、自分が満たされるよりも、香を満たしたいと心から思った。それなのに、最後の最後に満たされたのは自分自身でーーー。

「お前、すごいのな」

獠は香の髪を梳き続けながら、そう呟いた。

数時間前にようやく二人が繋がったとき、嬉しい、そう言ってまた一つの涙を零した香。そう言えば、こいつが泣くのなんて、今日まで見たことがあったか? と獠は香の中ではちきれそうな自分自身の欲望をやり過ごすために、過去を振り返った。
ーーーああそうか、17歳の香は、兄を想って泣いたっけ。だけれど、二十歳になった香は、兄を喪って嘆き悲しむよりも、前を向くことを選んだ。あれから、俺に涙を見せたことは、たぶん、ない。いや、あのときと、あのときと……俺を想って泣いたか。俺が死にかけると、たぶんコイツは泣くんだろう。だがたぶん、本当に死んだときには泣かずに前を向いて、生きるんだろう。歯を食いしばって。だが、そんな風にもう頑張らなくていい。俺は、生きるから。お前とともに、必ず生きるからーーー
いつ死んでもいいと思ってきた人生だった。だが、お前が教えてくれた。俺が生きる意味を。だから。

朝目覚めたら、優しい口づけを一つ落とそう。
何度でも、そう、何度でも。



ーーー了

ブルーマウンテンに輝く星 4

pixiv投稿済み。パラレル作品です。苦手な方はお控えください。

4.風景を撮る時は、パンフォーカスを有効に。

野上麗香はこの日、都内某所でとある月刊誌のグラビア撮影を終え、夕方には新宿東口にほど近いSTUDIO SAEBAに戻った。

この7階建のオフィスは、外見はレンガ調のアンティークな佇まいだが、内部は快適に現代的にリフォームがなされている。
地下にはガレージを備え、冴羽獠の愛車であるミニクーパーや、社用車のフィアットパンダ、アウトドアの取材に出かける用のスズキのエスクードなどかおさまっている。こういったスタジオが所有していがちな、ワンボックスタイプのバンのような車は、このスタジオの主宰者であり社長でも冴羽獠が「美的センスに合わない」という理由で使用していない。

一階は、白を基調としたシンプルなギャラリーで、このスタジオが生み出した数々の作品が展示されている。その中心には冴羽獠の代表作である『転生』とタイトルされたマサイ・マラの動物写真が、ポスターサイズで飾られていた。解放的なギャラリーは外からも見ることができるし、入場無料で開放されている。二階と三階はそれぞれ撮影機材のととのったスタジオになっており、暗室までそれぞれに備わっていた。
4階がオープンオフィスになっており、ここにかすみのような事務スタッフも、麗香のようなカメラマンも、そして香のようにカメラマンを目指しながらアシスタントをするものも席を置いている。商談スベースもこの階にある。5階は、一部スタッフも宿泊できるよう簡単な宿泊施設と、あとは膨大なネガの保管庫の役割を果たしていた。
社長の自宅兼執務室が、6階と7階をぶち抜いたメゾネットに収まっている。執務室といっても、やはり暗室を備えているのが少し変わっているくらいで、仕事場というよりもごく普通の住居といっていい。

機材を肩から降ろした麗香は、かすみの傍に腰掛け問いかけた。

「ねぇ、かすみさん、あの二人、どう思う?」
「あの二人って?」
「獠と香さんに決まってるじゃない」

二人はこの3年ほど、獠を廻って恋の鞘当てをしているのだが、香がアシスタントに抜擢されたあたりから、ライバルというには何か相応しくない、共闘関係を築きつつあった。

先にスタジオに就職したのは、麗香だ。フリーランスで仕事をしていたところを、一緒にやらないかと持ちかけたのは獠の方だ。麗香は自分一人でフリーカメラマンとしてやっていく覚悟も技量も実力もあると思っていたが、冴羽獠という写真家界の革命児に声をかけられ、簡単に言えば有頂天になった。おまけに、獠が麗香好みのイケメンであることも手伝って、二つ返事でこのスタジオに就職した。モッコリデートを誘われるのも最初はまんざらではなかったのだが、誰彼ともなく口説いているのを見て、唯一の恋人、もっと言えば将来に渡るパートナーという地位を得ない限り、モッコリなどしないと固く心に決めていた。麗香自身、容姿にも自信があり、自分が本気になったら靡かない男などいないと思っている。だが、いっこうに自分一人を見ようとしない男に、逆に振り回されていることに気がついた時には、振り上げた拳を降ろす場所がないという程度には片想いの深みにはまってしまっていた。

秘書として獠のスケジュールと作品を管理する麻生かすみは、偶然出た求人広告に応募して事務員として採用された。最初は一般事務であったものが、現在は獠に気に入られて専属書所のような立ち場になっている。
実は麻生かすみの家は、代々続く政治官僚の一族だ。幕末を器用に乗り切った麻生家は、明治政府の要人を輩しながら、時折、歌人といった文化人も生み出している。この一族に生まれると「女子は20歳にして、一族かそれに準ずる人物の中で最も将来有望な政治家か官僚と結婚すること」と決められていた。この家風を嫌ったかすみは、20歳になる直前、「社会人として外の社会で働いて、優秀な方と結婚します」と宣言したのだった。就職先の才能あるカメラマンをその標的に定め、現在にいたっている。
麻生家当主は、「将来有望なカメラマン」という変り種もまた、将来の麻生家に必要な種馬たるかもしれないと、それなりの調査をしたうえで、娘の就職を許した。「必ず、種馬を捕獲せよ」と厳命をうけたかすみだが、実際のところ、最初は「決められた結婚」を逃れるためのただの方便にすぎなかったのだが、あることがきっかけで本格的に獠に惚れてしまったのだった。

槇村香が突如冴羽獠のアシスタントに収まるまでは、麗香とかすみの二人は、実はどちらかが獠を射止めるのだと思っており(というのも、二人は獠からはしょっちゅう口説かれるからだ)、カメラマン見習いで就職してきた香を、いっさい意識したことがなかった。それなのに現在はーーー

「どうって……まだ身体の関係があるとか、そんな風には見えないわね」とかすみはつまらなさそうに答えた。
「それはどうでしょうけど、今回は2ヶ月、3ヶ月? 知らないけど、そんなに長くアフリカで一緒に過ごして、何もないなんてありえるのかしら?」
「私に言われても知らないわ。でも、お気に入りなのは確かなのよね。こんなに同じ人をアシスタントにしていること自体、初めてなのですもの」
「かすみさん、今回のクライアントと親しいんでしょ? 何か情報はないの?」

かすみは、同じく新宿にある「オフィス・シンバ」とは、仕事上で付き合いが確かに深いのだ。

「岩本さんを焚き付けておいたから、動きがあったら知らせてくれると思うけれど……でも、あの二人のやりとりって、恋人って感じには全然見えないわよ。いつも喧嘩してるみたいだし」
「だから要警戒なんじゃない。獠があんなふうに我侭を言いたい放題に言うこと、私たちに対してある?」
「ない、わね……」
「まったく、くっつくんならとっととくっついて欲しいわ」

最後に投げつけるようにそう言った麗香の気持ちが、かすみにも少し分かるのだ。
諦めるなら、何かきっかけが必要なのだから。だが、本当に獠と香が「くっつく」のか、かすみにはまだうまく想像ができないでいる。

「それより、猫の島の話、麗香さんが本当にうけるの?」

「猫の島」というのは、愛媛県にある離島の一つで、この自治体からカレンダー用の撮影の依頼が来ているのだ。猫であるならば、主宰の獠が喜んで受けそうなのだが、現在、ケニアに渡っており、「帰国時期一応未定」状態だ。半年は仕事を入れないようにかすみは指示を受けている。年の半分を獠はこのようにアフリカに割いているが、実際にはそんなわけにもいかずに2−3ヶ月で帰国するのではあったが。

「うけるわよ。私が」
「冴羽さんの指示を待たなくていいの? 麗香さんが動物の写真なんて……」
「大丈夫よ。だいたいなぜ私が動物は撮ってはいけないと言われているのか、よくわからないのよ。私だってかわい〜い猫の写真ぐらい、撮れるわ」

麗香は獠からこのスタジオに来た以上「動物禁止」、と言われている。人物、静物、風景中心と指示されているのだ。だが、麗香は最近めきめきと力をつけている。クライアントからの評判も上々なのだ。上司の指示を振り切って、「自分だってこれぐらいできる」というところを見せたいのかもしれない。

だが、と、かすみはこっそりと獠にはメールで知らせておこうと思うのだった。ナイロビでの通信状況が不安定で、「メールチェックは不定期にしかできないから、緊急時は電話」と言われているが、これが緊急案件かどうかはともかくとして、獠の秘書としてやるべきことはやらねばと思っているかすみなのだった。


***


夜中に香は目覚めた。
時差ボケではないが、何か睡眠のリズムが崩れている。喉の渇きを覚えて、香はそろりと起き出して、キッチンに向かった。隣接するリビングに仄暗い灯りが灯っていて、香は何気なくその空間を覗き込んだ。佐山が、一人ソファーに座っている。
香の気配に気付いたのか、視線を上げて香を認めた。

「槇村さん、どうした? 眠れないの?

その優しげな響に、香はおもわず引き寄せられて、リビング足を踏み入れた。

「昼間獠が言ったこと、あまり深刻に受け止めない方がよいと、俺は思う」

言葉の意図することが良く分からないが、この物腰柔らかな男性と少し話がしてみたいと香は思った。年の頃は40歳前後だろうか。細面の美男子と言ってよいだろう。
香は佐山の顔を注視できず、視線を落とした。そして気がついた。佐山の手元にあるのは、あの高層ビルのサルのカップルの写真だ。佐山も香の視線の先にあるものに気がついた。

「これ? 獠が夕方現像したんだ。俺の意見を聞きたいと」

香も作品を見たくなり、急いで駆け寄った。

下から見上げるアングルで、一方のサルがもう一方を毛繕いしている。それは香も実際に見た光景だ。だが、この写真にはさらに続きがあった。そのサルの背後の近代的なビルのミラーガラス壁面に、二頭のサルの背中が映っている。しかも、その体の寄せ方でぼんやりとハートマークを形作っているのだ。そしてそのガラス壁には、街路樹と緑と、微かな人影がぼんやりと写り込んでいる。
ーーー先生の目にはこんな風に映っていたなんて。
同じ場所にいて、同じサルをみたはずなのに、まったく違う世界を見ていた冴羽獠ーーー

「すごいだろう? なんの準備もなしに瞬間でこういうのを獠は撮る。俺なんかが意見できるフォトグラファーじゃ、すでにないんだ」

たしかに、撮影時間はほんの15分だった。しかも事前のロケハンも何もなしに、一発勝負だ。

「キミがいるから、こんなのを撮れるんだと、俺は思う」と佐山はポツリといった。

香はなんと答えてよいかわからず、テーブルに広げられた写真を見つめた。

「これは……」

香と同じ場所で撮ったペトロナスツインタワー。だが、全く違う。

「気がついた? 獠はもしかしたら、キミにこの写真は見せたくないと思っているかもしれないが、俺はこれこそ君に見せるべきと思った」

焦点は、この通りからツインタワーをまさに写真に収めようとしている観光客の背中、正確にいえば頭頂部にあっている。前方のツインタワービルは、少し霞んだ存在だ。だが、「あぁ、この人は今話題のビルをみている」ということが、妙な迫力で迫ってくる。
香は息を飲んで、そして最後はほうと溜息をついた。香はツインタワーを美しい構図の中にいれることしか考えていなかった。手前にあるものや人など、むしろ邪魔だと思っていたのだ。それなのに。

