Fragile

シティーハンターの二次小説を書いております。

Entries

はじめまして、でございます。

サバ猫と申します。
最近(2015年10月頃?)から、突然CHの中毒になりました。

かつて、アニメをテレビで見ていたくらいで原作は未読。
ドラマをやるというので、どんなんだっけ? と調べだしたら、なぜだか止まらなくなりました。
二次創作の皆様の作品を読み漁り、原作を大人買いして、今やどっぷりです。

読むだけでは飽き足らず、ついに自分でも書き始めてしまいました。
Pixivという投稿サイトで人様に読んでいただいたり、感想いただいたりして、ありがたさに涙目になりながら、自分の誤字脱字の多さに、さらに涙。
もうちょっと整理しようと、プログにすることにいたしました。

作品紹介を書きました。多過ぎて何を読んだらわからない! って方はこちらを覗いてみてください。
  ↓↓
「作品の簡単なご紹介」


##### 2016.8.12 追記 #####

当ブログのお話を年表に整理してみました。
こちらでご覧になれます。

##### 追記ここまで #####




##### 2016.6.27 追記 #####

書き始めたことろは、CHに派閥(?)があることを知りませんでした。
最近になりまして、私は根っからのサエバスキーであることが判明しましたので、追記いたします。
香あっての冴羽獠、というスタンスです。

当ブログでは、原作後と2016年の年齢を経た二人を創作しておりまして、小品もすべてこの世界観と時間軸の中で書いております。
子供まで作ってしまっておりますので、苦手な方はご注意ください。

##### 追記 ここまで#####


2016.4.22 リクエストについて追記しました。
2016.5.27 変更しました。


ご訪問いただいている皆様へ

ブログ開設しまして、1ヶ月半立ちました。
2016.4.20に1000パチ目をいただきまして、嬉しいコメントをいただきました。
感想をいただけると、妄想がさらに膨らみます!
憚りながら、キリ番リクを受け付けますので、パチとかカウンターで、これってキリよくね? と思われた方は、お話をリクエストしていただいてOKです。コメントとかメールでどうぞ!
ゾロ目とか連番みたいなのでも、個人的に「キリ」と思われたら、それで自己申告で。

ですが、以下、ご配慮ください。

・リクエスト内容は、当ブログの基本の二人の設定に読み替えさせて頂きます。(92年に結婚、98年に双子誕生、これは変更できません。)
・CH原作キャラならどのカップリングでもOKです。超脇役でも大丈夫です。
ですが、
・リョウちゃんが香以外とか、香がリョウちゃん以外はムリです。瞬間的にも書けませぬ!
・直接性描写もムリです。
ただし、
・パラレルのご要望はOKです。簡単な設定をいただけるので大丈夫です。
そして、
・AHはサバ猫的には存在しておりませんので、ご了承くださいorz

基本的には長編が好きなので(というか、気の利いたSSが書ける気がしない)、無駄に長いものになるかもしれませんが、喜んで書きます。
自分で書きたい連載の途中は、お時間を少々いただくかもしれませんが、ご了承ください。

###追記ここまで###





Attention!!
当ブログは、PCビューを推奨いたします。スマホ、ガラケーでも見にくい等ございましたら、ご連絡いただけまいさらできる限り対応いたしますが、私の環境的に難しいこともありますので、対応しきれないことがございます。申し訳ございません。

*原作者様とは当然ながらまったく関係がございません。
*原作イメージを大事にされている方には、閲覧をお勧めいたしません。
*当ブログの内容につきましては、作者、つまりサバ猫の想像の産物であり、完全なるフィクションです。
*誹謗中傷は小心者なので受け付けません。
*感想や励ましをいただけると、飛んで喜びます。
*一度、Pixivに投稿したものを、加筆・修正したものを基本的に上げて行く予定です(当面の方針です)。
 書く楽しさを投稿サイトで教えていただいたので、そちらのご縁をまずは大事にしたいと思っています。
*絵心はゼロですので、テキストオンリーでございます。
*原作からかけ離れたものは、能力的に書けないと思います。
*R指定が必要なものは、自分の能力を超えておりますので、書く予定はございません。

*AHについては、少しは読みましたが、今のところ設定が受け入れがたい人間です(スミマセン)。
*漢字表記が問題のリョウについては、当面はカタカナで表記いたします。
*基本的に、「リョウはかっこいい」と脳内で変換フィルタが働いている人間です。
*リョウと香の幸せを心から願っているので、悲しいお話も書けないと思います。

*コピー&ペーストはご遠慮ください。

これくらい、お断りしておけば大丈夫でしょうか?
ご助言いただけましたら、嬉しいです。

ありがたくも、当ブログにリンクいただく場合は、CH二次創作関連サイト様でしたら、リンクフリーです。
ご連絡には及びません。
これから素敵サイト様のリンクを作りますので、ご挨拶に伺うこともあるかと思います。
よろしくお願いいたします。


サイト名:Fragile
サイト管理者:サバ猫
URL: http://sabanekosan.blog.fc2.com/

                    2016.3.11 サバ猫 拝
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*CommentList

作品の簡単なご紹介

このサイトの作品たち(簡単なご紹介)
*作品が増えてきましたので、どれ読んだらいいの? って方にご案内を書いてみました。

「すべてはその一杯から」(長編/オムニバス/完結)
当サイトの基本となっている作品。すべての原点がここに。
冴子嬢の「三角関係」発言がどうしても受け入れられずに、原作初期を少々ねつ造し、「奥多摩後」の二人の物語を書きました。少しずつ寄り添う二人。その原点を一本の線でつなぐのは、槇村秀幸と冴子の想い出のバーと、そこで振る舞われた一杯のカクテル。そのカクテルはやがて、リョウと香の特別な一杯に-----


幕間ー「すべてはその一杯から」(中編2編/完結)
リョウと香の祝宴と、大切な大切な人との再会の物語。「すべてはその一杯から」からこぼれ落ちたお話です。


終幕ー「すべてはその一杯から」(中編1編/完結)
あらたな始まりの物語。様々な出会いと別れが冴羽リョウという男を形作った。香と新たな一歩を踏み出そうとする、その最初の一歩の物語。


「My Best Buddy」 (長編/完結)
リョウと香の子供たちは、2016年春、大学進学を控えていた。そこに呼び込まれた事件とはーーー全41話。
「もしもリョウと香が年齢を重ねていったら、こんな二人になっているかも」と、妄想を膨らまさせた物語。ダンディなリョウが国家を巻き込む大掛かりな事件を鋭く解決!
”お前こそ、オレの生涯最高のパートナーだ” ーMy Best Buddy……


「霧を超えて」(長編/完結)
子供が欲しいと言い出せない香、子供を持とうと決断できないリョウ。お互いを深く思いやりすぎる二人は、少しずつすれ違いはじめる。依頼遂行の過程で、香はリョウのもとを離れる決断をする。リョウは策略に巻き込まれ姿を消した。二人の運命は、まさにいま霧の中を進むーーー全29話。
”二度と銃口を人に向けるな。約束してくれ”ーーーリョウの想いは香に届くのか!?


「君に、愛を」(中編/完結)
1960年前後の京都と1997年の東京、この時空を結ぶものは? 二組の夫婦の愛情物語。
”私たちが息子に注いでやれなかった全ての愛を、君に託そう”……全11話。


キリリク作品(中編5編/完結)
リョウのドタバタコメディを含む中編たち。家族旅行に出かけたりもして、かなり自由です。二世たちのお話も。


花言葉のお題(1)(2)(お題コンプリート)
リョウと香の様々な時間を切り取ったショートストーリー。
「すべてはその一杯から」〜「My Best Buddy」のどこかの二人。双子も登場します!


「幼なじみの恋」(中編/連載停滞中)
リョウと香の長女槇村藍、ミック・エンジェルと名取かずえの長男ラルフ・エンジェル、二人は4歳年の差のある幼なじみ。
ラルフは藍の父親に怯えながらも、藍への愛を誓っている。二人の恋の行く末は!?


「色彩の美女」ー100のお題(更新中)
色にまつわるお話を100題。設定自由でいろいろな獠と香を描いています。
”phenomenon”と題して、「こんな奥多摩後のストーリーもあるかも」な物語を。恋をして、結ばれた後に襲い来る不安と、それに乗じるように何者かの襲撃にあい、凶弾に倒れた冴羽獠。寄り添う香は、獠の愛の大きさを知るーーー。


「新宿島物語」(パラレル長編/完結)
とある絶滅危惧種の保護活動に情熱を燃やす、生態学者冴羽獠の物語。他人を拒絶し、理想に生きようとする頑な心を癒すのは、一人の女学生だったーーー。全51話。
”愛を求める女を愛そうと思ったこともないし愛したこともない。だが、そんな女たちとはまったく違う槇村香。香はおのれを追いかけている。だがそれは、愛されたいからではないのだ。ただ、俺の側にいたいと言ってくれる。それは・・・それは、香が自分を無条件に愛してくれているからなのだろう?”
やがて開かれる心、未来へつながる物語へ。




自己紹介的に書いてみた。【同人サイト管理人に30の質問】

1.まずはあなたのH.N.をどうぞ。

サバ猫 と申します。サバ色の猫です。

2.サイト名は何ですか? 由来などもありましたら。

Fragile 壊れやすいモノという意味です。由来? なんとなくです。


3.サイトの開設日はいつですか?

2016.3.11 5年前の震災に追悼したのち、唐突に開設を思い立ちました。

4.あなたがサイトで扱っているジャンルはなんですか?

北条司先生の「シティーハンター」の二次創作(小説)です。

5.そのジャンルで扱っているコンテンツは? (ex.小説、イラスト)

小説オンリーです。絵心はゼロです。てか、たぶんマイナス行ってます。

6.作品について。 カップリングにはどのようなものがありますか?

リョウ*香 です。でも、原作登場人物は誰でも書けると思ってます。

7.作品について。 一番贔屓にしているキャラは誰ですか?

もちろん、リョウちゃんです。

8.作品について。 傾向は? (ex.ほのぼの、シリアス)

シリアス書きたいけど、書けない。ほのぼのはちょっと難しいかも。
いろいろ書いてみたいです。

9.作品について。 年齢制限はありますか?

まったくございません。
書いてる人間の精神年齢が低いので。。

10. 作品について。 書く(描く)上で気にかけていることは?

丁寧に書くこと。
愛を忘れないこと。

11. 作品について。 これからどんなものを書いて(描いて)みたいですか?

パラレルを書きたいという野望が。難しいと思うけれど。

12. あなたのサイトのイチ押し作品は?

おすすめできるものが書けるよう、頑張ります!

2017.2.14変更
君に、愛を。
パラレル的要素を含みながら、リョウの生い立ちをねつ造したという作品です。自分の書き方の一つのスタイルが、これで確立しました。
2016.5.9変更
ポーカーフェイス これが原点かと思います。

同窓会 は私自身とても楽しんで描いた作品で、好評のようです。


13. 更新予想頻度を教えてください。(不定期なら不定期と)

不定期です。週一くらいを目標、かな。

14. 今後のサイト運営方針は?(野望など)

とりあえず、続けること!

15. あなたの性別は?

男脳女脳で調べたら、男70%女30%でした。
一応、Femaleです。   

16. あなたの血液型は? それと同じキャラは思い当たりますか?

A型 キャラ? わかりません。

17. あなたの誕生日は? それと同じキャラはいますか?

8月19日 
ココ・シャネル、
9代目松本幸四郎(お誕生日にミュージカルを見にいったら、盛大に祝われて自分も嬉しくなったことがあります。)

18. 年齢、職業など、差し支えのない範囲で。

年齢は干支は3回以上は確実にまわってるってことで。
職業は、めっちゃ理系の技術系です。頭の中も、バリバリの理系です、と思ってます。


19. 出身地、活動範囲はどの辺ですか?

コスモポリタンということで。

20. 似ていると言われるキャラは? (顔でも性格でも)

ジブリに登場する5歳児くらいのキャラは、すべからく私をモデルにしていると思っております。

21. 好きなものを5つあげてみてください。(何でもいいです)
   
ワイン、猫、サッカー、自由、あとひとつ? わからん。。

22. 嫌いなものを5つあげてみてください。

人の噂話、自分勝手な人、使いっぱなしで放置されたコーヒーカップ、開けっ放しの引き出し、あと一つ? 特になし!

23. ハマりやすいキャラのタイプは?(萌ポイント)

ハードボイルド
アニメだと声がいいと、結構すぐはまる。声フェチです。


24. サイトで扱っているジャンル以外で話が通じるのは?

攻殻機動隊 特にアニメ版。神作品だと思ってます。タチコマのファンです。
鬼平犯科帳 鬼平は理想の上司。こんな人の下で仕事したい。
名探偵ポアロ 声はもちろん熊倉一雄さんで。灰色の脳細胞です。
十二国記 ファンタジーとかそんな枠はとっくに飛び越えた、傑作だと思ってます。


25. あなたのパソコン歴は?

Windows95から使ってます。


26. あなたのオタク歴は?

オタクなのでしょうか? だとしたら人生のほとんどだと思う。

27. 同人世界に足を突っ込んだキッカケは?

突っ込んだのでしょうか? ただ、書きたかったのです。

28. オタク関係以外の趣味は?

サッカー観戦 某J1チームの熱心なサポーターです。
スキー 下手の横好き。位置重力を弄ぶ感が好き。休憩にゲレンデでビール! これが最高です。
読書 乱読です。
DVD鑑賞 マニアックな映画が好き。

29 休日の過ごし方はどのようなものですか?

サッカー観戦 試合ある限り、できる限り参戦。忙しいです。
旅行 サッカー観戦かねていくことも多い。
温泉 秘湯巡り。そのうち温泉ソムリエをとりたい。
庭いじり ベニシアさんの庭を目標に、頑張ってます。
家庭菜園 おもに夏専門。野菜を育てるのは喜びです。
猫の世話 綺麗な猫と長年暮らしています。歳とって、いろいろと大変…。

30 最後に、読んでくれている人に愛の一言をどうぞ。

よろしくお願いいたします!



お題配布元
Tip Tap Toudie 第二基地(T×3第二基地)

作品年表 −ご参考に。

リョウと香の物語り;簡単な年表

tips


年代
物語りのタイトル
tips
1960年君に、愛を。リョウの両親の物語。
1997年の獠と香とリンクしていきます。
1985年
3月
ポーカーフェイス槇村秀幸との出会い。香との出会いの物語りを。
(1993年から回想)
1987年
晩秋
戸惑う心リョウと香、そして冴子の思いを。
1992年初夏空木花言葉のお題からー秘めたる恋
2012年彼岸花花言葉のお題で、槇兄のお墓参りの一コマを
1992年冬近付く二人「死なせやしないよ」の後日談。
1992年1月山葵花言葉のお題で、初めての朝を。
1992年2月スノードロップ花言葉のお題からー初恋のため息
1992年2月竜胆ちょっと弱気な獠を、花言葉のお題に寄せて。
1992年3月蒲公英花言葉のお題に寄せて、リョウの決意を。
1992年
初春
咲き誇る花リョウの重大を決断を。
1992年
初春
スイートピー花言葉のお題から二人の甘いひと時を。
1992年
2月
スノードロップ親友に追求されて赤面する香を、花言葉のお題のよせて。
1992年春それぞれの時刻(とき)恋が実る時、失う時を。
1992年春祝宴仲間達に見守れて。
1994年カモミール花言葉のお題によせて、獠と香の些細な喧嘩と仲直りのお話を。
1993年
新春
再会この人に、再び会わなければ二人の物語りは進みません。
1993年春解き放たれる闇一つの伝説の誕生? カクテルXYZのもう一つの物語り
1993年
初夏
邂逅多くの出会いと、そして未来へつながる物語り。
1993年
初夏
紫陽花花言葉のお題によせて、ミックの回想を。
1993年
晩秋
長編;「霧を超えてリョウと香の微妙なすれ違いを。
1994年オンシジウム花言葉のお題によせて、獠と香の映画のような日常の一コマを。
1997年君に、愛を。双子誕生の物語。
1998年
5月
金瘡小草二人の子供の名付けの物語りを、花言葉のお題によせて。
1998年
5月
布袋葵花言葉のお題で、出産間近の香を気遣うリョウを。
1998年
晩夏
新宿に戻る香を出迎えるリョウの想いを、花言葉にお題で。
1999年
3月
鷺草花言葉のお題で、比翼の鳥の二人を。
2002年5月花菖蒲花言葉ー嬉しい知らせ。獠の子育て日記?
2002年鳳仙花花言葉のお題によせて、孤独なリョウとその癒しを。
2002年ローズマリー花言葉のお題によせて、獠の追憶を。
2003年
8月
花火冴羽一家の初めての家族旅行。
2004年同窓会香を渋々同窓会に送り出したリョウが,散々な目に
2005麦藁菊リョウの過去と現在を、花言葉のお題によせて。
2006年リョウの授業参観?
マダム香の危険な午後!!
なんとしても授業参観に行きたいリョウ、ちょっと壊れてます。
2008年牛蒡花言葉のお題より。藍が猫を拾いました。
2012年パイナップル花言葉のお題から、スイーパー一家の午後の過ごし方?
2016年
3月
リョウのお誕生日に寄せて
2016年
3-4月
長編「My Best Buddy円熟した二人の物語り。長編ミステリーです。
2016年
7月
槇村秀のとある一日リョウと香の息子のとある一日を。
2016年夏藍とラルフの恋愛講座?
恋のレッスンは物理学とともに!
二人の娘とミックの長男の恋愛講座。
二人の恋の行方はいかに??
2021年頃七夕の出会い運命の人と出会う槇村秀の物語り(献上品)。今の所公開予定無し。




<番外>
獠と香のパラレルストーリー(長編)
新宿島物語」(pixivにて連載中

6.双子、相談する。


ガッシャーン!!