「撮る、というのは見えているものをそのままファインダー内に収めることではないんだ」

佐山は静かにそう言った。

「でも、冴羽先生は現実を切りとっていると……」
「切りとってるってことは、はみ出すものもあるということだろう? 獠の写真は、そのはみだしてしまう情報をいかに表現するかってところがすごいんだ。このサルの写真がそうだろう? 取り巻きのギャラリーたち、サルが好む緑、全部が間接表現になっている。ツインタワーもそうだ。キミの写真もそうだったけれど、この距離ではこの高層タワーの全部は入りようがない。入らないなら最初から間接表現を狙う」
「やっぱり、先生はすごい……」

オフィスのギャラリーに飾られている「転生」を思い出し、一年前の「疾走するダチョウ」を思い浮かべた。どちらも確かに、画面を飛び出す勢いか、画面の外に無限に広がっていく世界が、一枚の写真で表現されているのだ。

「ところで、槇村さんは獠の父親のことを知っているの?」

突然話題が変わって、香は少し訝るが事実を答えた。

「いいえ、知りません」
「そうか。細かな経歴を伏せているものな。……獠の父親はやはりカメラマンだった。厳しい人物でね、獠にもスパルタ教育だったようだよ」
「佐山さんは、良くご存じの方なんですか?」

問われた佐山は首を振った。

「獠の父親だと知ったのはずっとあと。事情があって苗字が違うから、二人を結びつける人はなかなかいないだろう。
だが、多分槇村さんも知っている人だ」

香はまたしてもなんと答えて良いかわからず、首傾げた。獠とは行動を共にする事がもちろん多いが、お互いの身内のことを話したことは一度もないのだ。

「俺と会った頃は、そんな父親への反発も手伝ってかカメラを捨てるところまで獠は追い込まれていた。だが、マサイ・マラで息を吹き返したんだ。それまでただ上手に撮っていた男が、何か開眼したようで、俺も驚いた」
「先生は、佐山さんが師匠だって……」
「そんなたいしたもんでもない。ただ、俺と岩本さんのサバンナの撮り方を、見せてやっただけだ」

どういうことだろう? 香はますます分からない。

「槇村さんも、きっかけがあれば写真の撮り方が変わると思う。獠は、それをキミに言いたかったんだろうが、昼間みたいな言い方しかできないんだ。なかなか不器用なヤツだよ。キミを頼りにしてるくせに」
「え? そんな頼りにしてるだなんて……私はここではあまり役に立ててなくて」
「そんなことはまったくないと思う。アイツを見ていれば分かるんだ。さぁ、今日はもう遅い。休んだ方がいいよ」

佐山に促されて、香は寝室に戻った。ベッドに寝転がって、天井を睨みつける。そうしているうちに、なにか沸々と怒りがわいてきた。
ーーー佐山さんは、先生が自分を頼りにしているというようなことを言っていたが、絶対にそんなことはない! どう考えても、やっぱりハンマーが嫌でアシスタントをクビにしようとしているとしか思えない。それに、自分の構図がダメなのであったら、もっと早くに教えて欲しかった。なんて意地悪な! だが、先生の作品は尊敬している。もっとその仕事が見たいし、やはりあのスケベっぷりを止められるのは自分だけではないのか? ミックさんも佐山さんも、それがわかるから、私が先生の傍にいたほうがいいと思っているのだ。だって、あんなにモッコリモッコリ言ってたら、せっかくの素晴らしい作品たちまで、「モッコリ写真家の作」なんて後ろ指を差されてバカにされることになりかねない。そんなの、絶対に嫌だ! それになにより、私にだってまだプロの道がないわけじゃない。見てなさいよ、そのうちびっくりするようなのを撮るんだからーーー

こんなふうに結論を出した香は、その夜、ぐっすりと眠った。

翌朝、朝一番のリビングで、香はまだ寝ぼけた獠に向かって言い放った。

「先生、昨日のお話ですけど、私、アシスタントもやめませんし、プロになるのも諦めません。だって、そんなことまだ決めつける時じゃないと思うんです。私も撮って撮ってコンテストにでもなんでも応募します。それで結果が出なければ仕方ないけれど、このまま諦めるのは嫌だし、それに何より先生が”お前はアフリカ向きだ。これからも頼む”ってほんの一年前に言ったばかりなのに、もうクビなんてまったく納得いきません。まだ二度目なんですから!」

一気に捲し立てた香に、獠は目をしばたいたが、香は気にせず続けた。

「私も、先生が撮ったみたいな”都会の恋人”みたいな作品を、いつか撮ります!」

獠は一瞬ふわりと微笑みかけて、そして厳しい顔つきになった。

「香、やっぱりお前には俺のアシスタントは無理だ」
「大丈夫です。今回だってきっと象だろうがなんだろうが、ちゃんとアシストできます!」
「いや、無理だ」

獠はテーブルに置かれたままの”都会の小さな恋人”を取り上げた。

「これは二頭ともオスだ。よく見ろ、そんなに立派ではないが、どちらにもちゃんとモッコリがついている。これを”恋人”なんて言われたら、メスと間違われた方のオスの沽券にかかわるだろう? そんなんじゃ、俺のアシスタントなんて絶対に無理だ」

この言葉に香の怒りの沸点が突破した。
轟音とともに振り下ろされたハンマーは、「いったい何の話をしとるんじゃ、ボケ!」の101トン。

香は手をパンパンと払って仁王立ちになった。

「先生、いつもいつもそうやって人をバカにして。そんなことを言っても、私は辞めませんから! それに他の誰が、あんたみたいないい加減な人のアシスタントをできるのよ!」

ひしゃげた獠を気にせず、香は「さて、朝ご飯の準備しましょ」とご機嫌に、キッチンに立ち去っていった。
途中から香の演説を聞いていた岩本が、獠の脇にしゃがみこんだ。

「冴羽ちゃん、なかなか勝ち気な子でよかったじゃないか。今後が楽しみだ」
「何の話です? それより、このハンマー……どけてください」と言いながら、獠は自分でなんとか這い出した。
「こんな暴力性なオンナ、見たことないですよ」
「だが、冴羽ちゃんはそれを楽しんでいる。良い作品の原動力だ」

岩本は獠の手にしている写真を見て、言った。

「それにこの距離じゃ、どちらもがオスなんて、誰も分からないだろう?」
「俺は撮る前に近寄ってさらに望遠で確認する主義なんですよ。被写体をよく知らないと」
「だったらそう言ってあげればいいのに、素直じゃないねぇ」と岩本はニヤリと笑った。
獠はそんな岩本に、嫌そうな顔を向けた。

「で、どうすんの? クビにはしないんだろう?」
「本人がああ言うんじゃ、仕方ないっすよ。雇用者としては、責任を全うしないと。まあ、なんとかなるでしょう」

最後は自分に言い聞かせるように、獠は呟いた。

”都会の小さな恋人”と写真にタイトルを付けたのは獠自身だ。だから香が思い込みで、「恋人」と言ったわけではないことは、当然承知していた。
サルの毛繕い行動は、多くの場合「親愛の情」を示す行為で、雄同士、雌同士というのがもともと一般的なのだ。獠はそれも分かっていて、かつ雄同士であることを確認した上でこのタイトルを与えた。
真実通りであればいけないという法則はない。ファインダーに映り込んだ情景には、ウソは一つもないのだから。
それに、今の世の中セクシャリティーはより自由な解釈であるべきだーーー

獠が食卓につくと、ハムエッグにグリーンサラダに、インゲンを炒めたものなどが大皿でドンと並んでいた。この家は現在、男5人に女ひとりという大所帯なので、一人前ずつ綺麗に配膳するなんて面倒なことをしない。パンを適当にトーストして、めいめい取り分けて食べるのだ。

ケニアといういう国は、英領であった歴史があるので食事はイギリス風の伝統が少し残っている。もちろん、この地の伝統食であるキャッサバ粉を固く練った”ウガリ”なども食されるが、普通にパンも食べられている。だが、これが困ったことに非常に美味しくないーーーと香は思っている。市販のものを買ってくるのだが、トーストする前から”パサパサしていてごめん”という雰囲気で、焼いてもモッチリともふんわりともならないのだ。だから香は、街中の軽食屋で出されている”チャパティ”を、この家の食卓に導入したいと思っている。ウガリよりは、日本人の口には合いやすいから、さっそくメアリーに教わろうと思っている香だった。

ちなみにケニアというと、「ブルーマウンテン」という高級コーヒーが有名だが、このコーヒーはケニア山にちなんで名付けられている。この山は、ナイロビの北北東約200キロにそびえるケニアの最高峰だ。もともとは「キリニャガ(神の山)」と呼ばれており、人を寄せ付けない厳しい自然環境の山頂には「黄金の神の座」があると信じられていて、地元の人々にとっては言わば霊山と言ってよい存在だ。だが、植民地時代に「ケニア山」というなんの変哲も工夫もない名称に変更されたのだった。
赤道直下の5000m超級のこの山は、山頂付近に氷河を戴いている。標高3300m以上は、高木が生育できる「森林限界」を超えた世界で、独特の植生が知られており、「ケニア山国立公園」として世界自然遺産にも指定されている。遠目には、いつも青く霞んだように山体全体が見えることから、「ブルーマウンテン」とも通称されており、この麓に、イギリス人がコーヒープランテーションを開いたのが、ケニア産コーヒーのルーツだ。

だが、コーヒーは換金作物として広く輸出にあてられており、地元で消費されることはない。
コーヒーはもっぱら「ネスカフェ」の粉末のインスタントコーヒーが主流で、日常的な飲み物は紅茶だ。こちらも、やはりイギリスの良き伝統の一つとして、植民地時代に普及したものだった。ミルクティーで飲まれることが普通で、これを「チャイ」と呼ぶ。チャパティもチャイも、実は同じく英領であったインドの影響で、この地に広く広まったのだった。古き良き「大英帝国」はこんなふうにいろいろな影響を、世界各地に残している。

朝食が終わると、香は獠に「今日はナイロビ国立公園に行ってきます」と元気に報告していた。
聞けば、カメラ見習いの中山青年とランドクルーザーで出かけるという。

「香さんを、お借りします」と中山は獠にニコリと微笑みかけた。
「香のお守りじゃ大変だろうが、頼んだよ」と獠はそっけなく返事をし、香には「お世話になるんだから、なけなしの色気でも振りまいておけ」と言い放つと、「どうせあたしには、色気はありませんよー!」という言葉とともに、今度は鎖鎌が飛んできた。
それをなんとか避けながら、まったくカラクリがどんどん増えやがってと、獠は何か笑いが込み上げるのだった。

二人を見送って、獠は佐山に言った。

「あいつの運転免許証の手配、お願いできますか?」

香は国際免許証を一応持ってきており、このままでももちろん問題ないのだが、ケニア共和国の正式な運転免許証に変更することで身分証の役割も持たせられるので、何かの時には便利なのだった。「パスポート」に馴染みのない地域に行くと(ケニアの田舎はそんなものだ)、身分を証明するには国内免許証の方が何倍も信頼度が高く、獠もこの国の免許証を所持している。切り替え自体は難しいものではく書類を通すだけのもので、試験も必要ないが、若干問題がある。

この国の行政は、何かと遅い。下手をすると、手続きしたことを忘れられてしまうことすらある。そういう時に必要なのが、「持つべきものは友」の例で、官僚に顔がきく人間なのだ。佐山の現在の恋人は、キクユ族の大美人でこの手の伝手を持っている。さらに、顔がきくだけでなく、日本で言う所の「袖の下」も必要で、これをスワヒリ語でkitu ki dogo(直訳するとsomething little ちょっとした小さなもの)という。獠は円滑に撮影活動を行なうために、この「キトゥ キドゴ」は惜しまないことにしている。不正でもなんでもなく、それが賢くこの地で生きていく術なのだから。