リビングでガラスが激しく割れる音が聞こえて、そしてその後に子供が火を噴くように鳴く声があがった。
そのときキッチンで夕食の準備をしていた藍は、あわててコンロの火を消して驚いてリビングに駆けつけた。
この日はーーー柴崎親子が冴羽アパートに身を寄せた日だーーー一緒に夕食をということで、藍は柴崎春美に声をかけていたのだ。
「椋が上のお部屋をもっと見てみたいと言うのですが……」と遠慮しがちに晴美が言うのを、では食事ができるまで遊んでいていいですよと再びリビングに招き入れていたのだった。秀は自室に下がったままだ。珍しく真剣な面持ちで、部屋で少し調べモノをするという。この騒ぎにも、秀が姿を現す気配はなかった。

「いったいどうしたんですか?」
「ごめんなさい、椋がガラステーブルに……」

そう言って、春美は俯いてしまった。
見れば、リビングのガラステーブル(これは、このアパートで両親が暮らし始めた頃からそこにある、今や年代物だ)が、見事に割れているのだ。脇に秀が時々テレビを観ながら使っているダンベルが転がっていて、柴崎椋君はその脇に立って顔を真っ赤にしてワンワンと鳴いている。
聞けば、突然ぐずった椋君(4歳)は、癇癪を起こしてダンベルを放り投げたというのである。運悪くダンベルはガラステーブルに落下、あえなく破壊されてしまった。4歳児の力でと藍は驚くが、驚いている場合じゃない。藍は困ったことになったと思いながらも、二人に怪我がないかをまずは確認した。父親の不在が続いていて、小さな子供は精神が不安的にもなっているのだろうと想像もした。

割れたガラスを片付けながら、藍自身も心を落ち着かせようと心がけた。まずテーブル破損は両親に知らせねばならないだろう。この家で大事にしていたテーブルのはずだ。それ以上に、ただでさえ萎縮してしまっている柴崎夫人がさらに心を閉ざしてしまわないかが、心配だった。

春美に抱き上げられて、ようやく泣き止んだ椋君は、鼻を若干ずるっこずるっこしながら、「あいたん、ごめんさない」と謝った。どうやらこの小さな波乱の種は、双子のことを「あいたん、しゅうたん」と呼ぶことにしたようなのだ。利発で元気な子であることは確かだが、いささか行動が激しいのは警戒したほうがよいのかもしれない。

「本当にごめんなさい、テーブル、弁償させてください」と春美もいまにも泣きそうな顔をしている。
「大丈夫です。ただ、ちょっと両親には報告しますね。このうちは両親のものなので、一応知らせておかないと」
「私が直接お詫びを……」
「いえ、小さな子がやってしまったことですから。それに、あんなところにダンベルを放置してる秀も悪いんです。私もいつもつまずいてしまって」

藍はふわりと笑って、リビングの電話の受話器をあげた。両親の家に電話するのだ。
しばらく呼び出し音が鳴って、香が出た。

「お母さん、私」
「藍、どうかしたの?」
「今日ちょっとトラブルがあって」
「トラブル?」
「話すと長くなるのだけど、冴羽商事に鑑定士の奥さんとお子さんを匿っているのは、お父さんから聞いてる?」
「聞いてるけれど、何か危険なことでもあったの?」
「そうじゃなのだけど、ちょっとね、粗相でリビングのガラステーブルの天板、割ってしまって」
「粗相って……藍が?」
「……そう」

藍はなんだかめんどうな気分になって,自分が割ってしまったことにした。鷹揚な両親なのだ。リビングのガラステーブルくらい、どうってことないと言うだろう。それに何しろ、ハンマー使いの母なのだから。

「あんな天板よく割ったわね。……まさか、ハンマー? 秀が依頼人さんに何かちょっかいをかけたんじゃないでしょうね?」

香は若かりし頃の自分と獠を思い出して、秀が美女にモッコリを迫っているのを想像してしまったのだ。

「お母さん、ゲストは依頼人さんじゃないわ。それに秀は自分の部屋で静かにしてます。今は、ここに小さな子がいるから、秀もさすがに何もしないわよ」
「小さな子がいようが……本当に藍が頼りなんだから、何かのときは秀をとめてね。その方にご迷惑をかけることがないように」
「そこは大丈夫、安心して。それで、リビングのテーブルなんだけど、本当にごめんなさい。お父さんとお母さんの思い出のつまったものでしょう?」
「それは気にしなくていいわ。あなたたちは知らないことだけれど、その昔はそのアパートはしょっちゅう襲撃されて破壊されたのよ。だからガラステーブルは何度も買い替えてるから、気にしなくて大丈夫よ。ただ、あそこにテーブルがないと不便ね。さっそく獠に言って、何か用意させるわ」
「ありがとう。面倒なことになっちゃって、ごめん」
「いいのよ。それで、依頼は順調?」
「分からないことだらけ」
そう言って、藍はチラリと春美を振り返った。
「そう。危険がありそうなら、すぐに私か獠に連絡を。いいわね?」
「相変わらず心配性ね。秀とうまくやるから、大丈夫」
「そう。それじゃ、テーブルは明日にでも。獠の予定次第だけど」
「急がないから。それじゃ」

電話をきって、春美を振り返った。
「両親は私に甘いんです。だから、心配しないでください」と言って、ソファを勧めた。椋は母親にくったりと身体を預けて、藍を見つめている。ソファの斜向いに腰掛けて、春美は「少し伺っても?」と口を開いた。
藍は夕食の支度の続きが気にかかるが、春美とおしゃべりして打ち解けるのも必要だろうと思い、薄く頷いた。

「藍さんは、お若いのに探偵さんなのですか?」
「探偵? んーまぁそのようなものです。でも、本業は学生です」
「……学生さんが、またなぜ?」
「両親が同じような仕事をやっていて、それで。下の事務所は両親のものです。だから本当はまだ私は見習いなんです」と照れくさそうにした。
「すごいんですね」
「すごくなんて……あ、でも、ご主人の事件は必ず解明するんで、任せてください。必ず、春美さんと椋ちゃんのところに戻ってこられるよう、力を尽くしますから」
「……帰って、きます。主人は、必ず帰ってくるのです」
そう言って春美は椋を抱き直した。そんな親子を藍はじっと見つめた。
「春美さん? 知っていることがあるなら、私に話してみてくれませんか? きっと悪いようにはしません」
漆黒の瞳に見つめられて、春美は思わず視線を逸らせた。だが、信頼できる相手なのだと、分かってはきているのだ。先ほどの電話は母親との会話だろう、しっかりした口調で迷いなく自分たちを庇った。まっすぐな人特有の話し方、そして自分たちへの正義感を感じる。
夫の顔、荒らされた我が家の映像がフラッシュバックした。誰かに縋りたいーーーそう春美は思った。

「夫の柴崎も……ここのところ、探偵のように何か調べごとをしているようでした」

柴崎春美は、静かに話し始めた。愛は居住まいをただして、話を聞く体制になった。


***



藍がこの日用意した夕食は、幼い頃から父親が自分たちによく食べさせてくれた、特性ドミグラスソースのフワトロのオムライスだ。この家ではそれは”Ryo’s Special”と呼ばれて、定番料理の一つになっている。藍はドミグラスソースの味も受け継いでいるし、卵料理は母譲りでやはり得意なのだった。副菜にポテトサラダという全く簡単なものになってしまったが、普段から藍はそう品数を作る訳ではない。なにしろ、自分と秀が食べるのに、頑張っても仕方ないと思っているのだ。
おまけにこの日は、椋君によるガラステーブルの破壊という事故があったため、また、その後少し柴崎春美の話を聞いたりしたために、さらに簡単なものになってしまっていた。

「椋君にはこれね」と言って、藍は小さめのお皿にきちんと盛られたオムライスを置いた。椋君はダイニングテープルの高さに合わせた子供用イスにちょこんと座っている。
この家は、双子が11歳まで過ごした家であるから、実は子供用の食器やイス、おもちゃなどが大切に大切に保管されている。どれもこれも、香がよく吟味して揃えていったものや、二人へのお祝いにと新宿の仲間たちから二人に贈られたもので、役割を終えた後もここに残されているのだ。今回はそんなものが俄然役に立っている。香に了解をとって改めて保管箱をあけてみて、藍は両親、とりわけ母がどれだけ自分たちを慈しんできてくれたかを、改めて実感したのだった。

椋は母親をみあげ、そして藍を見上げて、「いただきます」と丁寧に挨拶をして、子供用スプーンを手に取った。グズリが終了すれば、愛らしい大人しい男の子に見える。ふわとろの卵を一さじスプーンで掬って、自分で口に運んで、大きく口をあけてパクリ。それから一瞬眉間に皺をよせて、それから笑顔になってモグモグしはじめた。
「気に入ったみたいです。藍さん、お料理上手なんですね」と春美が零した。
「こいつのはワンパターンなの。料理の腕もなかなか上がらないし、幅が狭いから、彼氏の一人もできやしない」と、秀が横からちゃかした。何やら柴崎夫人と藍の間に信頼関係らしきものができかけていることを、敏感に感じ取っている。だからこそ、なのだ。
「煩いわね、秀こそワンパターンじゃないの。それに、私はもっといろんな料理を作れるけど、あんたなんかには作ってやらないだけよ」
「へぇ~。じゃぁ、あの遊び人の色男には作ってやるんだ~」
「なんてこと言うのよ、秀!」
藍は顔を真っ赤にした。けれど、ラルフの顔が浮かんでしまったのは否定できない。遊び人なんかではない、と思わず否定したくなったことも否定できないが、ぐっと飲み込んだ。
柴崎春美がふふっと微笑んで、「藍さんには彼氏さんがいらっしゃるのね?」と藍に視線を送った。
「彼氏なんかじゃ……」
そう否定しようと思うが、否定して良いのか、藍にもよくわからなくなっている状態ではあった。
「藍もさ、いつまでもそんなだと、アイツに心変わりされても知らねーぞ?」と秀がおかしそうに続ける。曖昧が嫌いな秀は、姉のラルフに対する煮え切れない態度にイライラするのだ。ラルフもラルフだと思って呆れている秀だった。自分より3つも4つも上のくせに、藍ごときをきちんと落とせないというのがまったく解せない。どっちも解せないので、とっととくっつけ! と乱暴に思っているのだ。

秀はこんな風にも思っている。
だいたい,ラルフはバカなんだ。相手の気持ちを待っていないで、好きならば一息に口説き落とせばいい。どうせ適当に遊んできたから、自信を喪失してかえって藍に及び腰なのだろう。そう、ラルフはバカだ。女はちゃんとこっちから惚れてやれば、ちゃんと返してくれるものだ。最初から本気でいけばいいーーー少なくとも、「その時」は本気なのだ。それでいい。
秀自身は今現在特定の恋人がいるわけではないし、一人の女に深入りする気はさらさらないのだが、実はここのところ、少し「いい感じ」に近付いている女性がいる。対等とまではいかないが、何かしらこの人はと思わせるものがあるのだ。自分と同じように武器を扱う女だからなのか。
大学で比較的チヤホヤされている秀は、女子大生たちの「黄色い声援」が少々苦手だ。アイドル扱いされているようなのも気に食わないので、実はもうまったく相手にしないと決めている。入学後、二人、三人とデートをしたことは実はあるが、大抵が、「槇村秀とデートをした自分が好き」というようなへんな女ばかりで(少なくとも秀にはそう思えた)、急速に興味を失った。もっと自分を楽しませてくれる女、そんな女を今は待っている。

たわいのない言い合いをしながら、スプーンを使ってしっかりオムライスもポテトサラダもどんどん平らげて行く秀は、藍の料理に不満があるともまるで思えない。春美は面白いきょうだいだと思ってみつめていたが、なぜだか急に涙が込み上げた。張りつめていた日々が、彼女を追い込んでいるのだ。だが、同時に思った。
ーーー何日ぶりにこんな穏やかな気持ちになっただろう。
事態はなにも好転していないが、少しだけ光が見えたような気が、春美にはしていた。

食事を終えて、「下のお部屋に戻りましょう」と春美が椋に声をかけると、「しゅうたんとあそぶ!」と言って、秀の長い足にしがみついた。
「おいおい!」と秀は狼狽える。女に甘えられるならともかく、男に、しかもこんながきんちょに甘えられてどーするオレ! と心で叫んだが、あどけなく見上げてくる子供は、正直可愛いと思ってしまった。
「秀、大人気ね。遊んであげなさいよ。たぶん、お父さんが恋しいんでしょう」
「お父さんってなんだよ。俺はまだ未成年だ。それに俺にはやることがあるんだ。遊ぶなら藍と遊んでくれよ」と半分は椋に言うと、「あいたんもあそぶの」と見上げるのだ。
「椋、我侭を言わないで。もう眠る時間でしょう? お風呂に入って、歯磨きもしなくちゃでしょう?」
晴美が秀にすがりつく椋を抱きかかえようとするが、イヤイヤをして、ついには泣き出した。
「秀、少しぐらい遊んであげなよ。得意でしょ?」
「んなわけねーだろう。子供なんて苦手だ」
「いえ、秀ならできる。ご機嫌取りの天才なんだから」
「なんだよそれ。藍が相手してやれよ」
「私はキッチンの片付けがあるからダメ。でも洗い物、秀が全部やってくれるなら私が椋ちゃんと遊ぶわ」
そう言って、春美に視線を送って頷いてみせた。でも、と春美がいいかけるのを、気にしないでいいですからと続けた。
秀は忙しく考える。ガキとの遊び方など知らない。だが、洗いものなんてそれ以上に嫌だ。適当にやると小姑藍に延々と説教されるのにもごめんなのだ。
「よし、椋、にいちゃんが遊んでやろう」
そう言って、ぐいっと椋を抱き上げて、リビングに運んだ。
それを見て「本当にご迷惑ばかりかけて……」
柴崎春美が項垂れた。
「春美さん、きっと一人で抱え込んでこられて疲れてらっしゃるでしょう? 椋ちゃんもきっとお母さんの不安が分かるんですよ。だから、ここではゆっくりしていてください」

リビングでは、秀が椋に自分が子供の頃に持っていたおもちゃの類いを並べてみせた。五色のだるま落としやけん玉など、どれもこれも懐かしい。椋は丸い時計を模したパズルが気になるようで、秀はそれで数字遊びを教えた。しばらくすると片付けを終えた藍が、どこからだしてきたのか赤いてんとう虫を模した乗り物も持ってきた。これも、椋の年頃に藍と秀が遊んだものなのだ。
こんな風に、冴羽アパートには数年ぶりに小さな子どもの声が夜遅くまで響き渡った。