「必要なだけ積むんで、最短で。できればエルゴン山に行く前に欲しい」

獠は佐山の人脈をよく知っているので、自分で直接動かずにこうやって手配することにしたのだ。

「分かった。手配しておこう。槇村さんを、長く傍に置くと決めたんだな?」

獠は、それには答えず、家の中に戻った。
ミックがこのオフィス・シンバを訪ねてくるのは、この日の夕方のことだった。


ーーー続く


ブルーマウンテンに輝く星3

*pixiv投稿済みパラレルストーリーです。CHでもなんでもなくなってますので、苦手な方はご遠慮ください。


3.長期撮影では、予備バッテリーは必携です。

明け方、空が白み始めた感覚で香は目を覚ました。まだ早いからもう少し寝よう、そう思ってぎゅっと目を閉じるが、眠れない。昨日から寝過ぎなのだから仕方ないのかと思い、香は諦めて身体を起こした。昨日少し感じていた身体のダルさのようなものは、まるで感じず、香はひとまずホッとした。

着替えよう、そう思ってベッドから降りて、スーツケースに向かった。パチンと鞄を開けて、着替えを取り出す。今回の撮影場所がどんな所にせよ、もってきた衣類のいくつかは犠牲になるだろうと香は思っている。洗濯不能なぐらいに汚れるのだ。だいたい、ケニアにあんなに砂漠があるなんて知らなかったと、香は一年前を思い出す。また同じような場所に行くなら、悲惨だと少しだけ畏れてもいる。だが、あの場所は少なくとも「防水」がいるような環境ではない、と香は自分の登山靴を眺めた。

「考えても仕方ない」と香は立ち上がった。
ふと視線をあげると、窓の脇にオレンジ色のボタンスイッチがあるのが目に入った。ちょうと500円玉ぐらいの大きさだ。真ん中にPUSHと白抜きで書いてある。香はそれを見つめた。

香はたぶんとても素直なのだ。そして、起きたばかりで少し頭も回りきっていなかったのかもしれないーーー


***


「おまぁさ、朝っぱらほんとに勘弁してくれよ」

岩本邸というかオフィス・シンバというかのリビングでは、獠がソファに深く腰掛けて、足と腕を組んで、立ちんぼの香を睨みつけている。

「まぁまぁ冴羽ちゃん、いざって時の練習になったかもだし、防犯ブザーがちゃんと機能してることが証明されたわけだから、うちとしては何の問題もないよ」
「岩本さん、甘い。こういうイージーなミスを現場でやらかすと、命を落とすんだ」
「んな大げさな」

岩本は、普段感情を荒げることが少ない獠が、かなり真面目に怒っているふうであるのに驚いている。本当にたいしたことではないのに。

「コーヒー、どうぞ」と細身の長身の男性が、コーヒーサーバーとともに現れた。
「槇村さんも、立ってないで座ったら?」と男は声をかける。
「ほんとに、すみません」と香は頭を下げた。

皆がまだ寝静まっている明け方、”PUSH”と書かれたボタンを、香は何も考えずに押したのだった。押せって書いてあるのだから、押すのだろう、それしか考えていなかった。そうすると、5分もしないうちに青い警告灯をつけた乗用車がやってきて、ものものしい格好の男二人が窓の外に立ったのだ。
そう、香が押したのはエマージェンシーコール。警備会社に繋がっているボタンだったのだ。

窓の外から男が「マダム、どうしましたか?」と問いかけるので、香は覚えたてのスワヒリ語で「Janbo! Muzuri ya hewa (こんにちは! よいお天気ですね)」と呑気に挨拶をしたほどだ。
背後でドアがノックされたので開けると、獠が立っている。
「香、おま、なにした?」
「え?」
「その人ら、警備員だ」
「えぇ? もしかして、これ?」とボタンを指差した。
「まさか押したんか?」
「……押しました」
獠が盛大に溜息をついて、窓を開けて警備員に事情を説明した。スワヒリ語なのでよくわからなかったが、「このバカが間違って押しただけだ」という感じに聞こえた。
そしてリビングの現在に至るのだ。

高級住宅街であるが故にこそ、この辺りの家はすべてこういった防犯システムが導入されていて、各部屋にボタンが設置されているのが常なのだった。平和な国から来た香には、想像もつかない世界なのだ。

コーヒーを運んできた男は、獠の前にマグカップを置いて注いでやりながら、「獠も昔はいろんな失敗やらかしたろう? あまり女の子を苛めるなよ」と言う。
「佐山さん、俺の昔はどうだっていいんだよ。香は俺のアシスタントだ。ちゃんとしてもらわなきゃ、困る」

佐山と呼ばれた男はふふっと笑った。

「獠のお気に入りってのは本当だったんだな。そんなに怖い顔をしないでも、俺たちはこのお嬢さんを気に入ったから大丈夫だ。ほら、槇村さん、ここに座って」と自分の隣を指差した。
香が獠に視線を送ると、組んでいた腕をほどいて言われたことに従うよう、視線だけで示した。
「香、こちらはカメラマンの佐山さんだ」
「カメラと言っても俺は動くほうですよ」と佐山が言う。
「いや、佐山さんは俺の見る所、静止画の要領でたいした写真も撮るよ」
「獠に言われると嬉しいな。今や大家だから」
「よしてください。佐山さんは俺の師匠ですよ。香、あとで佐山さんのチーターの映像、見せてもらっておけ。勉強になる」
「あぁ、あれはいい作品だ。撮影技術賞もとったもんな」と岩本が口を挟んだ。
「……ほんとうに、すみませんでした」と香はもう一度謝った。いつもふざけている獠が、いつになく真剣なのだ。きっとこの人たちにとても世話になっているのだろうと、香にもわかりかけてきていた。
獠がふっと笑って、「皆さんが優しくてよかったな。今後、気をつけるように。ここは少し外れた所にスラム街も広がっている。そうじゃなくても、街中ではひったくりなんかも普通にある。日本とは違うんだ。危機管理能力が低いととんでもないことになるから。……ここで俺らはロケに出るまで2週間ぐらい世話になる。その間、お前は自由にしていいから、皆さんからいろいろなナイロビの作法を習っておけ」
「酔っぱらって大統領府につっこまない方法、とか?」と佐山が笑いながら言う。
「よしてくださいよ」と獠も笑った。香が首を傾げるので、獠は続けた。
「昔さ、酔っぱらって運転してここに帰って来ようとしたんだが、なぜかふらふら〜っと入った場所がなんと大統領府。運悪く門が開いてたんで、夜中に玄関アプローチまで侵入して、警護の人間にショットガンをつきつけられたことがあるんだ」
「ショットガン……」
「覚えたてのスワヒリ語で必至に弁明したおかげで、なんとかなった」と獠は笑った。
「一歩間違ったら銃殺されてたぞ。ここはそういう国だから。あそこで死んでたら、今の世界的フォトグラファーリョウ・サエバはここにはいないってことだな」と岩本も笑った。
岩本のほがらかな笑いに、香もようやく笑顔になった。

実はこの岩本邸に、昨年使った獠のランドクルーザーが保管されている。獠は自由に使ってもらっていいと言っているのだが、ここにはハイラックスサーフもパジェロもあるので、実際にはほとんど使用されることはない。香は、昼間であれば、このランクルを使って、どこへでも出かけて良いと言われたのだが、この4000CCの、ほとんどトラックのように巨大で、しかもマニュアルの車を運転できる自信がまるでない。だが、自分が運転できなければ全部獠が運転するのだと思うと、アシスタントたるものなんとか克服せねばと思っている。
だから香は、オフィス・シンバで自分ともっとも年齢の近い、中山というカメラマン志望の男性に、運転を教えて欲しいとこっそりと頼んでみたのだった。この中山青年は、カメラマンとしてはまだ独り立ちできず、佐山の側で技術をやはり盗んでいる。そういった似た待遇なのも、香には頼みやすかったのだ。そのうちにつきあおうと中山は快諾してくれいていた。
ダート道路の方が練習になるだろうから、ナイロビ国立公園でデートと洒落込もうと伊達男風に微笑まれたりもした。香はデートなどどうでもいいと思うが、自分がランクルを駆って、いつの日にか獠とマサイ・マラを走って、動物の撮影ができたらさぞかし楽しいだろうと想像したりした。そうしたら、いつも「つかえねぇヤツ」と言われている自分も、獠の助けになれるだろうか。

今回の撮影は、エルゴン山というウガンダ国境の山に、ゾウを撮りにいくということは香は聞かされていた。岩本氏と獠、そしてキー局から派遣されているプロデューサーの八坂の3人は、夜にウィスキーの水割りを傾けながら、地図を広げては何やら検討している。自分は聞かなくても良いのか? と香は少し思うのだが、「ナイロビを学べ」と言った獠の言葉通り、この街で一人でなんでもできるようになりたいとも密かに思ってもいた。撮影の準備はほぼすべて、この街でやっておく必要があるのだ。この首都を離れてしまえば、満足に物資調達することは難しいと香にももう分かっている。撮影が何ヶ月にも及ぼうが、現地での補給は食料以外は無理と思っておいた方がいいのだ。

香は国内での撮影にはもう慣れているし、機材の準備も言われずとも何でもできる。だが、海外ロケ、特にこのケニアは勝手が違いすぎる。正直言って、自分はほとんど役に立てていないのではと、香は思っているのだ。そんなコンプレックスも、全部、一日も早く克服したい。そうでなければ、冴羽獠のアシスタントであると堂々と名乗れないと思っている。
右も左も分からずにいた頃よりも、香は明確に「獠のアシスタント」というアイデンティティを大切にしているのだ。もっともそれは、半ば無意識なものであるのだが。

こうしてナイロビでの香の「日常生活」が始まった。オフィス・シンバでは、佐山と中山と吉田の三人で交替で食事を準備していることを知り、香もそのローテーションにいれてもらった。

「あたしもお食事当番にいれてもらいました」と獠に報告すると、「それは困った。獠ちゃん胃薬持ってきてない」と言われて、思わずハンマーが飛び出したりもして、シンバのスタッフに大笑いをされた。
「こいつはこんなふうにどんどん暴力性になってくんで、ほんとにボクちゃんこんなオトコじゃなくて、かわいい女の子のアシスタントが欲しい」と言って、二発目をくらってさらに大笑いされたりもした。

プロデューサーの八坂氏は「これ、なかなか見物のショウだね。すごく面白いよ。このハンマーシーンも今度の番組に入れたら、視聴者受けするんじゃないかな」と笑った。香は真っ赤になって慌ててハンマーを隠したりした。こんな自分を全国的に放映されたらたまらない。だから、これはあくまでも冴羽先生の品性を保つための制裁で……あたしがなんとかしないと、せっかくの先生の作品がとかなんとかゴニャゴニャと話すのを、「ふぅん」となんとなく白々しい目で見られたりもした。

スタッフの中で一番真面目な吉田青年は、「撮るとしても、この音を正確に拾うのはなかなか困難ですよ。冴羽さんがひしゃげる具体的な音がかなり面白いけれど、これを録音するためにはマイクをかなり近づける必要があるし、そうするとマイクの方がやはりハンマーの餌食になってしまいそうだ。というか、冴羽さんがしょっちゅうこんなんじゃ、予備マイクがいくつあっても足りませんね。いや、潰れても壊れないように何か特殊加工した方がいいのかな?」と潰れた獠の横に膝をついて、顎に手をおいてひどく真面目に考え込んだりもした。
「そんなことより、ハンマーどけて」と獠が涙声で言うと、「100トンなんて、僕には持ち上げるのは無理ですよ」と放置されて獠はさらに泣いた。

日中だけ通いで来るハウスキーパーのメアリーとも、香はすぐに仲良くなった。メアリーはキクユ族の出身で、ここにオフィス・シンバが開かれてからずっとこのうちの面倒を見ているという。彼女の仕事は掃除と洗濯で、料理はよっぽどでないかぎりしない。彼女の仕事を手伝いながら、香はスワヒリ語を学んだ。「洗濯物を丁寧に扱う」というのがメアリーのポリシーのようなのだが、ジーンズまできっちりと折り目をつけてアイロンをかけるのを、香は「それはどうなんだろう?」と実は首を傾げるが、自分が口を出すことではないと思って黙っている。

この家の人間が履く不思議なジーンズに気づいた獠は、すぐに香を呼んだ。
「香、俺のジーンズ、お前が管理しろ」
「なんでそんなこと、あたしがしなきゃならないんですか! あたしは召使いじゃないんですよ!」ともちろん即抵抗した。
「んなこたぁわかってるが、俺はどうしても折り目のついたジーンズなんて履きたくないんだよ、美学に反する」とそっぽを向いていうのだ。
香はこういうことにも、渋々従ってしまう。甘い、甘過ぎると思いながらついつい言うことを聞いてしまうのだ。結果、「”メアリーのアイロンという魔の手”から先生のジーンズを死守する」というミッションを自らに貸し、それを不自然でなく実行するには、自分が獠の洗濯物を全部やればいいのだということに、なぜか落ち着いた。
「先生の洗濯物は、私が」とメアリーに言うと、「ンケヤバーデヤですものね」とケラケラと笑われた。
スワヒリ語の意味が分からず、辞書で調べると”nke ya baadeya” というのは、「未来の妻」だと分かって、一人赤面したりした。
ーーーやだ、なんでこんなことで私ってば赤くなるのよ!