親子が階下に引き上げた後、秀は藍に問いかけた。日付変更線を跨ぐまでにはまだ間があるので、秀と藍にとってはまだ早い時間だ。

「そんで? こんだけがきちょと遊んだ対価はあったわけ?」
「なぁに、その言い方。結構ノリノリで遊んでたみたいだけど? 秀って意外といいお父さんタイプなのかもね。見直した」
「んなことより、話、聞き出せたんだろう? シェアしろよ」
「はいはい、わかってます。えっと、鑑定士の柴崎さん、やはり贋作を疑っていたそうよ」
「だろうな、それで?」
「ただし、贋作と鑑定するだけの証拠がないので、かなり悩んでいたそうなの」

秀は藍の言葉を頭の中で咀嚼した。だが、脈絡が分からない。
「藍、順を追って説明してくれないか。話が繋がってないぞ」
「春美さんの言った通りを聞きたいかと思って……確かに、”証拠がないのに贋作と疑う”というのは矛盾してるわよね。それでも、柴崎さんには贋物であるという確証があった」
「おいまて、また矛盾してるぞ」
そういう秀の言葉に愛は苦笑した。確かに、ややこしい。
「人を捜さなければならないって、柴崎さんは言っていたらしいの。この作品を作った人間に心当たりがある、と。会って、直接確認したい、そう言っていたらしいわ」

たどたどしく話す春美の話を、藍は根気よく聞いた。柴崎鑑定士は自分の仕事のことをベラベラと妻に話すタイプではないようだったが、今回の”別人歌麿”については珍しく饒舌なところがあったという。日本の技術はここまで来ているのだと、少し興奮気味に話すので、技術? と春美が聞き返すと、自分が考えている通りであれば、これは日本の美術史上に残る画期的技術だが、贋作まがいを作るのに使われているなら、止めなければならないと言って、虚空を見つめたというのである。
「あなたが止めるの?」と慌てて聞き返すと、「すまない、今のは聞かなかったことにしてくれ」と柴崎氏は妻に伝えたという。それから数日して、職場の夫から春美は電話を受けた。

「春美、今日、遅くなるかもしれない。だが、必ず帰るから」

そう伝えられたのだ。こんな連絡は、珍しいことだった。鑑定士でもありキュレイターでもある柴崎氏は、企画展の準備がたて込めば家に帰らないこともごく普通だった。そんな時は、「ごめん、夢中になってて連絡するのを忘れてた」と申し訳なさそうに朝方に電話してくるのが常だったのだ。

「仕事が本当に好きで、美術と芸術を愛している人なんです……」

追憶に浸りそうになっている春美を、藍は急いで引き戻した。

「春美さん、その電話での連絡が、もしかして最後なのですか?」
「そうです。そしてその日の夜、笹野館長さんから私に電話がありまして、主人と鑑定中の作品が、美術館から消えてしまったと伝えられました」

春美は自分の夫を信頼している。美術館の収蔵品を盗むような人間では断じてないし、自分にウソをつくような人間でもない。だから必ず帰って来るのだと、信じている。
笹野館長は、少し思うところがあるので警察に届けるのは様子をみようと思うが、良いだろうかと春美に話していた。状況から、夫が疑われているのだろうと春美は感じ取っていた。だが、館長とは別の意味での夫への信頼が、春美を黙らせたのだ。

話を聞き終わって、秀はソファで足も腕も組んで天井を見つめた。

「だいたい様子は分かった。ようするに、柴崎鑑定士は自分で姿を消した可能性が高いが、それは、贋作事件の真相解明に自ら動いたと見るべきってことで、いいか?」
「そうだと思う」
「そうすると、その先でなにかあって拘束された……ってところか……だとすると身の安全が心配だな」
「それとも自主的に身を隠しているか」と藍は呟いた。それに対して「なんのために?」と瞬間的に秀が返す。
「それを調べるのが、私たちの仕事でしょ?」
「だったな。それで? 藍はこれからどうする??」
問われた藍はしばし考えて、ゆっくりと口を開いた。
「柴崎鑑定士の過去を洗う、かな」
「そうなるだろうな。春美さんに聞くのか?」
「やめておくわ。春美さんのバイアスで見たくない」
「ということは、得意のコレ?」と言って、指でキーボードを叩く仕草をした。
「そう。これまで関わった人間の中に、キーマンがいるかもしれない。経歴を洗って、大学、職場と辿って行けば何か見えるかも」
「データだけで,何か調べられるものか?」
そう試すように言う秀に、藍は不敵な笑顔を見せた。
「秀、私の腕を舐めてもらっては困るわ。ネットに潜るのは、私の得意中の得意技なのだから」
子供の頃から教授に手ほどきを受けている藍だ。扱えるのはなにも各種のコンピュータ言語だけではない。
「足がつくようなこと、するなよ? 人生をパーにするからな」と秀は笑った。
「分かってないなぁ,秀は。優秀なハッカーは、覗いたことの痕跡を消すなんて簡単なのよ。なのになぜあとを残す人がいるのか、秀にわかる?」
「俺は覗きの趣味はないんでさーっぱりわからん」
「でしょうね。私にも覗き趣味はないわ。でも、ただ一つだけ分かることがある」
ここで言葉を切った藍はニコリと微笑んで続けた。
「自分の優秀さを顕示したいのよ。何も残らなかったら、覗いたことがバレないし、覗いた事実も覗いた人物もいないってことになってしまうから」
「自分はこんなところにもアクセスできるんだっていう腕自慢、ってわけか」
「そう。……覗きの目的が、単なる自己満足と自己充足に過ぎないとき、いかなる優秀なハッカーも自分の痕跡をそこに残したいという誘惑にかられる」
藍の格式張った言いように、秀は目を見開いた。
「藍、大丈夫か? なんか目が坐ってきたぞ?」
「そう? だけれど、私にはそんな誘惑は微塵もないってことが言いたいのだけど?」
「ようするに……そうか、だから藍は警察官志望なんだな、それでオヤジも……」
藍にハッキングの技術を磨くように煩く言っている父親の真意を、このとき秀はようやく理解していた。
「お父さんはやっぱりすごい。技術をやみくもに使うのではなくて、本来の目的を忘れてはならない……そういうことね」
「すなわち、正義のためってことか」
「お父さんはたぶん正義とは呼ばないと思う。でも、たぶん似たなにかね。目的がある限り、自分の痕跡を残す必要など微塵もなくなるのよ。今回は私は真実に近付くという目的のために自分の技術を使うわ。だから、足がつくようなヘマは絶対にしない」
「偉い自信だな」
「自信がなければこの仕事はやるな、お父さんはそう言っていなかった?」
言われてみてそうだったと秀も気がついた。「銃で人を殺さない自信がないなら、この仕事はやるな」と言われたことを思い出していた。
「よし、そっちはまかせた。それで笹野館長とは連絡とれたのか?」
「夕方メールでアポを申し入れておいたから」
「明日会えるといいんだが……」
「秀は笹野館長のラインから作品のルーツを追う、それでいいのね?」
「そゆこと。けど明日会えんかったら、藍に先をこされそうだな」
「それはそれでいいんじゃない? それに、暇になったらまた椋ちゃんと遊んであげたらいいじゃない。あの子、とても秀に懐いてるみたい」
確かにこの家にきてまだ数時間というのに、椋は驚くほど秀に懐いていた。
「勘弁してくれ、それに名前がよくないよ。オヤジと同じ名前じゃ、なんかあまり可愛くないだろうが」
そう言ってケラケラと秀は笑った。
「それと気になるのが、今日の柴崎家の襲撃の関係だが……」
「そこは春美さんもなんの心当たりもないそうなの。だけれど、警察が来れば柴崎さんが失踪していることがバレてしまうでしょう? だから通報しないと言っているの」
「なるほどね。そこも辻褄があう、か……」

藍はこの日の夜からさっそく自室のPCで、柴崎氏について調査を始めた。父親のところにある教授が残した情報システムを使えば、特殊通信のプルトコールを使用しているためにもっと楽にハッキングできるのだが、腕ならしだと藍は思って作業に熱中した。
途中、ラルフからショートメッセージが入ったが、無視している。藍にとっては、今は初仕事でせいいっぱいやりたいのだ。ラルフに構っている場合ではない(構って欲しいという理由だけで、メッセージを送ってきていることは,藍には明白なのだった)。

一方のラルフは、絶望の縁に立っていた。
ーーーいまだかつて、藍がこんなにもメールの返信をしてくれなかったことがあるだろうか?
大学が夏休みに入ってから、比較的順調に(ラルフ的な勝手な思い込みであるが)藍との愛を育んできた自分であるはずなのに……。






ーーー続く


思わず....

*pixiv既出です。


獠は今、夢を見ている。

眠りが浅いのが常であるのに、香を心身ともにパートナーにしてから、香の隣であるならば熟睡することを覚え、文字通りそのようにしていた。
寝ていても身を守れるのか、香とともにならば死んで構わないのか、その差はわかない。

いつでも死んで構わないと思ってきた。
人はなぜ死を恐れるのか?
死を迎えれば全て終わるのに。終わった自分を、振り返る術がない。

こんな考え方だからなのか、冴羽獠は死を恐れたことがない。
自分が喪われて、真面目に悼む人物がいるとは思えないからだ。
だが........

香のことを思うと、こいつを悲しませるなら、死んではダメなんだろうと、少しだけ思うのだ。
生にも執着したことがなければ、死を考察したこともない。何にも執着を持たず生きてきた。だが、今は香には本音を言えば執着している。もちろん、そんなことを言ったことは一度もないのだが。

爽やかな風が吹きぬけていく。
自分はなぜか学ランを着て草原に立っている。
こんなコスプレ、大昔に黒いチューリップを盗みにイカサマ科学者のところに乗り込んだときぐらいだ。
服装だけでなく、何か自分がいくぶんか若いようだ。17歳、18歳、そんなところか。いやそもそも自分はハタチなのだから、少し若返っただけだ。
あぁ、これは夢なんだろう、そう思いながら学ランの一番上のボタンとその次のボタンを外した。夢のくせにちゃんと胸元が苦しいのが忌々しい、そんなことを思いながら。

「ごめんなさい。待ちましたか?」

軽やかな声とともにセーラー服の香が駆けてくる。紺地に白いタイが眩しい。スカート丈はもう少し短い方がいいなぁと獠は思う。こいつとコスプレSMごっこを夢ん中で楽しもうとでもいいうのか、俺は。どうせなら白衣がよかった。セーラー服をいたぶる趣味は、残念ながら持ち合わせていない。

目の前に立った香は、なんと長い髪を三つ編みにしている。見た所カツラにもエクステにも見えず、見事に長い髪。だが、せっかく長い髪ならそんな色気のない三つ編みなんかじゃなくて、もっとこう….

頭の中ではこんなふうにいろいろと考えているのに、口から出てきたのは全然別の言葉だった。

「大丈夫、僕も今来たところだ」

ーーー僕? えぇ? 俺、何言ってんの?

香は少し頬を染めて、一瞬だけ獠を見上げてはにかむように俯いた。

あぁ、これは高校生の香であってそうでない。俺は本当の高校生の頃の香を知っている。シュガーボーイで、だが間違いなく美人になると確信を持った。持ったけれど、槇村の妹に関心をもってはならないと、厳しく戒めたのが最初だったーーー

目の前の女学生風の香はきっとハンマーとは無縁だろう、そんなことを思った。今一瞬目が合っただけで、頬を染めた。俺に惚れているんだろうなぁ、夢の中でも獠ちゃん罪つくりだな、そんなことを思うと、左手が自然に伸びて香の右手をとった。

えぇ! 手ぇつなぐんかい!!!
なにやってるんだ、俺!!!

驚いた香が自分を見上げているのがわかる。なぜか頬が火照った。

「あの、冴羽先輩?」

香のかそけな声。
ーーーそうか、そういうシチュエーションか。悪くない。

「獠でいいよ。そんな、先輩なんて必要ない」
「でも……」
「いいから」

そうだ。男がドンドンリードしてやるもんだ。いいじゃねぇか、俺。

獠はだんだんとこの夢が楽しくなってきていた。純愛物語、そんな言葉が頭に浮かんでいる。純愛に憧れるような自分ではないのに、夢ならそんなものも悪くない。

やがて二人は楡の大木の下にたどり着いた。初夏の日差しを浴びたそこに、ちょうどよい木陰できている。
いまや獠は、夢の中の自分が次にとる行動が手に取るようにわかるような気がした。

ポケットから無造作にハンカチを取り出して(ご丁寧にも綺麗にアイロンがあてられていたことに、獠は内心では苦笑したが顔には出さない。それどころか、どうやらええとこの息子らしいと、おかしみをこらえるのだ)、それを木陰に丁寧に広げて「どうぞ」と香に座らせた。

香は左手に持っていたトートバックから、スケッチブックと色鉛筆のセットを取りだして、ごく自然に獠のハンカチに腰を下ろした。その流れるような動作ーーー

そうか、これはいつものこの二人のデートなのか。この香はスケッチが趣味なのだろう、それに俺がいつもつきあっている。まぁ、そんなところだろう。
広げたスケッチブックには、すでに何枚も完成したような作品が並んでいる。多くが風景画だ。

獠はめくられていくスケッチブックを横から見ながら、ぽつりと言った。

「今日も風景を描くの?」

香は獠を見て、はい、と頷いた。
ーーーいちいち、所作がかわいいじゃねぇか。なんだこの香は! いつものハンマーやコンペイトウはどうした? 鎖鎌構えた勇ましい姿も、俺は全然嫌いじゃないんだぞ? だが、スケッチブックを膝に置いて少し小首を傾げる香も、悪くないーーー

「今日は僕を描いてみない?」
「え?」

驚いたように見開かれた瞳がやっぱりうす茶で、この女性が香であることは間違いない。言葉に詰まっている香に、「人物画は、苦手?」と問いかけた。
香がフルフルと首を振る。

「でも、先輩のことは、描けないと思います」
「獠と呼んでほしんだけどな。それで? どうして僕は書けないの?」
「・・・・・・」
「僕のこと、嫌い?」

香はまたしてもフルフルと首を横に振って、スケッチブックを抱きしめて真正面を向いたまま、つぶやくように言った。

「描くには、よく観察しなければならないでしょう? 先輩のこと、そんなじっとなんて……見られない」

最後は消え入りそうな声なのだ。首筋から真っ赤になっている。
ーーーなぁるほど! 俺が好きすぎてじっと見られないのか。なんてカワイイんだ!

「僕は見つめ続けらるのは平気だよ?」
「・・・・・・」
「それとも、やはり僕がこうやってキミのスケッチを邪魔してるのかな?」

香はまた同じようにフルフルと首を振って、「横顔、なら」とさらに小さな声で呟いた。
ーーーいちいちカワイイ、どうしたらいいんだ!

「それでいいよ」

獠は適当な場所に陣取って、香を見ないように遠くの景色を熱心に観察した。
視線が刺さる、という言葉があるがまさにその状況。今、自分は確かに香の視線を感じている。観察、と先ほど香は言ったか。そうだろう、物事に集中するとき、その気は相手に必ず届くものだ。数十メートル離れたところからでも、スコープを通したものであっても、それが自分には手にとるようにわかるように。

穏やかな風が時折吹き抜けていく。
いつの間にか、鉛筆を使う音が止まっていることに獠は気がついた。終わったか、そう思って立ち上がり、香の脇に腰掛けた。

「できあがったの?」

そう問いかけると、香がコクリと頷いた。

「見せて?」
「怒らないで、くださいね?」
「怒ったりなんかするものか。描いて欲しいと頼んだのは、僕の方だから」

香がゆっくりとスケッチブックを自分のほうへ向けたーーーところで、一瞬あたりが真っ白になって、意識が覚醒した。
ーーーちっ、せめて完成作品ぐらい見せろってぇの。それに、おままごとのような恋愛未満で終わりかよ!