「香、ちょっと来い」

辞書を開いて座り込んでいたら、ドアの外に獠の声が突然聞こえて、香は慌てた。「妻」の部分が開かれた辞書を慌てて閉じようしたら、なぜか勢い余って辞書が飛び上がってばさりと床に落ちた。

「はい、すぐ行きます」と辛うじて返事して、香は急いで部屋を出た。

リビングに顔を出すと、佐山と獠が向かい合って座っている。

「香、ここには暗室があるんだ。この前KLで撮ったヤツ、現像してこい」
「今ですか?」
「そ」
「フィルムがまだだいぶ残ってるんですが」
「いいから。言われたらすぐ現像」
「はい」

現像室の場所を聞いて、香はフィルムを一本、大急ぎで焼き付けた。この家にきてすぐ、庭にカメレオンがいるというので、慌ててとった写真も一緒だ。
およそ一時間後、香は写真を持ってリビングに戻った。

「貸してみ」と獠が右手を差し出すので、そのまま渡した。四つ切りサイズで焼くようにいわたので、その通りにしてあった。

獠が一枚ずつ捲って、最後のカメレオンの写真をしばらく見つめたあと、佐山にそのまま渡した。獠はテーブルの上の煙草の箱から一本をとって、それを咥えてやはりテーブルにあったライターで火をつけた。

「先生、煙草、吸われるんですか?」
「久しぶりだ。とうの昔にやめたが、たまにはいい」

そう言って煙を吐き出した。

「どうです? 佐山さん」

問われた佐山が顔をあげた。

「槇村さん、まぁ立ってないで座って」というので、獠の斜め向かいに腰掛けた。

「これはマレーシアで?」
「はい。先生に言われて、ペトロナスツインタワーを撮りました」
「槇村さんはカメラを持って何年目?」
「遊びみたいに持ってからはもう10年になりますが、ちゃんと勉強を始めてからは6年になります」
「ん。獠の言いたいことがわかったよ。獠はどれが一番だ」と今度は獠に問いかけた。
「これですね」と獠が引き抜いたのは、庭先のカメレオンだ。
香はえ?っと思った。石に躓きながら偶然シャッターを押してしまい、カメレオンがまったくおかしな角度で写っていて、しかも尻尾が切れているのだ。
「俺もこれが一番だな。カメレオンの目に見事に焦点があっている。そして画面全体に動きがある」
ーーーだって転びそうになりながら撮ったんだもの! 焦点があっているのは、オートフォーカスをオンにしていたからにすぎない。まったくの偶然だ。そんなに他の写真ダメ? と香は思った。

実は、これまで香は獠から写真の講評をうけたことがない。必ず全部チェックするのに、一言もないのだ。

「勉強し過ぎだな」と佐山は言ってさらに続けた。
「構図に捕われ過ぎている。このツインタワーのは特にそうだ。学校で習った構図をそのまま意識しているでしょう?」
図星だった。どうしても獠に褒められたいという思いが働いて、勉強してきたことすべてをフィアンダーを見ながら考えてしまうのだ。

「俺も同意見だ。この一年、お前の撮ったもんを見てきたが、どんどんその傾向が強くなってる」

香は下唇を強く噛んで、膝の上で両の手を強く握りしめた。何も学べていない、そう言われているのだと思ったから。

「だが、あの写真はよかったよ、お前の初チーター。あれで俺はお前にアシスタントを任せてよかったと思ったんだ」

そう言って、机に置いてある封筒から一枚の写真を取り出して、佐山に見せた。

「これが、一年前の香が撮ったチーターだ。とても、いい」

獠は静かにそう言って、写真を前に滑らせた。
サバンナに沈む夕陽を背景に、斜め横からのチーターが写されている。画面を大きく右上から左下にチーターのほぼ全身が収まっていた。一瞬何かに気をとられたのか、こちらを振り向いた瞬間で、口許には食事の後も生々しく血がついている。だが、その赤はなぜか何か神聖性を帯びているような雰囲気なのだ。

「逆光であるのを、うまく活かしている」と佐山が低く呟いた。

「たぶん、香はそんなことさえ何も考えずにシャッターをきったんだ。違うか?」

先生が、自分の写真を師匠と呼んだこの佐山という人に見せるために、わざわざこのナイロビまで持ってきてくれていたことが、まずは嬉しかった。そして、何も考えずにーーー確かにその通りだった。ただただ、チーターが美しかったから、夢中で撮った写真だ。それが伝わっているーーー香の目から、思わず涙が溢れた。

「おい、泣くやつがあるか」

涙に気がついて、獠は慌てて煙草の火を消した。

「カメラ機材っていうのはさ、時代に応じてどんどん進化してくもんなんだ。だから、技術がなくてもある程度のもんは誰でも撮れる。なのに、プロとアマの違いがあるのはなぜだ?」
「……心、ですか?」
よく分からなかったが、香はなんとか答えた。
「違うな。金貰ってるかどうかだ。プロは金をとり、アマは自己満足。あとは技術的な垣根はない」
香は顔をあげてマジマジと獠を見つめた。
「どうした? がっかりしたか?」
「いえ……だって、先生はいつもファインダーを覗きながら、動物に話しかけてるじゃないですか」
「それは、俺がやつらの心を知りたいからだ。心があれば、だがな。そしてそれを一枚の写真に収める。俺は正式に写真やカメラの勉強をしたことは一度もないんだ。だから全部自己流」
「え?」
「だが、獠がカメラを初めて持ったのは4つか5つだろう? それからずっと撮り続けてる」と佐山が口を挟んだ。
「まぁね。だが今はその話はいい。香、お前は良い素質を持ってると俺は思う。だが、それでプロになれるかどうかはわからない。さっき言ったように、俺の側にいたことで素質がかえって眠ってしまったから。だから、ここからはお前が考えろ」
「考えるって?」
「俺はさ、プロになりたいやつは、ちゃんとプロにしてやる主義なんだ。それでうちのスタジオを踏み台にさせてる。俺の名前を使いたいような見下げた根性のヤツは俺は嫌いだが、俺から技術を盗んで一人立ちしてくやつは、大歓迎さ。商業分野をやってるのは、そのせいもある。コマーシャルの世界のが向いてるやつもいるから。だが、香はどっちが向いているのか俺にも判断がつかない。だから、今後のことは自分で決めろ」
「それは……まさか、アシスタントをやめろと言うんですか?」
「それも含めて、お前の権利だと言っている。どっちつかずでいるのが一番よくないから。まぁ、今回の撮影は今から降りられては困るが」
「先生……」
「結論は急がなくていい。だが、お前の将来がかかっているということは、よく自覚して考えておけ。話は以上だ。部屋に戻っていいから」
ここを立ち去れ、と言われた気がした。
香はよろよろと立ち上がった。

「獠、お前、あの子にあんなこと言ってよかったのか? アシスタント、やめちまうかもだろう?」
「……それも仕方ないことです。プロになりたいなら、俺の側にいてはあいつのためにはならないから」
「相変わらずだな。お前はどうなんだよ? ずいぶんと彼女と楽しくやってるようじゃないか」

獠はそれには答えずに、二本目の煙草に火をつけた。

「だんまりか。判断がつかないのは、私情がはいっているからだ。彼女の将来のことを無視してでも、自分の側に置いておきたい気持ちがあるから」
「んなわけありませんって。あんなオトコオンナ」

煙をゆっくりと吐き出した獠を、佐山は興味深く見つめる。
いつもこういう男だ。才能ある人間を見つけると、自分を二の次にして旅立たせるーーー
この男の経験がそうさせるのかと、佐山は目を細めた。

8年前、雨季のマサイ・マラで二人は出会ったのだ。獠は、自分の写真に限界を感じていた。当時まだ23歳だったが、小さな賞はすでに受賞していたし、それこそ「金をとれるプロ」になった頃で、いきなりのスランプに陥っていたのだ。そのスランプを救ったのが、岩本であり、佐山だった。この二人に出会わなければ、自分の写真家としての人生はあの場で終わっていたと獠は思っている。

国際賞をとって自分の名が売れ始めたとき、獠がまず考えたのは、自分のような写真家を目指す人間をより多く世に出そうということだった。いきなりフリーランスでは大変なのだ。だから、スタジオを作り、自分の名でもって仕事をとってくるというシステムを作り上げた。技術的な垣根はないと香に言った言葉は本物で、きっかけさえあれば多くの人間が「プロ」になれる。そのためには、多少あくどい方法を使う広告代理店ともうまくやっている。

一瞬、なかなかグラマラスな辣腕アートディレクターの端正な顔が浮かんだ。女はああいう、モッコリ美女に限る。今度こそ絶対に口説き落とそうと思った所で、いろんな考えを振り払った。


***


香は部屋に戻って、ベッドに倒れ込んだ。
言われたことすべてが図星だった。
獠の顔が浮かんだ。あんなに真面目に話す獠をはじめてみた。自分がハンマーを使うようになったから、疎ましくなったのかな? とちらっと思った。

あたしに、いったいどうしろっていうのよ……。



ーーー続く

ブルーマウンテンに輝く星2

#ピクシブ連載中の長編パラレルです。CH味ゼロですので、ご注意を!