なぜか悪態をつきつつ獠はゆっくりと目を開けた。
途端に、現実の香と目があった。

「え?」

獠は思わず、そう発した。

「おはよ、獠」

そう香が言うので、反射的におはようと返した。
だが、獠は若干混乱する。いくら熟睡しても、香が起きたことに気がつかずに眠りほうけていたなんて。いつも、香の意識が動けば必ずそれを察知した自分であるのに。つい今しがた起きたわけではないという香の様子なのだ。

「良い夢でも、見た?」

香は何も気にした風でなく、そう問いかける。

「・・・夢?」
「ものすごく穏やかな顔してた。まるで、獠じゃないみたいに。思わず目が釘付けになっちゃった」

ニコリとする香が急に愛おしくなって、獠は腕を伸ばして抱き寄せた。

「起こしてくれたらよかったのに」

夢の中で感じた視線は、本物の香のものだったのか。

「なんで? 獠がよく寝てるのを起こすなんて……」

胸の中のくぐもった声。いつもの髪に触れると、これがやっぱり俺の香だと獠は唐突に思う。夢の中の清楚な香じゃなくていい。このショートヘアの男勝りな女こそが、俺のーーー

「香、やばい」
「……何が?」
「今、お前に、好きって言っちゃいそうだった」

香が胸の中でぷっと吹き出した。

「やっぱりいい夢をみたのね?」
「今は、夢じゃない香でいいと、そう思ってる」
「獠? 私も獠のこと、好きよ? 全然、やばくないわ」
「お前、いつからそんな大胆になった?」
「大胆かしら? 好きなもんは好きだもの。それとも、これもまた違う夢の中なのかもしれないわよ?」
「そうかもな。だったら試してみよう。これが夢なのかどうか」

そう言って獠は香の体に手を伸ばす。
手に触れる柔らかな感触は、リアルなものとしか思えない。

唇を貪り香の熱を徐々に引き出していく。
それはいつもの、二人の変わらぬ情事の始まりだ。

ああそうなのかと、獠は唐突に思った。

俺は確かに、香に執着している。
それは、生きることに執着してるのと同じことなんだろう。
この柔らかさを、いつまでもずっと感じていたいんだ。
永遠なんてものは望まない。望むべくもない。
だが、香とともにあれる間は、それがもしかしたら永遠に匹敵する価値があるものなんだ。

「りょぉっ…」
「かおりっ…」

二人果てるときは、ともに名を呼ぶのが常だった。
夢であるはずもない、二人の日常ーーー



おしまい



*ツイッターのお題で書きました。
9RT(またはいいね)でサバ猫さんちのリョウちゃんは「ああ、やばい。今、お前に、好きって言っちゃいそうだった」
#ときめくセリフ箱

でした。
獠がこんなセリフを言うなんてありえないんですが、無理やり引き出してみました。
お粗末様です(苦笑)

ですが、夢現の展開パターンは、結構好きです。リアルが自由度の低い獠を、夢の中で男子学生にしり、医学生にしたり、いろんな職業持たせたら楽しいなぁと妄想しています。
(そして、そんな一連というわけでもないのですが、pixivで「写真家の獠」の物語を書き始めました。アフリカがメインの舞台というちょっと異色作。香との純愛物語になる予定です)

5.閑話_リョウと香の時

リョウはPCのモニタに向かいながら一瞬目を眇めて、そして左手でデスクに転がっていた目薬を手に取った。
溜息を一つついて、青い小さな容器を睨みつける。”現代人の目の疲れにプレミアムな一滴を”ーーそう、これは目の疲れであって、老化現象では断じてないと自分に言い聞かせるのだ。
正直なところ、ここのところ目が疲れる。実は少し老眼のケもあるのだ。遠くから近くのものに視線を移すとき、ピントが合うのに以前に比べて多少時間がかかる気がするが、気のせいだと日々言い聞かせているリョウだった。長年鍛えてきた肉体に、老化など無縁だと思いこませている。いや、考えても仕方ないと思いながら、目薬を2滴ずつ両目に指した。忌々しいことにスッキリした。

こんなことを香に知られたら大変だと実は思っている。長年、病気知らずで薬にもほぼ頼らずに生きてきたのだ。内蔵機能も健全で、毎年、健康診断をしてくれている名取かずえにも驚かれている。子供たちが生まれてからほどなく卒煙し、そして酒の量もうんと減った。なればこその健康でもあるだろう。だが、健康診断では目の疲れ具合までは測定しない。いや、そもそも気になるほどの変化ではないのだ、とここでもまたリョウは自分に言い聞かせるのだった。

香は50歳をもう超えたわけだが、相変わらずの若々しさと瑞々しさを保っている。自分では、もう大学生の親なのだからと相変わらず低評価なのだが、周りはそんなことはついぞ思っていない。隣に立つ自分の方がうんと歳をとってしまったのではないかと、時折リョウは怖れるのだ。正確には分からないが、10歳に近い年齢差があるだろう。だから、まだまだ自分はイケているのだということを確認するために、最近、外でちょっと女性に声をかけたりすることがあるのは、これも香にナイショのナイショだった。おのれがまだ男としてちゃんと通用するということは、リョウにとってはアイデンティティ―の根幹にかかわる。その根幹を確認するだけの作業だから、別に浮気でもなんでもない。

最近、射撃場のほうは香が頻繁に顔を出すようになっていることもあって、ちょっとしたおイタも難しくなってきている。何しろ、香がオーナーの妻なのだと知ると、皆、リョウと近付きになってよいものかと躊躇するのだ。それはそうだろうとリョウも思う。香とわざわざ張り合おうという奇特な人間はいないだろう。射撃の腕前も上々な、オーナーの美人パートナー。そんな存在がすぐそこにいるのに、好き好んで、火の粉をかぶりにいく人間もいない。

それでも射撃場の経営は順調なので、リョウは特段不満もない。それに、ここのところのちょっとした噂を聞いて、ニンマリもしていた。
ダンディーなオーナーを諦めたマダムたちは、今度は時折ライフルの練習に来ている槇村秀の見学に余念がないのだという。リョウの射撃場は、基本、クレイ射撃しか行なっておらず扱うのは散弾銃のみだ。だが、そこでライフルの練習をやっている秀は、嫌でも目立っていた。しかも、本来男子禁制の射撃場なのにそこに自由に出入している若者。噂は勝手にいろいろ広がっていたが、オーナーの息子で、競技選手を目指しているらしいとかなんとかなのが主なものだった。
時折、赤いフォルクスワーゲン・ビートルで颯爽と現れ、一人黙々とライフルを撃っている青年、通路などで顔を合わせれば、柔和な会釈を返される。その笑みに、自分の息子とさほど違わないのにとドキリとするマダムも数多いのだとか。

リョウはそんな噂を聞いて、息子の将来がますます楽しみになるのだ。放っておいてもモテるようで、そこは自分の若い頃と比べるとだいぶ差があるようなのがなにか釈然としないが、そこはそれ、香の資質を受け継いだのだろうと思うことにしていた。
息子には、人生を謳歌して欲しいと願うリョウなのだ。女遊びも男の嗜みだ。多少、惚れた女を泣かせるようなことがあってもいいだろう。むしろ、あまりに優しげなところを心配していた。もっと我侭でいい、欲望にも忠実でいい、子供だって何ダース作ったっていいんだと、リョウは剛胆な考え方をしている。世界中の美女とモッコリするという野望を、香の登場ですっかり棚上げしてしまっていた冴羽リョウは、息子にはぜひ一人の女に縛られずに生きて欲しいという見当違いない期待も持っていた。自分が背負ってきたものが反動となって、思わず真面目な人生を送るハメになってしまったが、息子の秀にはノビノビと生きて欲しいのだ。

一方で藍は文字通りの掌中の珠なので、男に泣かされるようなことがあれば容赦しないと思っている。というか、本音を言えばどこへもやらずに手許にずっと置いておきたいぐらいなのだ。
そんなことを時折思うが、自分が過去に多くの依頼人と関わってきて、親子、とりわけ父と娘の間に起こった問題を解決したことも多く、その都度、もっと娘さんを信用してやれ、娘さんの立場になって考えてやれと父親に説教してきた若い自分を思い出して苦笑する。よくもまぁ、依頼人のオッサンたちは若造の自分の言葉を信用したもんだと、今になって思うのだ。
自分なら、簡単に他人の助言など聞かないだろう。藍はオレの娘だ、それを心配してどこが悪い、と散々ダダを捏ねる自信が多いにある。ミックの息子と近付いているのも、もう、心配で心配でならない。
ミックだぞ? あの底抜けの女誑しなど、いまだまったく信用ならない。しかも、自分の魅力を確認するためにあえて恋人のいる女を口説いたり、自分のターゲットの恋人を後で寂しくないようにと先に口説いておいたりとか、もう、リョウからしたらわけが分からない男なのだ。
そんなリョウに、やってきたことは大差ないだろうとミックは嘯く。リョウは熱しやすく冷めやすい分、女を置き去りにしてきたろう? と詰め寄られたこともある。そんな自覚はリョウにはなかったが、本当を言えば本気で愛した女がいないのだから、ミックは何も分かっていないと思っている。香だけ、そう香だけだった。

おかしな追憶に浸りかけて、改めてリョウはモニタ画面を注視した。
やはり、この事件、そのまんまこの事件というか疑惑とつながっている、そうリョウは直感的に思う。
データベースから屋島美術館のキュレーターで鑑定士の柴崎氏の経歴を開いた。有名な芸大出身だ。大学では日本画を学び、その後マスターで芸術学を専攻、私設の版画研究所で4年過ごして屋島美術館に転職して現在にいたる。
この柴崎氏がキーマンだろう。経歴を洗うだけでもかなりのことが分かるはずだが、自分がやってよいものかとリョウは躊躇を覚える。

正直言えば、双子の丁寧なやり方に、ジリジリしているのを実は我慢している。秀の考え方は間違っていない。だが、時間がかかりすぎる。調査に入ってまだ二日目だというのに、リョウはすでに焦れ始めているのだ。
溜息を一つついて、内線でキッチンにいるであろう香を呼び出した。
ーーーたく、この家は広すぎるんだよ。香を呼ぶのにいちいち電話を使うなんざ、おかしいだろうが。
呼び出し音がルルルと鳴り響く。香はなかなか出ない。もう夕飯の支度が終わる頃だろうにと、リョウはさらに焦れ始める。受話器を切って立ち上がると、書斎をあとにしてダイニングに顔を出した。

「香、なぜ出ない?」
「出ようと思ったら切れたのよ。ちょっとトイレに行ってて」

ぶすんとした様子のリョウを、香はおかしそうに見つめるのだ。気が長いところがあると思ったら、ほんの少しのことでも不機嫌になる。ずっと以前、何を考えているのかさっぱり分からずにポーカーフェイスだったことを思えば、酷く面白い。どうせ、深刻な問題ではないのだ。ちょっとしたことで感情がコロコロ変わるリョウなのだから。

「それより、リョウこそ夕方どこに出かけてたの?」
香の質問に獠は言い淀んだ。藍の仕事ぶりを確認に言ったのだということは、口が裂けても言えない。
過保護にするな、構いすぎるなと香に口を酸っぱくして言っている自分の方が、何倍も心配性でストーキングまがいのことをやっているのだとは、絶対に知られてはならない。
「・・・いや、ちょっと」と言葉を濁した。
「ちょっとって何よ?」と香が意地悪く問いかける。
午後、慌てて出かけたかと思うと程なくして戻ってきた。買い物をしてきた様子でもなく、またしても書斎に篭った。こういう時のリョウを、香はあまり詮索しないことにしている。だが、なんとなくは想像がついていた。

「なんでもない。それより、今晩は何?」
「またそうやってはぐらかして・・・まぁいいわ。今日はサワラの西京焼とナスの煮浸しと・・・」
香が品数をあげて行くのを、獠が遮った。
「卵焼きは?」
「ふふ。それはこれから作る」
香はリョウが卵焼きが好きなのをよく知っている。しかも、ほんの少し甘みを足したものが、好みなのだ。
「たまにはオレが作ってやろう」
そうやって腕まくりしながらキッチンに入って行くリョウを、香は追った。
「珍しいじゃない、どうしたの?」
「どうもしないさ。料理ぐらい、いくらだってできるんだから」
そう言いながら冷蔵庫を開けて卵を取り出した。1つ、2つ、3つ、4つ・・・。
「獠、4個はちょっと多くない?」
「いや、ペロリだよ」
それは、かつて子供たちがいた頃の量なのだ。
「コレステロール、知らないわよ?」
「香、卵とコレステロールが関係ないなんて,今や常識だ」
「そんなの知ってるけど、カロリーはちゃんとあるでしょう?」
「心配すんなって。オレはメタボのオヤジなんかにはならないからさ。日頃の鍛え方が違うんだよ、鍛え方が」
そう言って笑いながら、手早くボールに卵を片手で割り入れて行く。菜箸で卵の腰を折って、あまり混ぜ過ぎないのがリョウのやり方だ。みりんに砂糖少々、塩ひとつまみ、そしておまじないに酢も少々。卵焼き機にサラダ油を熱して(リョウは卵焼きは銅製の本格的なものを使っているのだ)、ジュワッと音を立てて卵液を流し入れる。それを菜箸でもう一度ふわりと混ぜる。固まりきる前に器用に3つに折り畳んで、次の卵液を流し入れるーーー手早い動作であっという間に卵焼きが完成した。
リョウは一言も発することなく、流れるような動作で卵焼きを作るのだ。こればかりは香にも真似が、実はできない。片手でフライパンや銅製品を扱う時には、やはりどうしたって力で劣る。だが、香はリョウが料理する姿はもちろん好きだった。昔から、子供たちが生まれてからは、何も言わずともキッチンに立ってくれるリョウだったのだから。

外面では見事な亭主関白を貫いている冴羽リョウだが、実は子煩悩で妻に弱い。恥ずかしがり屋は昔からで、外で子供や妻に尽くす姿は見られたくないと頑に思っているのは事実だった。だが、実は親しい仲間たちには、実に見事にバレている。美樹などに言わせれば、「だって冴羽さんって、昔から香さんに対して隠し事なんてできてたことがないでしょう?」ということらしい。ミックもその意見に多いに頷くのだ。香はそういうとき必ずこう反論する。

「そんなことないわ。すごく分かりにくくて、だから6年もかかったのに・・・」

あるとき、喫茶キャッツ・アイで偶然ミックと居合わせたときに、こんな話になったことがある。双子がちょうど小学校へ上がった頃だっただろうか。
香はもちろん、二人の恋が成就するまでのことを言っている。だが、美樹とミックは声を揃えて反論するのだ。

「分かってなかったのは、たぶんカオリだけだよ」とミックはニコニコ笑う。そして続けるのだ。
「もっとも、リョウはカオリのそういうとこにも、気に入ってたんだろうけどね」
「それってどういう意味?」
香はいつものクセで小首を傾げた。その様子を見て、このしぐさ、魔性の女だなとミックは思う。子供を産み、ますます色気が増して行く香ーーーだから少し視線を外して言った。
「予定調和な女など、興味がない」
リョウならきっとそう言うだろう。
「???」
「カレイドスコープって知ってる?」と今度は香に視線を送った。
「万華鏡ね?」
「そう。カオリはリョウにとってのカレイドスコープだ。キラキラと美しくて、姿をコロコロ変える」
そして、リョウだけの宇宙なのだろう。
「それって、リョウのほうが・・・」
そう言いかけて、香は言葉を切った。

初めてリョウに真剣に見つめられたあの日、その漆黒の瞳に写るのが自分自身であると気がついて、香は一瞬目眩を覚えたのだ。そしてその漆黒を見つめる度に、自分は何度でもリョウに恋に落ちた。あるときその漆黒に初めて煌めきを見つけたとき、リョウが心底愛おしいと思った。それから、二人で手を取り合って生きてきて・・・リョウの瞳に写るものが、美しければいい、楽しい現実であればいい、そう願って側で寄り添った。
それから、香はリョウを見つめるのが怖くなくなった。吸い込まれるように恐ろしく感じていた闇がいつのまにか闇でなくなり、かすかな光を見つけた。それは、一度気がついてしまえば、自分を、そして子供たちを照らす幾万の瞬きにも思えたのだ。万華鏡、まさしくその煌めきだった。