2. 被写体を愛しましょう。

翌朝、ロビーで獠は新聞を読みながら香を待っていた。

「先生、すみません。遅くなってしまって」
「構わないが、なんだ、おまえ風邪ひいたんか?」

少し鼻声なのに、獠がすぐに気がついた。

「いえ、大丈夫です。ちょっとエアコンが効きすぎてたみたいで」
「どうせ腹だして寝てたんだろう。マレーシアは結構どこもエアコン強めだから、気をつけろ」
「はい」
まったくいつも子供扱いしてと香は思うが、いつものように言い返す元気はなかった。実は少し熱っぽい気がするのだ。だが、プロカメラマンのアシスタントが病気で仕事ができないなんて、あってはならないことだと香は思っている。
獠はしばらく香を見ていたが、新聞をラックに戻すと「飯、行くぞ」と玄関へ向かったのだった。

この日、昨夜のバティックワンピースではなく、Tシャツにジーンズという、いつもの仕事着を選んだ。ただ、足下はやはり登山靴ではひどいだろうと、昨日のフラットシューズを履いている。
昨日と同じ屋台で食事をした。ミースープアヤムという汁麺を二人ともが注文し、獠はそこに大量の唐辛子と大量のライムを絞った。香は初めてなので、出されたままを食べたのだが、これが美味しい。ミーはビーフンのこと、スープはそのままスープ、アヤムは鶏。鶏はソボロとまるでチャーシューのような鶏胸肉がデンと載っている。食欲もちゃんとあるから大丈夫、と香は安堵していた。
食後に獠が店員を呼んで、何かを追加注文している。コピがどうのと、マレー語まじりの英語だ。先生はマレー語も分かるのか、と香はぼんやりと思った。しばらくすると、黒い液体と白っぽい液体の二つのグラスが運ばれて来て、白いほうのが香の前に置かれた。
「なんです? これ」
「カカオ水。天然物だと。飲んどけ」
カカオ水は夏バテ気味の時など、体の熱を冷ましたいときによく飲まれる。獠は何度かこの国で撮影をしているが、そのときに現地の人から教わった健康法だった。なんだかダルそうにしているアシスタントには、これがいいだろうと注文したのだ。
「相変わらず甘いなぁ」
獠自身は、黒いドリンク……コピ、つまりコーヒーを飲んでいる。香がずるずるっとストローでカカオ水を飲みながら首を傾げた。
「甘いコーヒーですか?」
「あぁ」
「珍しいですね、先生が甘いコーヒーなんて」
日本ではブラックコーヒーをがぶ飲みなのだ。スタジオでは決まって、「ちゃんと豆から挽け」と煩い。香も時々、急ぎのときに淹れさせられる。「もたもたすんなよ、早く淹れろ」と急かされると、グラインダーの取っ手を力一杯まわしながら、「あたしは、コーヒーを淹れるためにここにいるんじゃない!」と目を三角にしながら、大量の豆を挽いてしまうのも香の常だった。
「郷に入っては、ってやつ。こういう気候だと、甘ったるいコーヒーも悪くないんだ」と空を見上げた。
「ナイロビだって赤道に近いのに、ずいぶん気候が違うんですね」
これから二人が向かうケニアの首都ナイロビは、南緯だいたい1度、大雑把意に赤道直下といっていいだろう。
「あそこは標高1600mあるからな。ところで、クアラルンプールっていう名前の由来は?」
香は首を左右に振った。
「クアラは三角江、ルンプールは川って意味がある」
「川が……合流する場所?」
「その通り。他にもクアラ・セランゴール、クアラ・トレンガヌとかいろいろある。そういうクアラなんちゃらの地名は、大抵、水辺だ。この街にも、由来になった川の合流点が実際に存在する。海は遠い感じがするが、実は西側にはマラッカ海峡がすぐそこだ。だからここは標高100mにも満たない。同じ赤道直下でも、ナイロビとは標高差1500m。この差はでかい」
確かに、ナイロビは一般に「アフリカ」というイメージから想起されるよりも、ずっと涼しく過ごしやすい場所なのだ。
「先生はマレーシアも何度も?」
「何度目かな。初めては確かボルネオだ。オランウータンを撮りに来た。半島は、北部の方にトラを狙いに来たことがあるが、失敗だった」
「先生でもそんなこと、あるんですね」
「そりゃあるさ。トラは特に難しい。いつか撮ってみたいが……さて、飲んだのなら出かけるぞ」と機材バックを肩に下げて獠は立ち上がった。

ブキピンタン駅でモノレールを1駅だけ乗り、ペトロナスツインタワーを望む駅に降り立った。地図など見ずとももう見えているのだからその方向にただ進んでいくだけだ。午前中というのにすでに気温が高く、香もじっとりと汗をかきながら、獠の背中を見て歩く。今日は三脚を持っていないが、ズームレンズなど諸々で7キロ程度は担いでいるはずだ。それを左肩に一カ所で支えているというのに、その背中はいつもピンと伸びていて、傾いでいることはない。身長は190cmぐらいだろうか? かなり長身の部類との自分と並んでも、いつも見あげなければならないーーー

香は高校生の頃はすでに男子の同級生並みの身長があり、実はこれが密かなコンプレックスでもあった。身近な兄が自分より長身でよかったと、心の底から思っている。だからというわけではないが、男性とつきあったことはない。特にそういうことにも興味なく生きてきたと言った方が正確だろう。ただ、目の前のこの男から、いつも「男の子」呼ばわりされるのは、実は、少し、いや、かなり悲しく思っているのは事実だった。女っぽい自覚はそもそも全然ないのだが、スタジオの美人で色気を振りまくカメラマンの麗香や、清楚なお嬢様風のかすみを見ていると、自分が獠の目からは「男の子」なのだと思うと小さくため息をついたこともある。
だが、と思うのだ。自分は獠の傍にいて、その技術を盗みたい。この世界的なフォトグラファーの仕事を、誰よりも身近でこの1年間見て来たのは自分だ。知れば知るほど、自身の写真家になりたいという夢が遠のく気がするほど、男の背中は大きい。でも、だからこそーーー

目の前を歩いていた獠が急に立ち止まったので、香はその背中にぶつかりそうになって、つんのめるように足を止めた。
獠はそれを気にするでなく、バックから愛用のCANON EOSを取り出して、眼前の双子のビルに向かってカメラを抱え、パシャリ、パシャパシャとシャッターをためらいなく切った。
「香、おまぁも、ここで一枚撮っとけ。あのビルを」
「ここで、ですか?」
「そ」
香も慌てて自分のカメラを取り出した。香のカメラはNicon F4だ。撮れと言われれば撮るしかないが、今歩いている街路の建物が邪魔になって、うまくツインタワーが入らない。しばらく立ったり座ったり街路の隅っこにいったりしてレンズを向けて、なんとか10枚ほど撮ったところで、獠が「いいだろう」と声をかけて、またズンズンと歩いていく。
説明がまったくない男、いつもこんなだと香はふて腐れる。

それにしても、こんな都会の街中に本当にサルがいるのかと、香はだんだんと不安になってきていた。
まさかまた何か担がれているのでは? と思うが、ちゃんといつもの撮影機材が揃っているのだ。やはり、まともな撮影なのだろうと思うしかない。

15分ほど歩いてようやくツインタワーに到着した。まだ最上階の工事が続いているようだ。低層中層階はいつでも商業施設として使えそうだが、まだ全体開業にはいたっていないようだった。
獠は塔を(まさしく”塔”に思えたのだ)、見上げるようにカメラを構えて何気なくシャッターをきった。そうしてあたりをぐるりと見渡して、ゆっくりと歩き始めた。多くの人間が行き交う中で、獠の気配が何か際立った気が、香にはした。いつもそうなのだ。本物の撮影に入る前、冴羽獠はさらに寡黙になり独特のオーラを発する。今がまさにそのときだった。

香は付かず離れずの距離を保って後ろをついていく。ツインタワーに隣接する公園が近づいたところで、獠は200mmの望遠レンズを取り出して、残りの機材バックは無言で香に差し出した。それを香もそのまま受け取るが、その重さに一瞬腕が沈む。獠はどこか一点を見つめて、香に視線を送ることはない。レンズを装着し終わると、片膝をつくようにそこに腰を下ろしてカメラを構えた。突然座り込んだ男に、周囲を行く人間が一瞬驚いた視線を向けるが、獠自身は意に介した風ではない。ファインダーの向こう以外は何も目に入っておらず、耳にも届いていないのだろう。

香も固唾を飲んでそんな上司の背中を見つめる。湿度が高く、すぐに手に汗が滲む。鞄を持つ手に力が入る。周囲に目をやると、警備員らしき人影が香の視界に入った。片膝をついてカメラを構える獠の周りからは、自然に人が離れている。足を止めて、その獠を見つめる人々が増えつつある。警備員は気にした風でなく近づいてくるので、香は急いで駆け寄った。

「すみません、少しだけ。今、シャッターチャンスなんです。彼はプロのカメラマンです」と英語で言って、ネームカードを差し出した。表面にはただ、”Ryo Saeba”と名前だけ、裏を返すとPhoto and Video-grapher Ryo Saebaとあり、その後にこれまでの受賞歴と主催するスタジオの住所が印刷されている。
でっぷりとした警備員はカードを胸ポケットにしまって、無言で香の横で獠を見守った。このとき、獠の視線の先にあった一本の木の枝に小柄なサルが姿を現し、枝の上であたりを見回したかと思うと、ビルに続くスロープ階段の手すりの上に、ちょこんと飛び降りた。獠の左手が望遠レンズにかかる。サルはキョロキョロとあたりを見回し、腹をこちらにみせながらのんきに毛繕いを始めた。

「いいこだ。よく来てくれた」

獠が小さく呟いたのが、香の耳に届いた。10秒、20秒・・・・30秒は数えなかっただろう。枝を揺らしてもう一頭のサルが姿を現し、躊躇なく最初の一頭の隣に腰を落ち着けた。
ニホンザル程度の大きさだか、色がだいぶ黒っぽい。見ている香にも、なんというサルかはさっぱりわからなかった。

獠は超高層ビルの脇で暢気にグルーミングを始めた二頭のサルにレンズを向け、何度かシャッターをきった。そして静かに立ち上がると、ゆっくりと近づいていく。あと3メートル、といったところで足を止め、今度は立ったままファインダーをのぞいた。

「美しいカップルだな」

そう呟いて、シャッターは切らずにビルから離れるように数歩移動して、躊躇なく地面に寝転んで地面から二頭のサルにレンズを向けている。獠の口角がゆっくりとあがったのを香は見た。いつもの冴羽獠の撮影スタイルだ。ファインダーの中に何かを見つけたとき、獠はこうやって微笑むように口角をあげて、シャッターをきる。何枚か連続して撮影し、獠はそのまま上体でけ起こして地面に座り込んだ。ほう、っとため息をついたのが香にも分かった。溜息は撮影終了の合図だ。
香が、先生おつかれさまでしたと近寄ろうとしたところ、長身の女性がハイヒールの音をさせながら獠に近づいていく。

「あなた、フォトグラファーのRyo Saebaね?」と、女は少し癖のある英語で獠に問いかけた。

獠は視線を女に移し、「わぉ、極上のモッコリちゃん。ボクのこと知ってるの? 嬉しいなぁ。モッコリバストだぁいすき」と(これは英語だったが香には全部わかった)、俊敏に立ち上がって女性の腰を引き寄せようとした。瞬間、この空間にはありえないはずの物体が、轟音とともに獠を押しつぶした。二頭のサルは驚いて猛スピードで木に乗り移って姿を消した。人々の視線は男を押しつぶした物体と、それを振り下ろした人物に注がれている。
「国際的に恥を晒すな!」と書かれたそれは、100トンのハンマー。
獠は咄嗟にカメラだけは守ったが、自身はハンマーの下敷きで満身創痍の状態だ。

「な、なんで……」と獠は項垂れた。


***


「香ちゃん、あれってどうやってだすの?」

氷の入ったビニール袋で頭のたんこぶを冷やしながら、獠は虚ろな目で香に問いかけた。ここはKLIAのゲート8の待ち合いロビーだ。
香はあのあと、よれよれの上司をタクシーに押し込め、ホテルで荷物をピックアップし、この空港に向かったのだった。

「どうやってって…本当にすみません。勝手にカラダが動いて。だけど、先生が悪いんです。どこでも美女とみるとモッコリで……あんなのじゃ、先生の作品の価値が貶められます」
「香、俺は常々言ってると思うんだが、写真っていうのはさ、見る人がそこから何かを感じればそれでいいんだ。撮ってる人間は関係ない。俺は現実を切り取ってるだけ」
「だけど…先生の写真は特別です……今日のおサルさん、知ってたんですか?」
「KLではまだ街中でも普通に野生のサルがいる。あの双子のビルに時々現れるのは、ネットで知った……いいのが撮れたよ。”都会の小さな恋人”、メモしといて」
獠は目を閉じてソファーに深くもたれた。
「氷、もっと貰ってきますか?」
「いや、いい」と言ったところで、獠を呼び出すアナウンスがかかった。急ぎトランジットカウンターに来いという。
「なんだろな。預け荷物になんか問題でもあったか。香も一緒にこい」
そう言ってゆくりと立ち上がった。