黙りこくった香を、ミックは優しく見つめる。
二人はーーリョウと香はよく似ている。ミックはそう思っている。寄り添った幾瀬幾歳が二人をそうさせているのだろう。身のうちにある孤独を、お互いの存在で埋めたのか。そうではない。きっとそういうことではない。今を足踏みせず未来を見るために、それぞれ求め合ったのだろう。だから、二人は合わせ鏡のように寄り添っている。そこに広がる世界は万華鏡のように広大だ。だから、リョウの分かりやすさをいまだ分かりやすさとして素直に捉えられないカオリ・・・そんなカオリは、リョウからすれば愛おしくてならない存在だろう。自分のうちにどれだけ閉じ込めても、閉じ込めきることのできない輝きを放つ、カオリ・マキムラという存在。

ミックは美樹に視線を移して笑顔を見せた。

「似た者夫婦って言葉は、リョウとカオリのためにあるのかもね?」
「そうね、そうかもしれないわね」と美樹も笑顔で頷いた。
「あんなモッコリスケベと私が似てるなんて、冗談じゃないわ」と香が急いで返した
それに対して、美樹とミックは同時に吹き出した。
「香さん、それって、いまでも冴羽さんが相変わらずモッコリ大事で、スケベってことなの?」
「美樹さん!」
香は顔を真っ赤にさせている。
「カオリ君、語るに落ちたな。アイツ、街で遊んでるのなんてここんとこみたことないぜ」
外で遊んでいないのだから、モッコリの相手は香で相変わらずイチャコラしているってことなのだろうとミックも美樹も思ったのだ。

そう、ミックはリョウとどっちがモテるかという勝負を、ここのところまったくできなくなっていることを残念に思っていた。ネオン街で遊ぶのも、一人ではつまらないのだ。ラルフがずいぶんと大きくなり、(ミックなりには)手がかからなくなっていた。だから、たまの息抜きに街へ繰り出そうと言っても、リョウは乗り気にはならない。お前ナンパやめるのかよ? と真面目に問いかけると、まぁそのうちなといってはぐらかされる。つまんねぇ男になりやがってとミックは思うのだが、双子の子育てに翻弄される香を見ていて、この上ハンマーを出させては気の毒だとも思っていた。

だから自然、自分は一人静かに夜のお姉さんとこっそり遊ぶようになり(もちろん、かずえにはナイショだし、これはただの遊びだとミックは思っている)、時々怪しげなレシートをかずえに見つかっては大目玉を食らって、「1週間反省という名の奴隷生活&新薬の治験者生活」なんぞを送ったりしているのもナイショだった。かずえはああ見えて、激しいのだ。嫉妬に狂った時のかずえは妙に冷静になり、まず丸一日は口を聞いてくれない。ようやく天の岩戸が開いたかと思うと、「これを飲んでちょうだい」と何やらいかがわしい液体を渡される。問答不要でそれを飲まされ・・・あとはよく覚えておらず、なんてことは、情けないことにこれまでに何度かあるのだ。それでも女遊びを辞められない自分なので、リョウの変貌が実は信じられないミックなのだった。

だが。
アイツは今も現役のスイーパーだ。本質的には人殺しを嫌い、自分の手で正義をなすという感覚も持たないリョウにとっては、実はキツい生き方を選んでいる。闇を背負い、けして許されぬ罪を背負った自分を、子供たちに知られたくないという頑さもあるだろう。
自分はスイーパーを引退してしまったから、かずえにもラルフにも何でも曝け出せるのだ。それがいまだできないリョウのことが、わかる気はしていた。
目の前の美樹も現役スイーパーだ。彼女の夫の伊集院隼人も、やはり現役だ。この二人が運命共同体なのは明白だが、リョウと香の結びつき方は、彼らとはだいぶ違うのだということもミックには分かっている。

「カオリ君、リョウは分かりやすい男だとボクは思ってるし、たぶん美樹さんもそう思っている」
どう思う? という様子で、ミックは美樹に視線を送った。
「確かに、分かりやすいわね」
分かりにくい行動のすべてが、香への屈折した愛に基づくのだと気がついてからは、美樹にとっては冴羽リョウほど簡単な男はいないのだった。

この二人の言葉に、少し納得がいなかい香ではあった。
それでも、本当のリョウを知っているのは自分だと、そう思うのもまた香なのだ。

卵焼きを手早く仕上げるリョウ、そんなものは外で見せる必要はない。人前で大事にされるよりも、自分だけのリョウがそこにいてくれるほうがいいのだと、香は思っている。だから多少、リョウが外で悪ふざけをしても、香は大抵多めに見ることにしている。ハンマーだって必要に応じて繰り出すが、実はちょっと加減をしているのだというのは香の秘密だった(というか、長年の鍛錬? の賜物か、”加減”を覚えたと言った方が正確だ)。


***

二人だけの食卓を、この日はキンキンに冷やした冷酒でゆっくりと楽しんだ。
香は日本酒には弱くて、すぐに目のフチが赤くなる。いつもはダイニングテーブルで向き合って食べているのを、途中からリョウが和室に場所を移そうと言い出して、いそいそとつまみをお盆に載せ始めた。
「まだ飲むの?」と香は身構える。すでに四合瓶を一本開けているのだ。
「たまにはいいだろう? 明日何かあるわけでなし」
リョウはニコニコしながら、新しく酒の肴を準備している。
「香、今日は中秋の名月だって、気がついてる?」
「あ、そうなのね・・・」
「だから縁側で月見と洒落込もう。だいぶ風も涼しくなった。なんなら浴衣に着替えておいで」
「なんでそんなノリノリなの? へんなの・・・」
「そうか? 子供たちに仕事を任せてラクができるんだ。今日ぐらいは、いいじゃないか」

そんな風に言いながら、月を見上げて少し考えようとリョウは思っている。
この事件のあらましを。
普段あまり関わらない世界のことだ。だが、日本発のブラックマーケットがあるのかもしれない,リョウはそんな予想をしている。
とうの昔に絵画ビジネスなど終焉を迎えていたと思うのに、ここのところ景気が上向いてきたせいなのか、美術品取引が活発になっている。先日から少しずつ気になっている事象だ。それも、サザビーズのような本格的なオークションも関わってきている。大金が動いている、そういう情報をリョウは掴んでいた。教授の残した情報システムは優秀で、そういった”異変”があるとアラートのようにリョウに知らせるのだ。
だが、基本的にあぶく銭が動くだけならリョウの関知するところではない。

日本は財政問題がどうの、不景気がどうのと言っているが、基本豊かな国だ。一部の金持ちが溜め込んでいる金が、なんらかのマーケットを通して日の当たる世間に流れてくるなら、それはそれでいい話じゃないのかとリョウは思ったりもしている。なにしろ自分自身が、ほとんど表沙汰にできない金を元手に商売をやってきた。だから、盗品だろうが真作だろうが、基本、人が傷つかなければそれはそれでアリなんじゃないかとリョウは思っていたりもする。真贋を見分ける目がなくて贋物を掴まされたとしても、買った本人にとってそれだけの金を出す価値があったと思うことの方がよっぽど大事ではないのかと、リョウは思うのだ。そんなことも分からずに、ただ他人の評価を鵜呑みにして贋作に手を出す、そんな愚かしい人間には興味がない。ある意味、騙される方も悪いのだ。悪を喰ってきた自分なので、正義なんて知らない、それで終わりだ。

だが、双子に持ち込まれた事件が、この闇と繋がっているなら話は別だ。
なにしろ人が一人姿を消しているのだから。

リョウは縁側に座って月を見上げて、ふと秀の言葉を思い出した。

”この事件、ローマンの出番がある気がするんだ”

そんな風に確か言ったのだ。リョウは目まぐるしく考える。秀はいったい何を嗅ぎ取ったのか?
しばらく考えて首を左右に振った。自分にはこの事件に暴力性は感じられない。もしそうであれば、自分がとっとと片付けた。
まずもって、リョウから言わせれば最初の館長とのコンタクトからして、秀は甘いのだ。依頼人の話を素直に聞くのは悪いことではない。だが、簡単に信用してもならないのだ。秀にはまだ経験が足らないから、仕方ないことなのでリョウは口出しはしない、そう思っている。

このように、リョウは秀を褒めたり認めたり貶したり忙しい。それは期待の大きさの現れなのだろう。
やがて、香がチェイサーにするのだろう、ガラスポットに水を持って現れて、リョウの隣に腰掛けた。

「なんだ、浴衣を着てくれるのかと思ったのに」とリョウはがっかりした声で零した。浴衣の香が好きなのだ。それはそれは色っぽいのだから。香はふふっと笑って答える。
「それはまた今度」
「そっか」
「お月様、綺麗ね?」と月を見上げた香に、「香の方が綺麗だ」とリョウは真顔で答える。

香がぶっと吹き出した。リョウは時々すんごい恥ずかしいこと言うねと、ケラケラと笑うのだ。そんな香に、
「だって、ボクちゃん、正直に生きてきたしぃ」とかつての若い頃のような口調で付け足すのが、香はさらにおかしい。
「リョウ、そんな子供っぽいところ、藍や秀に見られたら大変よ? 父親の尊厳台無し」
そんな風に言いながらまたしても堪えきれず笑い続ける香なのだ。
リョウの表情は目まぐるしく変わる。かつての分かりにくさからすると、それはもうウソのように。感情を押し隠してきた人生の最初の数十年分を取り戻すかのように、今のリョウは過ごしている。そんなリョウを見ているのが、香はとても嬉しい。
「子供ついでにさ、花火、やろう。いつかのが残ってるだろう?」とリョウは立ち上がった。
「ずいぶん前のよ。もう湿気っちゃってるんじゃないかしら?」
「大丈夫さ。今、持ってくるから」

この日、二人は庭先で手持ち花火を楽しんだ。それはまるで、二人の若い頃そのもので。
最後は線香花火がどちらが長持ちするか、まるで子供のように、しゃがんでおでこをくっつけるように、競い合った。
ぼとり、とリョウの花火の火玉が落ちて、続いて香の花火をシュンと消えた。急にあたりが静かになって、リョウはそのままの体勢から香を覗き込むようにそっと口付けた。香は驚いた顔で、目を見開いたままだ。そんな若者のような二人を、まん丸な月が照らしていた。

普通という人生といのからは、少し外れているのかもしれない。
いささかスリリングな若い時代を過ごし、そして様々な困難を乗り越えて子育てをしてきた。
ようやくその子育てが一段落し、二人はまたかつての恋人同志に戻っている。

同じ頃、新宿・冴羽アパートではちょっとした騒ぎが勃発していたのだが、二人はそのことを知る由もないのだった。



ーーー続く





*自分自身では、こういう大人の落ち着いたリョウと香を書くのが、とても好きです。リョウは大人になっても、いつまでも子供っぽい所を抱えているだろう、そんなふうに想像しています。

4.双子、調べる。

秀は大邸宅の門扉の前に立っていた。すでに来訪のアポはとってある。屋島美術館に売却した肉筆画について、少し話を聞きたいという触れ込みだった。自分はW大生で、文学部で絵画史を勉強しているのだと言うと、喜んで時間をとるとこの邸宅の主は言ってくれたのだ。
秀は邸宅の主ーーー平澤氏に関して公開されているプロフィールで、この人物が自分の大学の遥か上の先輩であることに着目していた。W大は縦も横も団結力が強い。いや、実際に団結するのではなくて、同じ大学というだけで妙に連帯する傾向があるのだ。だからそれを秀は利用した。もちろん、秀は理工学部建築学科所属で文学部などではまったくない。だが、そんなことはどうとでも取り繕えるだろうと、秀は思った。

呼び鈴を押すと、カンコーンと古風で伸びやかな音が響いた。イターフォンのマイクがすぐにオンになった気配がして、どちら様でしょうかという女性の声がする。お手伝いかなにかだろうか、と秀は予測した。

「槇村と言います。平澤さんにお会いすることになっていて…」

皆まで言う前に、少々お待ちくださいという返答があり、観音開きの門扉がゆっくりと開いた。
そのまま玄関までお越し下さい、そうインターフォンから声がする。秀はすっと背を伸ばして、今日も自分をつけてきているミヤさんに視線を送って、軽く右手を上げてみせた。気付かれていない、そう思い込んでいたミヤさんは急いで物陰に引っ込んだ。

この日は、二人が別々に動く、そうミヤさんはリョウから連絡を受けていた。だから、藍を見張るためには別の人間に声をかけていて、自分は秀についてきた。初日の自分の尾行が気づかれていたなどとは、リョウからは一言も言われない。だが、今の様子からすると、もしかしなくても昨日からものの見事にバレていたのだろう。リョウと香の息子と娘と言っても、まだ十代ではないかと多少侮った自分を恥じた。これじゃぁ、シティーハンターの情報屋失格だと一瞬思うが、そもそも冴羽リョウに気配を探られなかったことなど、これまで一度たりともないことを思い出す。だからこそシティーハンターなのだ。最初から隠せると思い込んでいた見込みの方が間違いなのだろう。
それにしても槇村秀、堂々としているとミヤさんは嘆息する。身体の鍛え方はリョウとは多少違うので、立ち姿はそれほど似ていない。身長はもしかしたら父親を超えているだろう。
ミヤさんとリョウの付き合いは、ちょうど秀と藍が産まれた頃に遡る。当時もっともリョウが頼りにしていた情報屋のテツが、寄る年波を考えて、自分の仕事を徐々に覚えさせる相手として、ミヤさんを選んだのだった。その頃、ミヤさんはゴールデン街で店を一つ失敗して、流浪しかかっていた。借金こそ背負わずずに済んだが、もう新宿から離れるかと思っていたところで、テツに声をかけられたのだった。それから、新宿を守っている冴羽リョウことシティーハンターの話を散々に聞かされた。もちろん、ミヤさん自身もかつて新宿の種馬と呼ばれた裏社会の男の噂を知っていた。だが、そんな漫画みたいな話が実際にあるのかと半信半疑でもあった。自分が店を開いていた短い間にも、種馬が現れたことはなかったのだ。

「リョウちゃんは秘密が増えたんで、街に出てくるのは慎重になってるんだ」

あるときテツはそう言った。

「秘密?」とミヤさんは問いかける。
「香ちゃんが・・・リョウちゃんのパートナーなんだけど、しばらく新宿から姿を消していたんだ。住処をリフォームするってんで、そうさな、1年弱、新宿を離れていた」
ミヤさんは静かに続きを待った。
「最近、戻ってきたんだ。子供を連れて」
「子供?」
「リョウちゃんの子供だよ」

裏社会もなにもよくわからないミヤさんだったが、それはどういうことなのだろうとしばらく考えた。

「危なくないんですか?」とテツに問いかける。だってそうだろう、裏社会で新宿を守ってるってことは、敵が多いということでもあるのだろう。女どころか子供は、最大の弱点じゃないのかと思ったのだ。

「危ないさ。だからこれは、まだほんの一握りの人間しか知らない」
「そんなことを、俺に話していいんですか? シティーハンターが子持ちになったと、どこかに触れてまわるかもしれない」
「ミヤちゃんはそんなことしないよ。眼を見ればわかる。だが、これを知ったからには、もう仲間だ」
「えぇ?」

そんなむちゃくちゃな、とミヤさんは思った。知りたくて知ったわけではないのに、いきなり秘密の共有者。

「ミヤちゃんもいまにわかる。リョウちゃんと香ちゃんが、どれだけ凄い人たちか。俺ら新宿の人間は、どれだけ二人に世話になったか知れないんだ。その二人の子供は、この新宿の宝物だ。だから俺らは全力で子供たちを守る。それが俺らなりのシティーハンターへの恩返しなんだ」

俺たちーーーそう表現するほどの連帯があるということなのかと、ミヤさんはぼんやりと思った。
それから、簡単に言うと、ミヤさんは双子に愛らしさに惚れ込み、そこにともにある槇村香に憧れた。そしてそのすべてを守る冴羽リョウという男の大きさに、心服したのだった。
現在は縁あって、新宿で小さな酒屋を営んでいる。飲食店に酒を卸す仕事だ。様々な店とのつながりができ、日々そこにある情報に眼を光らせている。こんなふうに身が立つようにと考えてくれたのは、やはり冴羽リョウだった。ゴールデン街に顔の効く大物ママと、今の酒屋の仕事をみつけてくれたのだ。
以来、ミヤさんはシティーハンターの忠実な僕だ。