「サエバ様、私どものミスでオーバーブッキングが発生しております。申し訳ございませんが、ビジネスシートへお移りいただいてもよろしいでしょうか?」
エミレーツ航空の大美人のグランドスタッフは、獠に微笑みかける。
「構わないが、アップグレード料金は払わないぞ?」
「もちろんです。オープンチケットのお客様にそんな失礼なことは。ですが、お連れ様のデニムは、着替えていただく必要がございます」
獠は香を振り返った。
「香、ビジネスクラスに移動するのに、オトコのお前には不本意だろうがお姫様な格好をせよと言われてるぞ?」
何か余計な説明が入っている気がするが、ハンマーで潰してしまった負い目で香は不問にした。今回だけ、見逃すと心に決めて。
「お姫様?」
「デニムはダメなんだと」
獠はというと、白のシャツにブルーの麻混ジャケットごと腕まくりのチノパンだ。とても、ビジネスマンとは思えない格好なのに、自分のデニムがダメと言われるのがよくわからない香だが、「どこの女優かモデルか」といったふうな完璧な美人のグランドスタッフを見ると、中東というところはいろいろときまりが厳しいのかもと、なんとなく思った。
手荷物で「お姫様っぽい」服と言われても、スカートの類いを持っていない香は一瞬困惑するが、昨晩、獠が買ってくれたワンピースを思い出した。
「袖がないし膝丈だけどいいですか?」と獠にきくと、獠はその通りを確認して、「問題ないそうだ」と航空会社の了解をとった。

人生初のビジネスクラス。
本当にシャンパンが出てくるんだ……と香はウェルカムドリンクにと自動で出てきたシャンパングラスに口をつける。一緒にご丁寧にもキャピアまで添えられていて、「たいしておいしくないのね」なんて思いながら、クラッカーと一緒に齧った。
獠は離陸までは隣に座っていたが、すぐにアテンダントを捕まえて、何事かを耳元で囁いて笑わせていたかと思うと、シート移動の許可をもらったようで別の席に移って3シートを占領している。
エコノミーは満席ということだが、ビジネスクラスはがら空きなのだ。だが、ファーストクラスは満席。こんなふうに、石油王がゴロゴロいるような国に向かう飛行機は、どこか不思議な雰囲気に満ちている。アテンダントは全てヨーロッパ人で、中東系のスタッフは見当たらなかった。

初めてエミレーツ航空に乗ったとき、「地元採用ってないんですかね?」と香は獠にきいたことがある。
「アラブの女性が、外で働くっていうのは大変なことなんだよ」とポツリと言われた。宗教的戒律が生活の中に生きる国では、いや、違う、宗教そのものが生活となっている国では、女性は教育を受ける権利も、職業を自由に選ぶ権利も、著しく制限されているのだと、香もその後で少し勉強した。世界は広く、様々な価値観と決まり事に支配されている。世界をまたにかけて活動する獠は、そういったことには実は敏感なのだとも香は知ったのだった。剛胆なようで、意外と繊細なのかもと思ったが、CAを口説きまくっている姿を見て、「いや、コイツはただのスケベにすぎない」と何度思ったことか。

ドバイまでの7時間、香はうつらうつらと眠りがちに過ごした。シャンパン一杯で酔っぱらったわけではなかったが、やはり少し風邪気味なのだった。食事もすっ飛ばして眠っていたらしく、目を覚ますと「お食事の用意がございます」という札が目の前にぶら下げられており、頼んだ覚えのないブランケットが身体にかけられていた。

食事をお願いするか、とアテンダントコールのボタンを押そうとした所で、機内アナウンスが入って、「当機はまもなく着陸態勢に入ります」と告げた。そんなに眠っていたのかと香は自分でも呆れるが、眠気は一向に去っていない。
ドバイ空港に降り立っても、この眠気は立ち去る気配がなかった。トランジットは一時間半、今度は予定どおりのエコノミーシートだ。

「香、そろそろ起きろ。時間だ。涎たらしてるぞ」

そんな声で一気に意識が覚醒した。よだれ? と思った所で、自分がラウンジのシートで、あろうことか上司の膝枕で寝ていることに気がついて飛び起きた。

「す、すみません!」
頬に血が昇った。膝枕してもらったうえに涎をたらしたの? あたし?? と口許を拭ったが、涎の跡は感じられず安堵した。
「時間遡って移動してるから、キツいんだろう。構わないさ。だが、おま、へんな寝言言ってたぞ。意外とスケベなんだな」と獠はクツクツと笑う。
「寝言なんて、そんな!」
ついさっき飛行機を降りて、次の飛行機の待ち合いにきたはずだと香は思う。
「機材繰りでディレイしてる。2時間は寝てたぞ」とさらに獠はクツクツと笑った。
「すみません」
「だからかまわんて。まぁ、もっと美人のモッコリちゃんに膝は貸したい所だがな。さぁ、あとひと頑張りだから、行くぞ」と獠は立ち上がった。
香もよろよろと立ち上がった。バティックのワンピースの左半身に寄った皺が、「二時間寝てた」をしっかり証明しているようで、香は溜息をついた。

夕方にKLを飛び立ったのに、ドバイ国際空港はまだまだ日が高い。4時間の時差を移動してきたのだ。ここからナイロビまでは、さらにおよそ5時間のフライトだ。ここから飛行機は一回り小さくなる。アラビア半島を超え、アフリカ大陸を南下し、東アフリカの玄関と言われるジョモ・ケニヤッタ国際空港へ。香は最初にこの空港名を聞いたとき、正直、「へんな名前」と思ったのだ。だが、この空港名は、ケニア独立の立役者であり、建国の父と言われる初代大統領の名に由来する由緒ある名前だ。ジョモとはスワヒリ語で光を意味する。ケニヤッタは語感から想起される通りの「ケニアの」。ようするに「ケニアの光」という意味だ。
19世紀にヨーロッパに蹂躙されたこの国は、長らく「イギリス領東アフリカ」と呼ばれた。20世紀の半分以上を費やして、この国は独立を勝ち取る。その中心的な活動を率いた人物は、実名を捨て「ケニアの光」と自らを称したのだ。この人物の影響は大きく、現在でも複数のケニア紙幣に肖像画が採用されている。

香はこの国に実際に来るまで、ケニアという国をまったく知らなかった。いや、2度目の今もほとんどわからない。野生動物の宝庫、ぐらいしか印象がない。だが、この国には多くの民族がいて、いろいろな問題を抱えているのだということは、少しずつ感じ始めていた。

国際空港というには簡素な空港で、荷物を無事に受け取って出口を出ると、すぐに「冴羽ちゃん、こっち!」と大きな声で呼びかけられた。声の方向に視線を送ると、テンガロンハットを粋に被った50がらみの男性と、香とそう歳は違わなそうな青年が佇んでいた。

「岩本さん、また世話になります」と獠がカートを押していく。
「うん。よくきた。だが、今日はちょっと街がヤバいんだ。昨日から銀行ストにはいってる。だから寄り道せずに真っ直ぐ帰るよ?」
「かまいません。アシスタント君がちょっと疲れ気味なんで、休ませたい」と獠は背後を振り返った。
「あぁ、キミが噂の香嬢か。噂はかすみさんから聞いてるよ」とニヤリと笑って、獠の耳元に口を寄せて「ずいぶんとご執心だそうじゃないか」と囁いた。
「やめてくださいよ。こんなオトコオンナ」
そう言って香を振り返った。
「香、こちらが今回いろいろお世話になる岩本さん。オフィス・シンバの社長さんだ。それと、こちらの青年がスタッフの吉田君。音響のプロだ」
香は一歩進み出て、「槇村香です」と折り目正しく挨拶をした。
岩本と吉田の二人は、香を見て驚いている。冴羽獠がアシスタントを固定したということは、麻生かすみから連絡を受けていた。だが、こんなーーー赤を基調としたワンピース姿は、スラリとした手足と肌の白さを強調しているーーーこんな華奢な美人を、この男は本当にアシスタントに採用したのか。意外すぎる、と二人は思っていた。

長い付き合いの岩本が知る限り、獠はアシスタントを使わずに撮影していたはずだ。正確には、何人か見込みのありそうな男性スタッフを抜擢したことがあるが、皆途中で逃げ出したのだ。あまりに過酷な現場に躊躇なく足を踏み入れ、ロクに指示もせずにただ働かされる、さらに、「何も教えてくれない」と怒っていた若者もいた。岩本はテレビマンなので、そんな甘っちょろい考えでは獠のようなフォトグラファーの助手は務まらないだろうと分かっていたので、獠に何かを言うこともない。それに、所詮写真家は一人でやるもので、獠は助手などいなくともやっていくのだろうと思っていたのだ。
岩本は改めて、槇村香に視線を送った。いや、間違いなく美人だ。こりゃぁ大変だとなにか笑いが込み上げそうだったが、ぐっと堪えた。

オフィス・シンバ、この会社は本社は東京の新宿にあるが、スタッフのほとんどがナイロビに常駐している。社長の岩本氏は、かつてキー局で動物を主題とした人気クイズ番組のディレクターも務めた遣り手だ。12年前に独立をして、アフリカ大陸を中心に動物の映像を制作する会社を立ち上げたのだった。ナイロビを起点とすることで、制作費が抑えられるのだと岩本は説明するが、単に遊び好きが昂じて日本が居心地が悪いのだろうと獠は思っている。
獠が初めてこの国に来た時、この岩本氏に実は多いに助けられたことがある。もうカメラを捨てよう、そう思って臨んだ最後のマサイ・マラで、カメラ人生を大きく変える出来事が獠に起こり、結果、その写真が国際的な賞を受賞したのだった。
以降、獠はこの国に来る時には岩本氏を表敬訪問するし、仕事をともにすることもある。今回は、岩本氏の提案で、とある番組の映像制作に獠が参加することになっていた。参加、というか冴羽獠を呼ぶという岩本氏の提案に、テレビ局側から「あの写真家を呼ぶなら、番組コンセプトを冴羽獠中心のものに変える」とまで言われて、特別にプロデューサーが送り込まれてもいる。テレビ露出があまり好きではない獠だが、すでに決まっていた撮影対象の動物に心を惹かれ、やってきたのだった。

吉田青年の運転するハイラックスサーフで、すでに暗闇の中に沈んでいるナイロビの街を走り抜け、ウェストランド地区にあるという岩本邸に向かった。
夜目にも大きな邸宅だった。門扉にはちゃんとガードマンがいる。白い家に招き入れられると、物が溢れかえった男所帯だ。部屋はたくさんあるということで、香はちゃんと一部屋を与えられた。スーツケースを部屋に押し込んでぼけっとしていると、部屋がノックされた。

「吉田です」
「あ、はい、どうぞ」と香は立ち上がった。ドアを開けると、吉田青年がお盆にミネラルウォーターと薬の瓶(日本の「新ルルA錠」だ)を載せたものを持って立っている。
「冴羽さんが、薬飲んで今日はとっとと寝ろと。口調は冴羽さんの言った通りなんで、すみません」とお盆を差し出した。
「先生が……」
「他にもスタッフがいるんですが、それは明日ご紹介します。それと、今、ちょうど断水時間なんで風呂が使えないんです。それもすんません」
「大丈夫です。ありがとうございます」とお盆を受け取った。この国では、というか、冴羽獠と行動をともにする限り、風呂に毎日ちゃんと入ろうなんてことが、甘い考えなのだと香ももう学習済みだった。