屋敷に吸い込まれて行った秀を見送って、ミヤさんはブルゾンのポケットからショートホープを取り出して、一本咥えた。100円ライターで火をつけようとして、少し躊躇ってやめた。以前、香に言われたことを思いだしたのだ。タバコ、少し控えらたほうがいいよと少し心配そうに、自分にそう声をかけてくれた。リョウだって卒煙できたんだから、ミヤさにもできるよと優しく言われ、いや、自分はリョウさんほど意思が強くないのだと、そう俯くしかなかった。だけれど、せめて双子の初仕事を見守る間ぐらいは、禁煙してみるかと思い立った。願掛けーーーのようなものである。どうか、双子が無事に仕事をやりとげますように。
子供の頃から見守り続けたミヤさんにとっては、秀と藍はもはや我が子のようなものでもあるのだ。


***


藍は意を決して、クリーム色のボタンを右手人差し指でエイと押した。ピンポーン、とよくある呼び鈴がなったが返事がない。少し待ってもう一度押してみた。留守なのかーーー藍はしばし考える。アポはとっていないのだ。専業主婦で家にいるはずだという事前情報があったのと、下手に連絡をすると面会を拒絶される気がして、アポなし訪問なのだった。念のためにもう一度、呼び鈴を押した。

十分な躊躇いの時間をとって、鍵がカチャリと開けられ、ドアが薄く開けられた。チェーンがかけられたままだ。腰を屈めるようにして、その隙間から外を見つめる女性ーーー柴崎夫人だろう、ずいぶんと憔悴しているように見える。化粧っ気のない顔で、蒼白さが際立っている。歳は30歳になったかならない頃か。
何も言わずに見つめてくるので、藍は戸惑った。どちらさまですか? そんな当たり前の問いかけがなされたら、「槇村と言います。美術館の笹野館長から頼まれまして……」と、ある程度本当の話をしようと思っていたのだが、怯えた瞳で自分を見上げている様子に、藍も言葉がでない。

「・・・あの?」

そう辛うじて藍は発した。
その声にまるで驚いたかのように、女性はドアに縋るようにして、そのままヘナヘナと座り込んでしまった。だが、驚いたのは藍の方だ。急病なのかと、まずは思った。だから、藍も女性の視線の高さまでしゃがんで、声をかけた。

「大丈夫ですか? どこか具合でも??」

女性はフルフルと首を横に振った。そうして、藍を見上げて、お願い、助けて…と小さな声で呟いた。その言葉に藍は目を見開く。何かこの女性を怯えさせるようなことがあったのだろうと、思った。だからドアに縋っている手を自分の右手で包み込んだ。

「大丈夫です。まずは、チェーンを開けてください。お話を聞きます。私、怪しいものじゃありません。笹野館長の知り合いです」

短い時間で他人を安心させる術など知らない。だけれど、ドアを閉めさせてはいけないと藍は思った。だから、目を見てしっかりとそう言ったのだ。

「立てますか?」と藍は視線を逸らさずに続け、右手に力を込めた。女性がゆっくりと頷いて、なんとか立ち上がったところで藍は手を離した。ドアがゆっくりと締まり、擦れるような金属音が聞こえてチェーンが外された気配がしたのち、もう一度ドアが開いた。
女性は先ほどよりは、顔に生気が戻っているようだ。

「入らせて頂いても?」

そう問いかけると、まるで操り人形がそうするようにコクリと頷いた。
藍はドアを開けて中に足を踏み入れた。小さいが玄関ホールになっていて、正面にトイレと風呂場らしきものが向かい合っている。左手のドアが開いていて、なんとかくリビングダイニングかと思われた。右側にも一部屋あるようだ。
女性がフラフラと先を歩いて左側の空間に入っていくので、藍はそれに続いた。足を踏み入れた途端に、藍は何が起こったのかをすぐに察した。荒らされているーーー泥棒に入られたというより、まるで家捜しの後だ。引き出しが乱雑に開けられているだけでなく、ソファーカバーまで剥がされている。ただの盗み目的とは思えないと咄嗟に思った。

女性はヘナヘナとカバーが外されたソファに座り込んだ。

「柴崎さん、これはいったいどうしたんですか?」

藍は女性の前に膝をついて、問いかける。

「・・・帰ってきたら、こんなことに」と力ない声で返事が帰ってきた。
「警察へは?」と藍はさらに問いかける。
「ダメです。警察なんて・・・」

思いのほか、強気の表情で即答された。
藍はしばし考えた。夫の行方が知れないことと、この家捜しには関係があると夫人は考えているのだろう。どうしたものか。しばし考えて、ふと気になった。

「柴崎さん、お子さんは? 大丈夫なのですか?」

確か4歳の子供がいるはずだ。

「保育所に・・・今日は一次預かりで。私、父の見舞いに行ったり、いろいろあって、今日は特別に。そろそろお迎えに行かないと」

再び虚ろな表情に戻って、慌てて立ち上がった。

「落ち着いてください。こんな状態の家を、お子さんに見せてはいけません」
「でも・・・」
「ちょっと待ってください」

父に聞こう、藍は咄嗟にそう思った。
立ち上がってスマホを取り出して、父親を呼び出した。呼び出し音を耳にしながら、窓の外を見つめて考えを整理した。

ーもしもし、お父さん?
ー藍か、どうした?
ー実は今、鑑定士さんのお家に来てるの。そうしたらお家が荒らされていて・・・・

家捜しに思えること、このままこの親子をこの家に置くのは危険な気がすること、そういったことを捲し立てた。

ーそれで、藍はどうしたい?
リョウは静かに問いかける。
ーうちのアパートに、とりあえず匿まいます。事務所の下の部屋、使っていい?

冴羽アパート5階は事務所で,その下の4階は依頼人を匿うための住居になっている。いわば、隠し部屋だ。

ーもちろんだ。それでどうする?
ー探し物がまだ見つかっていない可能性もあると思うの。だからここは今は手をつけずに、写真で記録します。
ーいいだろう。ミヤさんか誰かが、藍についていってるだろう? 見張りをお願いするといい。
ー私が言って大丈夫?
ー問題ないさ。こういった時のために、ついてもらってるんだから。それと、そこを離れる前に、一つだけ夫人に確認しておきなさい。
ー分かってる。ご主人から預かっているものはないか、でしょ?

そもそも相談などしなくとも、藍は自分ですべて判断できたのだろう。だが、誰かに確認して欲しかった、そういうことかとリョウは思う。なかなか頼もしい娘だ。だが最後に余計を付け足した。言わなくても、藍は分かっているだろうが。

ーその通りだ。そこが肝心なところだ。だが、焦って話を聞き出さないほうがいいかもしれん。今日まで警察に届けず、家が荒らされてもまだ警察を頼らない。よっぽどのことだと考えたほうがいいな。それと、こんな昼間から荒事を平気でするような連中だ。まだ近くにいる可能性がある。なるべく早くにそこを離れなさい。尾行がないか、よく確認しながら新宿に戻るように。 
ー分かりました。ありがとう、お父さん。

通話を終えて、夫人を振り返った。

「ここは危険ですから、安全なところにあなたとお子さんには移って頂きます」
「でも・・・」
「大丈夫です。私たちを信用してください。あなたの、そしてご主人の秘密は守ります」

初対面の人に通じるか分からない。だが、誠意をもって話せば、伝わるはずと藍は念じた。多くのことを説明している暇はない。父親の言った通り、もしも家捜しが成功していないのなら、夫人が戻ってからを狙う可能性が否定しきれないのだ。

「私はそのために今日、ここに来ました」と藍は続けた。
「・・・館長さんのお知り合いと、おっしゃいましたね?」

そう問われるので、しっかりと視線を合わせて頷いてみせた。

「とりあえずの着替えと必要なものをまとめてください。終わったら、お子さんを迎えに行きましょう。そのまま新宿に行きます」

車で来なかったことを藍は少々後悔していた。愛車のビートルであれば、子供を連れての移動も楽だったはず。だが、こんな事態想定していなかったのだ。悔いても仕方ない。荷造り作業をしている間に、夫人はさらに落ち着くだろう。話はその後でも遅くない。

柴崎春美は、初めて会うはるか歳下であろう女性に、いきなりいろいろと指示を出されていることにようやく困惑を感じたが。だが、信用して欲しい、そう言った時の目は真剣そのものだった。
この荒らされた家を、一人で片付ける自信は今のところない、頼って良いのなら、頼りたいーーー春美はそう思った。
自分と息子のーーー椋の衣類をまとめながら、夫が姿を消して以来、初めて誰かに話を聞いてもらいたいと彼女は思い始めていた。

鞄の準備ができたところで、ソファで待っていた藍は声をかけた。

「一つだけ、今、ここで教えてください」
「なんでしょう?」
「ご主人から、何か預かっているものはありますか?」

夫人は質問の意図が分からないといった風に、小首を傾げてみせた。
返事がないので藍は続けた。

「ではこんな風に荒らされる原因に、何か心当たりがありますか?」

今度は夫人は目を伏せて、ありませんと小さな声で答えた。
その様子に、嘘を吐いた、あるいは誤摩化したと藍はすぐにわかった。だが、ここで追求したところで仕方ないだろう。

「現状を保存します。写真撮影、させていただいても?」

藍はことさら明るく話しかけた。いずれにせよ、沈みがちな人を苛める趣味は自分にはないのだ。藍の言葉に春美は力なく頷いた。
一通り記録を取り終え、藍と夫人は家を出た。よく見ればピッキングの形跡があるのだ。団地の典型的な鍵など、その道のプロにかかればひとたまりもないだろう。だが、施錠の意味がなくとも鍵はかけておくほうがいいのは間違いない。藍は少し考えて、ドアの下の方にセロハンテープで封印の徴を貼った。意味があるか分からないが、再び侵入者があったことの確認はできるはずだ。
建物の外に出ると、物陰にいるやはり新宿の顔見知りのタカさんを見つけて、二人は近付いた。
タカさんはつい先ほどミヤさんから電話連絡を受けていて、自分たちの尾行はバレているようだと既に聴いていたので、陽気に藍に挨拶をした。

「藍ちゃん、お仕事終わったのかい?」
「それはまだ。タカさん、私がさっき入っていった部屋、わかるよね?」
「もちろんだ」
「しばらく見張っておいてもらっていい?」
「お安い御用だ。帰りは大丈夫なのかね?」
「気をつけて帰るから、大丈夫」
「分かった。ところで、見張っておくだけでいいのかい?」
「それでいいの。もしも誰かがやってきても、危ないから近付いたりしないでね」

藍に心配されるようじゃ、おしまいかとタカさんはちょっと思うが、優しさはよくわかるのだ。だから、反論せずに頷いた。
大丈夫と藍は言ったが、依頼人か関係者を連れて歩く時が一番危ない時だとタカさんはよく知っている。だが、視界の隅に入った赤いミニクーパーを見て、苦笑した。
リョウちゃんは本当に心配性だなぁと思いながら、必要以上に近付いてくる気配がないのを確認して、意図を悟った。娘には隠したいってか。ならば自分がやるべきことは明確だ。

藍を見送ったふうを装って、タカさんは静に尾行を始めた。せめて駅までは、見送ってやろうと思ったのだ。途中、保育所に寄りそこからは子供を伴った。
3人が改札口に吸い込まれるところまで確認して、タカさんは急いでもとの場所に戻った。そこには果たして、クーパーが横付けされており、リョウがそれに凭れて団地を見上げていた。

「無事に帰ったか?」
「駅までは見送った。尾行者は俺以外にはなしだ」
「ありがとう」
「礼はいらないが・・・リョウちゃんさぁ、ここまで来たんなら、車で送ってやればよかったのに」
「いや、あまり手出ししないと決めてるんでね」
「ふうん・・・ところで今日、香さんは?」

リョウはすっとタカに目をやった。
まったく新宿の人間はどいつもこいつもすぐに自分を見ると「香さんは?」だ。困ったことだとリョウは思う。
香の歓心を買おうという輩もいまだに多い。冴羽獠の恐ろしさは分かっているはずなのに、これなのだから。

「置いてきた。あいつは気配を消すのが苦手だから」
「そんな理由なのかねぇ・・・」

タカは疑わしそうにリョウを見つめる。自分だけが藍の事件に首を突っ込もうとしているのを、香に知られるのが怖いのでは? とタカは予想している。
冴羽獠という男は、実は若い頃から表面に見えている以上に冷静沈着な男であったし、ここ数年はその凄みを増している。ただ、こと子供たち、特に藍のこととなるとその冷静さはいささか、いや、かなり吹っ飛んでしまうのはすでに有名な話だった。香によく似た藍は、リョウにとって格別の存在なのだろうと皆思っている。だから少しは、分かるのだ。それは香だって理解しているはずで、何もコソコソ隠す必要はないはずなのだが、きっと、「子供たちの事件に手を貸すんじゃないぞ」とかなんとか、威厳を見せているつもりなのだろう。付き合いの長いタカには、それくらいのことは容易に想像がついた。

タカのからかうような言い分が気になったのか、ギロリと睨みつけた。・

「さて、ちょっと様子を見てみるかな」

そう言うと、クーパーに凭れさせていたカラダを起こして、歩き始めた。問題の部屋を目指しながら、背中にタカの視線を感じる。こんな強い気では、藍や秀でなくとも気がつくだろうとリョウは思うが、タカが非常に優秀な情報屋であることをリョウはよく知っているのだ。実は、一度、せがまれて銃の練習を見てやったこともある。非常に筋が良かったのだが、だからこそ、これ以上銃には近寄るなと言い渡した。
情報屋を絶対に危ない目に合わせない、それがシティーハンター冴羽リョウの信条の一つなのだった。銃を持つ人間は同じ匂いの人間を必ず引き寄せる。自分の情報屋にはそんな場面は必要ない、そうリョウは思っている。

問題の部屋の前に立って、さりげなく解錠した。
これぐらいの鍵など、リョウにとっては雑作もないことなのだ。ドアをそのまま開けようとして、靴の甲の高さのところに貼られた封印に気がついた。
藍の仕業か、なかなかやるじゃないか。そう思うが気にせずにドアを開けた。封印のセロテープは切れることなく、ドア側に引っ付いたままだ。それには目をくれることなくリョウは玄関を入り、柴崎家にあがりこんだ。

藍が写真で記録をとると言っていたから、手を触れるわけにはいかないがと思いながら、獠は玄関側の和室を覗いてみた。6畳程度の和室で、家主の書斎として使われていたのだろう。書棚から美術関係の本が何冊か引き出されて、床にぶちまけられている。机の引き出しも開けられたままだ。
次にリビングダイニングに向かった。この部屋のほうが酷い惨状だ。続く引き戸を開けると、2間の和室で、一部屋が夫婦の寝室になっている。衣装ダンスまで物色されているが、押し入れは開けられてはいないようだ。

これは、ただ荒らしただけではないのか、という印象をリョウはもった。作業に統一性がまるで見えないのだ。
ーーーあるいは、探すべきものがわからないのか。

ここからは何も読み取れない、リョウはそう結論づけて、玄関を出た。藍の施した封印を元に戻す。詳しい人間が見れば、一度剥がれて貼り直したと分かることもあるだろうが、藍にそれができるのかはわからない。たぶん、さすがにそこまでは思い至らないだろうと思うのだ。

クーパーに戻ると、タカに声をかけた。

「すまないがしばらく見張ってやってくれ。だが、敵はもうここにはこない、そんな気がする」
「分かった」
「だが、何かあったら藍に連絡をしてやってくれ」
「リョウちゃんには?」
「いや、必要ない」

そうなのかねぇとタカは思うが、ここでも反論はやめにした。

***

冴羽アパートリビングで、4歳の子供が走り回っている。

「りょう、ちょっと静かにしていなさい」

そう、柴崎春美は我が子に声をかけた。
やはりソファに腰掛けて足と腕を組んで考え事をしていた秀は、「りょう」という呼びかけに反応した。

「その子、りょうって言うのか?」
「・・・そうです。木偏に京と書いて椋、です」
「ふうん」
「何か?」
「いや、なんでもない」

柴崎春美、今はちょっとそそけだってしまっているが、間違いなく美人の部類だろうと秀は思う。
しかも、もしかしたらオヤジのストライクゾーンだろう。ほっそりしてはいるがメリハリのある体つきで、着やせするタイプと秀はみきった。今は髪もまとめてしまっているが、きちんとセットしたらちょっと人目を引く美人だ。理知的な目元といい、かなり、かなり、オヤジの好みだろうと秀は確信した。
父親が女遊びをしないのは知ってはいるが、女好きなのは当然知っているのだ。何やら最近は自分たちにかっこつけたがるオヤジだがーーー簡単に言えばスケベなのだ。多少ダンディーに振る舞っておいた方が、女にモテるのを知っているのでそうしているだけだろうと秀は思っている。
この美人が、オヤジの名を無意識に呼ぶーーーにやけるオヤジに拗ねるオフクロ、そんな絵が唐突に頭に浮かんだ。元気のいい柴崎椋くんが、何かの火種にならなければよいがと秀は呑気に思う。

隠し部屋の確認に行っていた藍が戻ってきた。

「電気もガスも問題ない。柴崎さん、ご案内します。必要なものがあったら、おしゃってください。用意しますから」
「そんな…何から何まですみません」

俯き加減になった春美の、襟首の美しいラインが目を引いた。やっぱりオヤジの好みだと、秀は確信を得た。残念ながら秀のタイプではない。それに人妻にも興味がないのだった。

「気を使わなくて大丈夫です。依頼料は頂いていますから」と藍が声をかけた。

「依頼?」
「笹野館長さんから、ご主人のことを依頼されています。でも、今日はお話はよしましょう。まずはお部屋で寛いでください。なかなか素敵なお部屋なんですよ」

そう言いながら、視線を秀に向けて、秀もそれでいいわねと聞いた。

「構わないさ。柴崎さんのケアは藍に任せたから」

今回の事件はモノとヒトが消えている。根は同じ一つのものだろうが、調べは別のものとして考えて進めた方が、真実に近づけるだろうと秀は思っている。だから、この日、平澤氏から聞き込んできたモノに関する情報を、まずは藍と共有するのだ。
今日は柴崎夫人からは話を聞かないという藍にも、何か考えがあるのだろう。それでいいと、秀は思う。

柴崎親子を案内していた藍が階下から戻ってきて、秀の斜向いに腰掛けた。

「藍、今日、平澤の爺さんから聞いてきたことを説明するが、ちょっと厄介なそうなんだ」
「厄介?」
「気のいい爺さんで、何でも話してくれた。俺を大学の後輩と思い込んでるんだ。自慢の骨董品をわんさか見せられてうんざりしたが、必要なことは聞き出せた」

そこで言葉を切った。しばらく考えて言った。

「いや、違うな。何も分からなかった言った方が正解だ」
「どうゆうこと?」と藍は眉をしかめた。
「平澤のじいさんは、名前を貸しただけだということだ」
「もとの持ち主じゃない…」
「そいうこと。俺はこれは贋作事件だと思う」
「贋作?」
「そう。鑑定書が贋物なんだよ、きっと」
「どうしてそう思うの?」
「でなければ、なぜ盗難事件として処理しない? 館長も薄々怪しいと思ってるんだよ。ただ、鑑定を書いた人間を庇っている」
「誰が書いたの?」
「テレビにもよく出てる人物だよ」

そう言ってとある人物の名をあげた。藍ももちろん知っている。日本画を鑑定家としては有名すぎる人物だ。もはやタレントと言っていいほどよくテレビに出て、骨董の話を面白おかしくしている人物だ。

「そんな人が、贋作なんかに関わるの?」
「そうなんだろう。俺はそう思う。ただ、この人物に俺たちが近付くのは容易じゃない」
「その平澤のおじいちゃんには、紹介してもらえないの?」
「頼んでみたけど、無理だって。気難しい人物だし、忙しいそうだ」
「……じゃぁ、お父さんたちに動いてもらう?」
「いざとなったら、そうだな。そこはちょっと考える。ただ、もう一度笹野館長に会うことでなんとかなるかもしれない」
「そうね。あまりお父さんたちを頼りたくないものね」
「そう。せっかく任せてくれたんだ。自力でやろう。そもそも美術鑑定士っていうのがさ、なんか言い方は悪いが怪しげな職業っぽいし。それもちょっと調べてみる。笹野館長へのアポ、藍に頼んでいい?」
「連絡しておくわ」
「頼んだ。それで、柴崎家の災難はどう見る?」

藍はかいつまんで既に状況を秀に話していた。

「春美さんは何かを知っていて隠してるってことは、確かだと思う」
「そうだろうな。警察を拒否している理由については?」
「ご主人を……信じているから、かな」
「信じてる?」
「なんとなくよ。もしかしたら、誘拐なんかではなくて自分の意志で失踪したのかも」
「だが、戻ってくると信じてる?」
「そう」

辻褄は合う気がする、そう秀は思う。

「焦らずに話を聞き出してくれ」
「分かってる」

こんな風に、新生シティーハンターの二人の息は、よく合っているし役割分担も上々だ。
父親が影でヤキモキしているよりも、本当はこの二人の方がよっぽど落ち着いているのだ。

「そう言えば、ラルフから電話があったよ」
「なんだって?」
「藍からメールの返信が来ないんだ。病気か何かじゃないのかって」と秀はラルフの口調を真似ね,そのまま続けた。

「ちゃんと返信してやれよ。彼氏なんだろう?」
「彼氏じゃないし、いちいち返信してらんないくらいくだらないメールを送ってくるの」
「下らないって?」
「・・・まぁ、いろいろよ」

曖昧に誤摩化した姉を秀は興味深げに眺める。
とっととラルフとやることをやっちまえばいいのに、と思っていることはナイショだ。
処女なんていつまでもぶら下げてると、めんどくさいことになるぞとアドバイスしてやりがいが、そんなことを言えば確実に100トンハンマーが飛んでくるだろう。それこそ面倒なので、あえて言わない。
だが実際のところ、秀は藍のハンマーを昔から避けることができるのだ。きょうだいげんかで初めてハンマーが飛び出した時こそ避けきれなかったが、慣れてしまえば自分の俊敏さのほうが勝った。今では非常に回数が少なくなったが、父親が母の繰り出すハンマーの下敷きになっているのを目撃してきたので、その簡単さに驚くほどだ。そして思った。オヤジは技とやっている。楽しんでいる。それを30年もやっているのだから、よっぽどめんどくさい両親だと思うが、そんな両親が秀には誇りでもあるのだった。



ーーー続く




大喧嘩未満

pixiv既出です。


****


獠のバカ!

香は獠に捨て台詞を残し、夜のしじまに飛び出した。香に行くあてなどない。だけれどこうやって街に出るとき、香はひととき自由になる。そう、自由に。
シティーハンターである自分は誇りだ。だけれど、時々重い。重い? 違うーーー

こんな感情に苛まれるのは、獠が酔いつぶれたふうに帰ってくるのに、硝煙の匂いをまとっているからだ。おまけに今日は血を流していた。
ーーーなぜ? 何をしてきたの? 何があったの?
香は直接は問えないでいる。それが、二人のこれまでのルールだからだ。

「おまえに関係ない、とっとと寝ろ」

そういう獠を、血の染みた上着ごと抱きしめようと手を伸ばす。
だが、その手は無残に振り払われた。

獠は思っている。
こんな、汚れきった俺に触れてくれるなーーー

香はそんな獠のことが、少しだけ分かって少しだけわからない。
そう思ったところで、そうではない、違う、そう香は強く思った。

分かったところで、獠はたぶんこれまでどおりの獠となにもかわらない。
だから血まみれで構わないーーーそう思って伸ばした腕は、再びふり払われた。

***


大喧嘩、そんなものをしていた昔が、実は懐かしい。
そんなことを、香は一人トボトボあるいて考える。
だけれど、少々スリリングではあるけれど、ただそれだけのことだと日常を生きていた頃と、今の自分は何か違う。

ーーー獠を愛している。

ただそれだけなのだ。
血に塗れても、硝煙を纏っても、獠は、いつも獠だ。
それは、香にはよく分かっている。

トボトボと歩いていたせいか、目前に気付かず男性と肩がぶつかって少しよろめいた。

「おっと、失礼。だが君も不注意だった」

そう言って見下ろす顔は、よく見知った冴羽獠その人だ。服装は なんの変装なのか、カチッとしたビジネスマン風。

「獠?」

香は男を見上げた。

「ん? 君の想い人に、私が似ているのかな?」

そう男は笑った。獠そのものだから、香はとたんにつまらそうな顔になって、「そういう獠の余裕が嫌いなの。私、今日はちょっと遊んで帰るからほうってうおいて」

そう言って立ち去ろうとする香の腕を、男は掴んだ。

「強引ですまない。その遊び相手、私ではご不満ですか?」

言葉の丁寧さと裏腹に、何か強引な言葉はやはり獠にしか見えず、香は硬直した。

「獠、冗談はやめて‥‥‥‥」
男は一歩足を踏み出して、香に近づいた。
「そんなに似ていますか? ならば今宵、私はあなたの想い人を演じよう。リョウ、そう呼んでください」

香は吸い込まれるようにうなづいてしまっていた。本当に他人の空似なら、それでも構わないと思った。

少し飲もうとダーツバーに行き、香は酔いも手伝ってか野生の感性で好成績だ。男はそんな香に感心する。ほめられて、「でもこんなの獠なら左手でも…」と言いかけて慌てて口を噤んだ。

「君の想いびとはなかなかやる人のようだね」

そう言って 、男は香を抱き寄せ、しばし瞳を覗き込み、そしてなんでもないことのように口づけた。軽く触れて、すぐ離れるだけのキス………。そのあまりの自然な流れに、香は争うこともできず、ただ呆然とする。

「だが、私も捨てたものじゃない」

男は、左手でまずは一本のダーツを静かに投げた。まと中心に吸い込まれたのを確認すると、さらに一本、なんの気負いもなく投げた。さらにもう一本ーーー見事中心付近に集まった。
「ハットトリック、悪くないでしょう?」
そう言って男は笑う。
「だから言ったろう? 今宵、私はあなたの想いびとの、リョウだと」
そうして、再び香の腰を抱き寄せて、「キミの望むことなら、どんなことでも応えよう、香」
香は目を見開いて、両腕で男を押し戻した。
「やっぱり獠じゃない! どうして私の名を知っているのよ!」
男はカードを胸ポケットから一枚取り出して、右手人差し指と中指で挟んだ状態で、香にさしだした。
「さっき、トイレに立った隙に拝見した」
見ればそれは香の運転免許証なのだ。財布の中に入っていたはずのそれを、抜き取られている。それを見て香は頬が火照った。
ーーーなんて失礼な男!
「サイッテーね!」
そう言って脇のテーブルのカクテルグラスに手を伸ばそうとするが、男に先に奪われた。
「せっかくのカクテルを、無駄にするもんじゃない」と香にそのまま差し出して続けた。
「キミが本名を言っていないのはすぐにわかったから。だから確認したかっただけだ。偽りの名前では、君を愛せないから」
香はまたしても、催眠術にかかったかのように、差し出されたカクテルグラスを手にとって、無意識に口をつけた。途端に、足がよろめいた。
ーーーまさか、薬?
そう思うまでもなく、香は意識を失った。

男は気にした風でなく、香を抱え上げた。店のものには、すまないが酔いつぶれてしまったようなんだと声をかけて、なんでもないことのように店をあとにした。

ーーーさて、どうするか?
獠は考える。珍しく下手をうって怪我をした。香に知られたくはない、そう思っていたためについ邪険な態度をとってしまった。
アパートを出て行った香を、追いかけることができなかった。どこへも行くな、それが本心なのに、血で汚れた自分の手で香に触れることが躊躇われた。だが、放ってもおけない。苦肉の作で他人を装って近寄った。バレているだろう、そう思う。
無防備な香を見下ろして、先ほど初めて触れた唇の感触を思いだす。こんなふうに本当は簡単なことなのだ。抱き寄せてやり、愛しているんだと言ってやれば、香は少々照れるかもしれないが、潤んだ瞳で自分をみあげてくるだろう。そして、自分をけして拒否しない香、それを自分はよく知っているはずなのだ。先ほども、自分が獠なのだと分かっているから、簡単に唇を許したーーーはずだ。
そう、香は分かっている。

獠は覚悟を決めて、一つのケバケバしいネオンのアーチをくぐった。

***

派手なベッドに香をそうっと寝かせた。

「香?」

そう呼びかけるが起きる気配はない。それはそうだろう、一口とはいえ、強力な睡眠薬だ。6時間は起きることはない。
獠は香の横に腰掛けて、タバコを一本ゆっくりと吸った。
ーーー何かあったのか、そう思わせる程度の小細工をしておくか。
獠は灰皿にタバコを押し当てると、おもむろに香に手を伸ばした。


***


香はゆっくりと目をあけて、目に飛び込んだ見慣れぬ天井に慌てた。急いで体を起こすと、頭がずきりと痛んだ。そっと俯き加減に頭を押さえると、シャツのボタンがありえないほど外されて、胸元が丸見えだ。
慌てて周りを見ると、嫌でも分かった。
ーーーここは、まさかラブホテル!

香は慌ててベッドから降りて、自分の身体を見下ろした。脱がされたパンプスがベッド脇に丁寧に置かれている。シャツのボタンが外れている以外は、異常はない、そう思うーーー
ヘッドレストにメモ用紙が無造作に置かれている。

”香へ、
素敵な夜をありがとう
       リョウ”

ーーー素敵な夜? どういうこと?? 香は慌てた手つきでメモをクシャクシャにして、屑篭に捨てた。

香は急いで身支度を整えて、ホテルの部屋をあとにした。
隠れるように外に出ると、十分に明るい。ひとつ深呼吸して、アパートへ急いだ。とにかく、なんだかよくわからないがシャワーを浴びたい、そう思った。

音を極力させないように、玄関のドアを開けた。
獠のワークブーツがある。こんな時間に帰ってきたことを知られてはならない、獠がまだ寝ていますように、そう思って抜き足、差し足で自分の部屋へ潜り込んだ。リビンングにもキッチンにも人気はない、だから獠は自室で、きっとまだ眠っているのだろうと信じることにした。
部屋に入って、大きく息をついた。急いでルームウェアに着替え、それからゆっくりと伺うようにドアを開け、そして7階の様子を探るーーー大丈夫、物音はしない。

ドアを素早くあけて、脱衣場に飛び込んだ。鼓動が早まっていた。

熱いシャワーを頭から浴びる。
頭の芯に残る痛みが、急速に引いていった。
スッキリとした気分で脱衣所から出ると、獠が上半身裸で腰に手をあて立っていた。左腕の包帯が痛々しい。

「お、おはよう」

香は思わずそう発した。

獠がじっと見つめるだけなので、香は脇をすり抜けようとした。

「朝帰り、するようになったんだな。おまぁも」

そうじゃないと言わなければと思って、思わず足を止めた。

「朝帰りなんて」
してないと続けようとした声は、獠に遮られた。

「いいさ。お前の好きにすれば」

そう言って自分を見つめる瞳は、やはり昨晩と同じ人物としか思えない。香は目を合わせていられなくて、そのまま脇を通り過ぎようとした。その腕を、獠は掴んだ。

「放して」
「いい男だったか?」
「なんのこと?」
「昨晩の相手。いい男だったかと聞いてるんだ」
「そうよ、とても素敵な人だった。あんたなんかと違って。これでいい?」

早く会話を終わらせたくて、つっけんどに香は答えていた。
腕を掴む獠の手の力が増していた。

「痛い。手を放して。私がどこで何をしようがあんたに関係ないでしょう?」
「そうだな。だったら俺も好きにさせてもらう」

言い終わるやいなやぐっと香を引き寄せて、獠はいきなり唇を深く合わせた。
有無を言わせぬ口付けに、香はなす術なく身を委ねた。いきなりのことに驚いたが、だがそんなことよりも。

ーーー大好きな人との初めてのキス……

日ごろ、どんなに悪態をついても獠が好きだった。好きな人から求められる、そんなことを想像したことがないわけでもない香だ。
激しく口内を蹂躙され、獠の唇は首筋に映り、ふわりと触れてつぎに耳朶を軽く噛まれた。