飛行機の中でライトミールを食べたので、空腹感はない。
確かに少し風邪気味で、それが見事に上司にバレているのが悔しいと香は思う。
明日からは忙しくなるだろう。言われた通り、薬を飲んで寝よう、と香はミネラルウォータのキャップを開けた。



ーーー続く

ブルーマウンテンに輝く星 1

1 まずは構図を決めましょう。



香が家に帰ると、兄はすでに帰宅していた。

「アニキ、珍しいじゃん」

独立事務所でフリーランスで広告ディレクターをやっている兄の秀幸は、休み概念など無縁の忙しい毎日なのだ。

「たまにはな。お前も珍しいじゃないか」
「うん。なんか疲れたんで、早めにあがらせてもらった」
「……なんだ、また出張か?」

香が草臥れた雰囲気になるのは、めちゃくちゃな上司の出張に振り回されているせいだと秀幸は思っている。
だが、その上司が冴羽獠……。
香の夢はプロカメラマンとして独り立ちすることだ。だから、SAEBA STUDIOで経験が積めるのは妹にとってとてつもないキャリアだと、秀幸にも分かっている。何しろ、自身も写真家を目指した時期があり、そして広告マンとして仕事をしている今も、冴羽獠の作品には感心を持ち続けているのだから。端的に行って、秀幸は冴羽獠の写真が好きだ。被写体に魂が宿っていると感じるからだ。ただ写し取るのではなく、そこにある命そのものを掬いあげようとするような迫力を感じる。
だから、その冴羽獠に振り回されている妹に、転職したらどうだとはなかなか言い出せないでいる。初めての海外撮影で疲労困憊になって帰ってきた香を見て、心底心配もした。だが、その後発表された「疾走するダチョウ」を見て、この仕事に妹が関わっているのを、止めることはできないとあらためて思ったのだった。

それは、国際的な自然系雑誌『National Landscape』の表紙と巻頭特集を飾った作品だった。撮影地はケニア北西部ということで、一般にはあまり耳慣れない、礫(れき)砂漠と呼ばれる、簡単に言えば岩石がれきが散らばる黄色い大地を、2頭のダチョウが競い合うように駆けている。遥か遠くにアカシアの大木がそびえ、そしてその向こうには蜃気楼が揺らめいている。その揺らめきさえもが、写真から伝わって来るようだ。
このダチョウはいったい何を求めて走っているのだろう? と思わず考えてしまう構図なのだった。そして、ページを捲るとそこには、砂漠に忽然と湧く泉に集うウシやヤギなどの家畜の群れと、その群れを蹴散らす勢いのダチョウがいる。抜けるような青い空に白い雲、泉の水面にその空の青と雲の白が映し出されている。そして牧童たちが身につけている衣服の赤の鮮やかさが目をひく。レンズの焦点はダチョウに見事に合っていて、その黒い羽の筋まで見えるほどなのに、カメラを見つめたであろう牧童の少年と思わず目があう。それに気づくと、なぜか目をふせたくなるーーー
アフリカの乾いた大地で、命の源の「水」に集う、ダチョウ、家畜、人が見事にそこにいた。野生、半野生、そしてそれに対峙する人のコントラストが青、白、赤の世界で対比されている。そこにはまぎれもない、「命」の営みがあった。

冴羽獠の作品では、かつてラッセルブラッド国際写真賞を受賞したものが、日本人としては初めてこの雑誌の表紙を飾り、現在はすでに常連と言ってよい存在になっている。一度などは、三重県南部の大台ケ原のツキノワグマが、獠の写真でこの国際雑誌で特集されたほどだ。世界的に活躍する写真家の中で、自然系では冴羽獠はすでに群を抜いた影響力をもつフォトグラファーなのだ。彼の構図や題材を真似ても、決して同じものは撮れない、カメラ技術以上のものを一枚の画面に表現する作家として知られていた。

そんな男のアシスタントを務める妹に、何か不安を感じないわけではない秀幸だ。だが。

「……ちょっと先、またケニアなの」
「そうか。大変だな。長いのか?」
「……聞かされてない」
「相変わらずみたいだな」
「もう諦めた」
「身体だけは気をつけろよ」

そんな会話をかわすしかない。身内として、ちょっとは就労形態を気にして欲しいと直談判したい所だが、実はそれ以上に気になっていることもある。冴羽獠という男、とかく女性関連の噂が多いのだ。独身なせいか、あからさまなスキャンダルめいた取り上げられ方をされたことはないが、「新進気鋭の写真家、新恋人発覚!?」という記事が週刊誌を賑わすことが時々ある。聞けば、スタジオも女性スタッフばかりなのだという。それとなく、香は大丈夫なのか? と聞くと、何がと返って来るのだが。

「女に手が早いんじゃないのか?」
「冴羽先生のこと?」
「そうだ」
「んーどうなんだろう。麗香さんとかかすみさんをしょっちゅう口説いてるけど、フラれてるし」

正確には、麗香は獠と結婚して二人でスタジオをもっと大きくすることを夢見ている。獠から「モッコリデートしよう」と誘われると、「結婚して、夫婦カメラマンになってくれるなら、いくらでもしてあげる」と言っているのだが、「それはまず、モッコリしてお互いのいろいろを確認し合ってだな……」と獠がはぐらかすので、デートは実現しない。かすみも、「結婚してくれないなら、モッコリなど到底無理」と貞操が固い。かすみの実家は、ちょっとした旧家なのだ。

「人のことじゃなくて、香は大丈夫なのか? って聞いてるんだが」
「だいじょうぶダイジョウブ。あたしは女として見られてないから。だからケニアとか連れ回されて……はぁ、今度は何が待ち受けてるんだろ。また砂まるけだけはゴメンなのよね……」
最後は独り言になった。
秀幸はメガネブリッジを押し上げて、そんな妹を見る。容姿人並み以上、多少男っぽいところは確かにあるが、スタイルもいいし性格もいい。この妹に、女に手が早い男が手を出さないなんてことが、本当にあるのだろうか? と思わざるを得なかった。


***


問題の9月になった。

「今回はKL経由、ドバイ、ナイロビだ。OK?」
サングラスをかけた獠は、二人分の荷物と撮影機材を載せたカートを押しながら香に言った。
「クアラルンプール、ですか?」
「丸一日トランジット時間をとった。ちょっと撮りたいものがあるんだ」
「好きにしてください」
OKもなにも、意見を挟める立ち場にない。挟んだ所で、聞いてくれるわけでもないし、と香は思っている。
「お? なに、今日はやけに冷たいじゃないか。月のもの? まさかね、香は男の子だから」
言った瞬間に香のアッパーカットが獠の首に炸裂し、サングラスが拭きとんだ。
「いってぇじゃないか!」と獠はのけぞりながら脚をとめた。
「セクハラで訴えますよ?」
「ほんの冗談だったのにぃ」
通りすがりの人物が、サングラスを拾って獠に近付いた。
「わぁお! 美人さんに拾ってもらえてサングラスも喜んでるよ。キミ、これから出国? どこに行くの?」
「えっと、セブ島に……」
「んー、残念! フィリピンか。どう? 目的地をかえてさ、俺と一緒にクアラルンプールでめくるめくような暑い夜を過ごしませんか?」
急に真面目な顔になって、サングラスを胸ポケットに差し込みながら長髪の女性に近付いた。香はその後ろ姿に盛大な溜息をついた。
「先生、あちらに、ご主人らしき方が。すんごい睨まれてますよ」
「まさか……人妻?」
獠は目の前の女性に小首をかしげて、語りかけた。
「これから新婚旅行に出発するんです。それじゃ」と軽やかに踵をかえして女性は立ち去った。
「ちぇっ、やっぱりいい女はちゃんと片付いちゃってるんだよなぁ」と肩を落とした。そして「せめてアシスタントがもうちょっとアレだったらなぁ」と続けるのだ。
「アレってなんですか、あれって。どうせ私は美人じゃありませんよ」
「じゃなくてさ、せめて清楚な女性だったらいいのになぁって。男の子じゃ」と言った所で、今度は香の正拳付きが繰り出されたが、これは獠の左掌で受け止められた。
「もう、冗談だよ。香ちゃんは本当に暴力性だなぁ」
右拳を獠の左手で包まれたまま、香は獠を睨みつける。
「あんまりなこと言うと、セクハラで訴える前に、仕事、辞めますよ?」
獠はふっと笑って手を離した。
「アシスタント君に辞められては、僕ちゃん困っちゃうから男の子でも我慢するさ」
「……先生」と俯いて、香が渾身の力で右足で回し蹴りをかまそうとしたところで、どこからか「リョウじゃないか!」と声をかけられ、香はなんとか踏みとどまった。知り合いの前で、失態は見せられないと思ったのだ。もう、十分にまわりの視線を浴びてしまっていることに、香は気がついてない。

獠は声の主を振り返った。
「ミックじゃないか。久しぶりだな」
「だな。相変わらず忙しいのか?」
「まぁな。何、お前もこれから出発か?」
「ケニアだ。大地溝帯で面白いもんが出たそうだから、取材に行くんだ」
「あぁ、ルイ・シモンのところの発掘現場か?」
「さすがだな。耳が早い」
「いや、ナイロビから知らせてくれた人があったんで偶然だ。偶然と言えば、俺もこれからケニアなんだ」

ミック・エンジェル、この金髪碧眼の美男子は、サイエンス・ライターとして名の知られた人物だ。主に人類進化に興味を持っていて、関連する分野をまさに研究者さながらの能力でカバーし、そして専門外の人間にも分かりやすくまとめている。人類の進化史は、新たに発掘される化石、あるいは脳科学的研究、あるいはゲノム解析などによって、日々塗り替えられている。専門家であっても、このアップデートに完全についていくことが、実は難しいほどなのだった。ミックはそんな道の専門家といってよい存在だ。そして、獠とは親友でもある。二人の出会いは、12年前の、やはり東アフリカに遡るーーー。

「それは嬉しい偶然だ。あっちで会えるか?」とミックは問いかけた。
「たぶん。岩本さんとこに、今回は世話になるから、お前も遊びに来いよ」
「岩本さんって、あれか、テレビ局の? 確かウェストランドだったか」
ウェストランドとは、ナイロビの高級住宅街の一つだ。
「そ。今回はあの人の関連の仕事だ」

香は溜息をついた。テレビの仕事だということもたった今、初めて知った。これでアシスタントと言えるのかと、香は思ったのだ。香の溜息にミックが気がついて、視線を送った。
「こちらは?」
「俺のアシスタントの槇村香君だ」
「おぉ! マドモワゼル、お美しい。こんな野蛮な男のアシスタントを、あなたのような美女がやっているなんて」と手も握らんばかりだ。
「ミック、早合点するな。コイツはお」
男のお、まで出た所でミニハンマー10トンが獠の頭に振り下ろされた。槇村香、様々な攻撃を獠にかわされることが増えて、ついには怒りの思念を「ハンマー」という形に昇華させたらしい。
ごつんとされた獠は、「香しゃん、だからちょっとした冗談なのに……」と涙目になっている。
「それになんだよ、この凶器は。反則だぞ?」
「先生がいけないんです。いつもいつも!」
二人のやりとりを見ていたミックは思わず吹き出した。
香は居住まいを正して、「槇村香です。よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。ミックの名は、もちろん知っているのだった。
「ミック・エンジェルだ。よろしく」と今度はまともに手を差し出した。
握手を交わした二人を、獠はどこかしらつまらなそうに見つめている。
「香、チェックイン、済ませとくから。お前はこいつから大地溝帯のことでも習っとけ」
「先生、チェックインなら私が!」
「いや、いいから」と獠はカートを押した。おまえらといると、ナンパもうまくいかんからな、とかなんとか言いながら立ち去っていく。その背中を見送って、ミックはポツリと言った。
「カオリ? キミはずいぶんとリョウに気に入られているようだ」
「へ? 先生が? あたしを???」
「そう。それに、頼りにもされているようだ」
香はわけがわからないといったふうに、小首を傾げてみせた。
「リョウがああ言ってたことだし、そこでちょっとお茶でも飲んで、簡単に大地溝帯のことを教えてあげよう。知っているのと何も知らないのでは、訪れた時の感じ方に雲泥の差があるだろうから。リョウはそれを言いたかったんだろう。今回の撮影の予定に、大地溝帯は入っているの?」
「先生は現場に行くまで何も教えてくれなくて」
「そうか。だが、たぶん入っているんだろう。リョウがああ言うのだから」
「あの、そもそもその大地溝帯って、なんなのですか?」
「グレートリフトバレーともいう。簡単に言えば、総延長7000キロに及ぶ断層だ。大地の裂け目ってことだね。だが、ただの裂け目じゃない」
ここでミックはちょっと芝居っ気をだした。
「大地溝帯、そこでおよそ600万年前に、我々人類の祖先が誕生したと考えられているんだ。さぁ、続きはお茶を飲みながら。ボクがご馳走するよ」と、香の腰に右腕をまわして、歩き始めた。こんなふうに男性にエスコートされる経験のない香は、思わず顔を赤らめた。


***


クアラルンプールで飛行機を降りたとき、香はむわりとするモンスーンの湿気に顔を顰めた。早く冷房のきいたところへ、と思わず思いたくなる湿度なのだった。赤道の少し北、だいたい北緯三度に位置するこの都市は、いうまでもなくマレーシア連邦共和国の首都だ。最近の経済発展も目覚ましいこの街に、つい先頃、国有の石油会社によって超高層の双子のビルが建設されていて、少し話題を集めていた。完成すれば、20世紀中に建設される世界最高の高さになると言われている。

獠は空港を出ると迷わずタクシーに乗り、市内の繁華街であるブキビンタン地区のホテル名をあげた。こう言った手配は、日本からかすみがすべて獠の指示で行なっているのだ。チェックインを済ませると、獠は「俺は夕飯は屋台を冷やかすが、香はどうする?」と問いかけた。
KLは香は初めてだ。右も左も分からないので、「先生とご一緒します」と答えた。獠は国内でも海外でも、香が自由時間をなるべくとれるようにと配慮する傾向が実はある。もちろん、撮影に入ってしまえば、文字通り「振り回す」わけだが、トランジットの自由時間まで奪う気はさらさらなかったのだ。だが、香がついてくると言えば、それを拒否することもない。

約束の時間に、香はロビーで獠を待った。日本を出る時のまま、ポロシャツにジーンズ、そして登山靴。香は荷物をなるべく減らしたいので、靴は荷物にせずにそのまま履いているのだ。
ロビーに現れた獠も出国の時のままの服装だが、香の姿を見てクスリと笑った。

「おまえ、その靴じゃ、水虫になるぞ」
「失礼な、水虫なんて!」
「まぁ、水虫はともかく、暑いだろう?」

暑い。確かに。夜8時をまわっているというのに、気温は30度を超えているだろう。足元が蒸れる感じは、確かにする。

「高級登山靴を新調したんで、大丈夫です」

香は精一杯の強がりを言った。防水だが通気性抜群、とショップ店員に説明されていたのだ。
獠はふっと笑って、まぁいい、ついてこいとホテルの玄関を目指した。香は慌ててその後を追う。獠はどんどんと迷いなく歩いて、派手なショッピングセンターに足を踏み入れた。香はこんなショッピングセンターに屋台があるのかと、必至で獠についていく。
獠は地下一階におりて、何かを探すように左右の店をチェックしながら歩いている。

「ここでいいだろう」と香を振り返った。
「サンダル、買ってやるから好きなの選べ」

見れば、天井から色とりどりのサンダルが吊り下げられた店なのだ。ビーズを使ったものや、キラキラしたラインストーンのものや、派手なものが多い。

「いいですよ。大丈夫です」
「いいから。この街でそんなごつい靴を履いてるのは、おまぁぐらいだ。かえって世間知らずの日本人に思われて、詐欺にあうぞ」
「……じゃぁ、自分で買います」と香はいろいろ見て、サンダルはやはりやめて、ビーズで装飾されたフラットシューズを選んだ。レジに持っていこうとすると、獠に止められた。

「買ってやるから」
「いいですってば。自分のお土産にします」
「なおのこと買ってやる。必要経費」

獠がいつになく真剣なので、香は従った。会計をすませ、獠が店員に何か言うと、少し大きめの紙バッグをもらっている。

「そのごつい靴はこの袋に入れとけ」となぜかひどく不機嫌だ。

香は抵抗が面倒になって、靴を履き替えた。確かにうんと涼しくなったが、次は服装と靴がミスマッチだと思った所で、獠に「行くぞ」と促された。
地上一階にあがって、獠はまわりを物色して、やはり一つの店の前で足を止めた。

「これ、バティックっていうこっちの染めもんだ。涼しいヤツ、一つ選べ」

見れば、やはり色とりどりの布とワンピースやらスカートやらが並んでいる。意味が分からず香は首を傾げた。

「いいから。とっとと選んで着替えろ。もたもたしてると、屋台街がしまっちまって晩飯食いそびれるぞ」
「なんで……」
「暑そうなんを見てるのが嫌なんだよ。こっちまで暑い。いいから一つ選べ。買ってやるから。……今回もアフリカにつきあってくれる礼の前払いだ」

最後は不機嫌そうにそっぽを向いて言うのだった。

初めての東南アジアの都市の夜。確かに、これから力仕事にいきます、と身構えた自分の格好では、つまらないかもと香は思った。だから、バティックと呼ばれるろうけつ染めの派手な生地のスリープレスの膝丈のワンピースを、香は選んだ。全体に赤が多く使われた派手な色あいで、日本ではとても着られそうにないが、こんな場所なら良いかと自然と思ったのだ。
店の試着室で着替えて鏡で全身を確認すると、途端に南国に遊びにきた女子大生風になっていて、そんな姿に香はくすりと笑った。
試着室を出たほうがいいのかと思い、顔だけのぞかせると「行くぞ」と獠が言う。
「先生、ちょっと待ってください。着替えを……」
「もう支払いは済ませたから、脱いだもんはこれにいれとけ」とまたしても紙袋を渡される。
なんて強引なんだと思うが、お腹が空いて不機嫌なんだろうと香はちょっぴり思う。目の前の上司は、どんな環境でも、呆れるほどよく食べる人物なのだから。

ホテルやショッピングモールが並ぶメインストリートを外れたところに、こじんまりとした屋台街が広がっていた。「街」というか、屋外のフードコートといった雰囲気だ。獠は樹脂製の椅子にドスンと座るや否や、ビール会社のTシャツをきた女性を手をあげて招き寄せ、地元ビールの”アンカー”を頼んだ。女性は頷いて、すぐにグラス2個と瓶ビールを持ってきて、二人の前で注いだ。

「好きなもん、頼んでいいぞ。ここはなんでもうまいから」
「先生、よくご存知なんですか?」
「初めて来た」

獠の即答に、えぇ?っと香は倒れ込みたい気分だ。いつもこの調子なのだから。

「先生・・・・」
「初めてだが、だいたいわかるもんさ。そもそもマレーシアは食が充実してるしな。ここは見たとこ全体的に中華系の店が多いようだ。どの店を選んでも、外れはない」

いちいち理にかなっている気がするから、香はこの上司をどこか憎めないのだった。
選べといわれてもさっぱりわからないので、結局は獠が選んだ。ミーゴレン(マレー風焼きそば、オイスターソースとチリソースの組み合わせがちょっとピリピリしていて美味)、サテ(鶏の串焼き、ピーナッツソースを香は気に入ったが、獠はもうちょっと辛いといいんだがな、と言いながら頬張った)、ハタの香味油がけ(魚を選んで調理法を指定するシステムで、こういうのは中華の大定番がいいんだと、獠が”蒸して香味油をかけよ、パクチー多め”と指定した。とても美味しかった)、牡蠣オムレツ(オムレツっていうか、牡蠣のピカタと香は思ったが、ピリ辛ソースをつけて食べるのがやはり旨かった)、などなど、アンカービールとともに楽しんだ。このビールがまた曲者というか、一口飲むと、Tシャツのお姉さんが飛んできて、継ぎ出してくれるのだ。そのハイスピードぶりに、香はケラケラと笑った。

「ビールなんて自分で注げるのに」と香がいうと、「あれは重要なマーケティングなんだ。ほれ、違うビール会社のTシャツもいるだろう? こういう場所は、飲み物は別会計だからさ、空になって違うビールを頼まれた困るっていうんで、みっちりご接待なんだ。やらせておけばいい」と獠は説明した。

「先生? それで、ここで何を撮るんですか?」
「サルだ」
「サル? サルって、モンキー?」
「そうだ。明日、ペトロナスツインタワ—に行くから。朝飯もここにしよう。その後、出かける」

”ペトロナスツインタワー”、話題の高層ビルだ。そんなところになぜサルがいるのか、香にはさっぱりわからないが、質問しても教えてくれるとも思えず、ただはいと頷いた。
食事の最後に、ごくなんでもないことのように獠は言った。

「その赤、なかなか似合ってるよ。そういうの着ると、ちゃんと女の子に見える」

普段、動きやすい服装でないと困るから、香は実用性重視だ。獠は機材はかなり自分で運ぶタイプで、アシスタントに丸まかせなんてことはまずないが、それでも持ちきれないものを香は運ばなけばならない。カメラテストで、ちょっとあそこ行って立ってみろ、などと言われれば、猛ダッシュで駆けなければならず、靴は走ること前提なのだ。それでも、全然構わないと香はずっと思っている。自分は撮りたい人間で、撮られるわけではないのだからーーー。

「似合う」と柄にもないことを言ったのを照れたのか、獠はそそくさと立ち上がった。

「んじゃ、帰って寝るか。明日は夕方にはKLIAに戻らなきゃならん。そこからまた長旅だから、休める時はよく休んでおけ」

KLIA、クアラルンプールインターナショナル空港の略称だ。先頃、この国の首相の肝いりで、日本人の有名建築家がデザインしたメインビルに、やはり日本の大手建築会社が造成した、「森の中の空港」と呼ばれる、近代的で美しい空港だ。今回、獠と香はこの空港に、マレーシア航空を利用して降り立っている。ここから先は、中東系キャリアの「エミレーツ」を使うのが獠の常だった。アラブ首長国連邦の首都ドバイをハブ空港とするエミレーツは、東南アジア各都市からの乗り継ぎで優れているというのが理由だが、「CAのお姉さんたちがとにかく美人揃いなんだ。目の保養になる」と香には説明している。

冴羽獠という男、このようにどこまで本気かまるでわからぬ物言いで、スタジオスタッフを、特に槇村香を振り回しては楽しんでいる。写真という表現手段がなければ、この不真面目過ぎる人間にまともにつきあう人間などいないのではないかと思われるのだが、その写真の説得力が凄まじい。
一躍有名人となった頃、実はキー局の超有名なトーク番組にも、司会者たっての希望ということで出演したのだが、その時のエピソードがさらにこの男を有名にしていた。

「わたくし、お写真を拝見してもっと真面目な方と思ってましたのに、ずいぶんと不真面目なんですわね」と、はっきりした物言いが特徴のMCに問いかけられ、獠はこう答えたのだった。

「写真というものは、現実を映すものであって、撮影者自身を表現する手段ではないんだ」

これが、フォトグラファーとしての獠がもっとも大切にしている、哲学だった。



ーーー続く


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プロフィール

サバ猫

Author:サバ猫
サバ猫です。
2015年秋、突然CH中毒になりました。
サエバスキーです。
冴羽獠の精神を辿る旅をしながら、幸せな冴羽一家を構築中。

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