………ん ……あぁ……

思わず漏れた香の吐息に、獠は気づかれぬよう息を整える。
「香、俺、マジで久しぶりにヤリたくなった。お前が悪いんだぜ」
そう言って香の顎を右手の親指と人差し指で挟んで 、強引に自分のほうに向かせた。
「心配すんな、ちゃんと可愛がってやるさ」
そう言うと軽々と香を抱き上げ、寝室に運ぶと自分のベッドに横たえた。香は何が起こるのか想像するのが怖くて、目を伏せることしかできない。

ベッドに沈められて恥ずかしくてたまらない香は、「獠、この怪我……」と掠れるような声で呟いて、左腕の包帯に手を伸ばした。少し、血が滲んでいる。
「心配するな、こんなくらいで俺のモッコリはビクともしない」
「そうじゃなくて……そんなことより、私にはモッコリしないんじゃなかったの?」
「そのはずだが、今はモッコリしてるだろう?」
獠はそう言って、香の右手を自分の昂りに導いた。
スウェットをやすやすと持ち上げたそれに、香は恐る恐る触れてみた。獠が薄く微笑んで、俺もお前にもっと触れていいかと低く囁いた。香はおずおずと頷いて、瞳を閉じた。

***

「それで、お前、その男に惚れたんか?」
獠はベッドの背当てに背中を預けて、ぷはりと煙草の煙を吐き出して、天井を見ながらそんなことを呟いた。
初めて獠と繋がって、思わず零れた涙を優しく掬い取ってくれた人と同じと思えないぶっきらぼうさに、香は苦笑した。けれど、獠らしいとも思った。いきなり紳士になったり、王子様になったりしたら怖い。だが、香は獠が自分を愛してくれているのだと、ひどく実感していた。最後に果てるときに、自分の名を呼んで背を震わせた獠。そのあともきつく、きつく抱きしめてくれた。
お前が好きだ、そう全身で伝えてくれていると、わかったから。
だけれどその熱が冷めた途端、このぶっきらぼうさ。だから、香はクスリと笑って言った。
「その男って、昨日の人のこと?」
枕に顔を埋めるように、香はそう答えた。
「……..そう」
「気になるの?」
獠は一瞬香に目をやって、「いや」と答えて煙草を咥えて、再び天井を見つめた。
「素敵な人だったわよ、とても。そう、笑顔の素敵な人だった」
香はシーツを胸元に引き上げながら身体を起こして、獠に身体をもたせかけた。
「だから……獠、笑って?」
「急になんだよ」と苦笑気味に香に視線を送る。
「いいから、笑って?」
獠は昨日の自分はそんな笑顔など見せていないはずだと思いながら、煙草を灰皿に押し当てた。
「そんな男のことは、とっとと忘れろ」
そう言いながら再び香の唇を奪った。煙草味が嫌だと思いながら、香はこれが獠の匂いなのだと酔いしれる。
「俺が、忘れさせてやる」
自分が、香の中に残る自分自身の記憶をかき消す、そんな考えが面白いと感じはじめて、獠は香の肌に手を伸ばした。
ーーー抱いてやるさ、どれだけども。いい加減で、適当な人間で、お前を男扱いしてきた俺のことも、昨晩に戯れに演技した俺も、全部忘れさせてやる。
再びベッドに深く沈められた香は、「でも、昨日の人は獠じゃないの?」と問いたいが、獠の指先から感じられる熱が、もう何も問うなと言っているように思われてーーーそのまま獠の波に飲まれた。


「香、おまぁ、けっこう余裕なのな」

二度目の熱を解放した後、獠は香の髪をすきながらそう微笑んだ。

「余裕?」
「そ。なんか、俺のほうが負けてる気がする」
「なによ、負けてるって」
「おまぁとモッコリしたら、なんか、その.......」

その先を言い淀んで、獠は香をもう一度抱き寄せた。

「.........こっぱずかしいから二度と言わないからよく聞いておけ。俺、お前のこと、思ってた以上に好きだったみたいだ。今それがわかった」
「.........気づくのが遅いよ。だけど、私の方がきっと何倍も獠を好き。だから、どんな獠でも、私は大丈夫だから。こんなこと、恥ずかしいから、私ももう二度と言わないけど」

それでいい、獠はそう思う。
自分たちには、言葉なんていらない。
そんなことは、とっくにわかっていたことだ。
だったら、最初からこうすればよかったのだと獠は思った。






おしまい




3.双子、報告する。

夏野菜料理が並ぶ夕餉の食卓を、この日は家族で囲むことになっていた。

自宅に着いて早々、藍が香から久しぶりに料理を習いたいというので、その間にリョウは秀からまず書斎で話を聞くことにしたのだった。。

「それで? 依頼はいけそうか?」

ソファで向かい合って、リョウはまずそう訊ねた。秀は少し思案して、ゆっくりと口を開いた。その様子に、ほんのひとつきで息子がまた精悍さを増したようだとリョウは思う。

「まだなんともわからない。だが、館長さんが心配してることがあって・・・実はこれは盗難事件だけではすまないかもしれないんだ」
「そうか。では、聞こう」

リョウは両手を腹の上で組んで、ソファーに深く腰掛けた。

「真贋鑑定中の”別人歌麿”の6点の肉筆画が、鑑定士ごと姿を消したということなんだ。それが、2週間前のことだそうだ」

父親に美術品の細かい話をしても仕方ないだろうと思い、秀はこう切り出した。

「鑑定士ごと?」
「そう。美術館内にある保管庫の一角で、他所から持ち込まれた肉筆画の真贋鑑定をしていたそうなんだけど、そこからこつ然と姿を消してしまったんだって」
「鑑定士はどういった人物だ?」
「柴崎祐介という屋島美術館のキュレーターで、浮世絵の専門家だそうだ」
「信頼のおける人物か? 美術品を持ち逃げするような輩ではないか、という意味でだが」
「それは絶対にないと、館長さんが」
「お前はどう見た?」
「それでいいんじゃないかな。肉筆画の所有権はすでに美術館に移ってるんだ。鑑定が終われば、偽物でも本物でも美術館に保管される。鑑定士が個人的に死蔵する合理的理由がない。しかも、美術館での仕事を棒に振ってまで」
「なるほど、いいぞ。他に分かっていることは?」

秀の意見を聞いて、現実とあっているかどうかは別として、思考パターンが自分と似ていることに、リョウは満足する。しかも要点をよく押さえている。なかなかやるじゃねぇかとリョウは思う。方法を教えたことはない。ただ、傍で見てきただけのはずだが、秀は要領がいいようだ。実際のところ、最初は仮説だらけで構わないのだ。その上で、一つのストーリーを立てて事件の全容を見る。これが大事な視点だし、リョウもそうやってきた。

「柴崎という人物の家族構成も、教えてもらってきた。奥さんと、子供一人の3人暮らしなんだ」と秀が続けた。
「ますます、柴崎氏が姿を消す理由が分からない・・・ってことだな」

なるほど、これは面白い事件かもしれない、そう思いながら獠は足を組んだ。秀はまたしてもしばらく思案して口を開いた。

「その通りだと思う。あのさ、俺が一番不可解に思ったこと、言っていい?」
「あぁ」
「簡単に言うとさ、これって盗難というか、むしろ誘拐事件じゃないかと思うんだ」
「その通りだな。俺もそういう印象だ」
「だけど、だとしたら目的は何?」

獠は秀を見つめる。ーーー少し性急だがいいところに気がついている。だが、リョウはそうは答えない。

「さぁなぁ。今、聞いたばかりだ。考えるピースが少な過ぎる」

その返答に秀が慌てたように口を開いた。

「違ってさ、人が一人消えててさ、絵画が6点も消えて、これが誘拐事件とするじゃん。そしたら、普通は美術館に何か働きかけがあるんじゃないのかって思ったんだけど・・・」

リョウは内心で感心する。そして、もういっぱしの探偵じゃねぇか、と内心思うのだ。シティーハンターの仕事は始末屋だが、なんでも始末すればいいというわけではなく、ちゃんとそこに裏社会なりのルールと論理があるのだ。その道筋は、勝手には見えてこない。自分で事実を見つめ、考える。そして取捨選択をする。そういったことの積み重ねだ。リョウはたいてい直感的に事件を見通すし、そもそも一昔前の都会のゴミくずどもはバカで単純だ。腕力でのされれば「覚えとけ」と捨て台詞を残して逃げ出し、次には数の暴力に恃む。パイソンを見て、シティーハンターの名を聞けば、震え上がるーー。
だが、現代はそんなに単純じゃない。バカはそれなりに知恵をつけており、真っ当に暮らしていれば思いつきようのないカラクリを作り出して、例えば振込詐欺の類いの事件を演出する。そういった輩には、おそらく銃器はそうは通用しない、リョウはそんな風に思っている。だから、秀が自分の息子にしてはどうかと思うほどに頭脳がキレるのは、実はずいぶんと評価しているのだ。天才肌で我慢と融通が効かない部分はあるが、相棒の藍がそれを十分に補うだろう。藍は思慮深く、そして人に優しい、そういう娘なのだから。

そんなことを思いながら、事件の概要を、自身でも飲み込んだ。
ーーー秀の言う通りだ。誘拐であれば、必ずそれに対して脅迫的な要求が伴うのが常なのだ。やはり、秀は鋭い。
だが、ここでもリョウは秀を褒めたりはしない。すぐに調子に乗るのが分かっているからだ。だから通り一遍等を聞いた。

「何もないのか?」
「今のところは」

盗難から2週間経っても動きがない。それだけでも、面白い事件かもしれない。他のストーリーが成り立つか……獠は腕を組んで考え込んだ。だが、現場も見ていない、秀からの少ない話で推理を立てるのには無理があるし、それは自分ではなく秀と藍が考えるべきことだろう。二人に任せた依頼なのだから。

「それで、お前はこれからどうする? 方針は立てたんだろう?」
「美術館に肉筆画を持ち込んだ、平澤という家を訪ねてみようと思う」
「元の持ち主か?」
「そう。そもそも絵の来歴がよくわからないんだ。ただ、とある大物の鑑定士の鑑定書がついているんで、詳しいことを聞かずに美術館は引き取ったらしい」
「その情報は、美術館からは貰えなかったのか?」
「信義に関わるんで、自分の口からは言えないと館長が」
「館長はずいぶんと慎重な人物のようだな。だが、そういう依頼人は悪くない。それで、元の持ち主を訪ねてどうする?」
「分かんないけど、鑑定書があるにも関わらず真贋鑑定を新たにやることになった経緯も気になるんだ。だから、全部辿る」
「いいだろう。一見無駄と思えるようなところからでも、思わぬ真実が現れることがあるからな。藍とはうまくやれそうか?」
「あいつには、柴崎夫人を訪ねてもらおうと思ってる。女性にはやはり女性だろう? それに、旦那が行方不明で気が動転してると思うんだ。そういう人には藍の方が適任だ」

リョウは息子を見てすっと目を細めた。ずいぶんとしっかりした考え方をして、藍との関係性も考えている。頼もしいものだと、獠は思う。
それにしても、夫が消えて2週間経つというのに警察沙汰にしていない妻、というのも気にかかる。

「そもそも、柴崎夫人はなぜ警察に届けていない? 夫が2週間も戻らないのはいくらなんでも見過ごせないだろう?」
「・・・そこも難しいんだ。届けないのは、夫人の意思もあるらしい」
「なるほど。秘密の秘密が重なり合って、誰も動けない、そんな感じか」
「かもしれない。だけど、館長さんが助けを求めているのは確かなんだ。絵にかこつけて、柴崎さんの安否が一番実は気にかかっている印象も俺は持った」
「そうか。その直感は大切にしろ。美術業界は難しいから、おおっぴらにできないことが多いのだろう。だからこそ、俺たちに依頼が来たのだから」

秀は父親の「俺たちに」という言葉に勇気を得た。
簡単な事件ではない。だが、やりとげようと秀は思う。そして感じていたままを口に出した。

「オヤジ・・・この事件、ローマンの出番がある気がするんだ」

秀は父親をじっと見つめる。物騒な武器など使わない方がいいに違いない。だが、コルト・ローマンMKⅢは、またしても自分を呼んでいる、秀はそう感じているのだった。
一方のリョウは思った。秀に流れるハンターの血が、何かを告げているのだろう。そういうことは、おのれにも度々起こったことなのだ。だから静かに言った。

「お前がそう思うなら、きっとそういうことなのだろう。その時は、躊躇するな。いいな」

迷いは失敗につながる。失敗は自分だけでなく周りの人間を窮地においやる。リョウはそれをよく知っている。だから、そこは何度でもしつこく秀に伝えるのだ。
秀は父親の言葉に頷き返した。

リョウは昼間、情報網に潜って見つけた気になる情報を秀に伝えるか、しばし考える。だが、まだその時ではないだろう。言葉を静かに飲み込んだ。

「さて、そろそろ藍と香の特製の夕食ができたかな? 今は仕事の話は忘れて、食事だ。そろそろ、一杯つきあってみるか?」

秀は19歳と一ヶ月だ。リョウは、いつの日にか息子と酒を酌み交わしたいと思っている。藍のボーイフレンド(?)のラルフとは飲んだことがあるのに、実の息子とグラスを合わせていないのは、少々寂しいのだ。そんなことを考えるほど、自分は日本的オッサンの域に達しているのがリョウはおかしい。だが、秀は首を横に振った。

「今日は車で来てるから、やめておく」

そう言う秀を、リョウはやはり頼もしく思うのだ。大学生活を謳歌しているはずだ。すでにいろんな経験をしているだろう。だが、節度はわきまえている。

「そうだったな。お前と藍がちゃんと成人したら、俺が一杯奢るさ」

そうリョウは微笑んだ。

食事を終えて、新宿に戻るという双子のビートルを獠と香は見送った。泊まっていけばいいのにという香に対し、明日もさっそくいろいろ動くから、新宿の方が都合がいいとそっけない秀に、香は少し眉を下げた。秀は小さな頃から香にべったりで、よく甘えて育ったのだ。隙あらば自分の膝によじ上り、おかぁさんだいすきとしがみついてきた息子が、もう巣立っていく。そう思えて、香は一抹の寂しさを隠せない。

そんな香に気がついて、リョウはそっと肩を抱き寄せる。

「カオリン、そんな顔するな。美人が台無しだ。それに、俺に息子を嫉妬させるなよ」

そう言って笑うリョウの顔を、香は見上げた。

「秀に嫉妬するの? リョウが??」
「そうだよ。香の心を盗むヤツは、俺は息子だろうと容赦しない」
「それ、ちょっとバカみたいよ?」と香は吹き出した。
「俺はそういう男なんだよ。さ、とっととベッドに行こう。夕方の続きだ」

秀と藍が来るというので、夕方の二人のまったりタイムは早々に切り上げられてしまっていたのだ。
リョウはもう四捨五入すれば60歳なのだが、モッコリはまったく衰えを知らず、そして未だに香のカラダに溺れている。
香も求められれば嫌とは言わない。この時間は、この30年の間、二人にとっては大切な大切なコミュケーションの時間なのだった。

だが、この日の香は違った。

「そんなことより、秀たちの依頼の話、私にも聞かせてよ」

自分だけ状況が分かっていないことに、香は少し苛立っているのだ。

「もちろん話すさ。だがその前にもっと大切なことがあるだろう?」

リョウは香の直情傾向をよく知っている。だから、一呼吸おいて香には状況を話すことも、実はかなりの頻度である。正直で駆け引きを知らない香を、リョウは愛してきた。だが、愛しているからと言って、すべてあけすけにもできない、そういうものなのだった。
今回の件はそう気を使う必要はなさそうだと獠は思ってはいる。だがそんなことより何よりも、今日は香を補給する日と決めていた。
香の手を引いて玄関を入ってそのまま抱き上げた。いきなりのことに、ちょっとまってよリョウ、そう抵抗する香を横抱きにしたまま、獠は寝室を目指す。子供たちは大切だ。だが香はもっと大切だ。だから、香が少しでも寂しい思いをしているなら、それを慰めるのは自分しかいないと、この男は頑に信じている。

香をベッドに横たえて、深く口付けた。
お前は、俺だけのものだと、その思いを込める。
今は、母親の顔なんて、いらないーーー


***

まるで書生が使うような和室で、一人の男が電話を受けている。
初老と言っていい年齢だろうか。少し面長で、白髪の混じった髪を丁寧に撫で付けていた。和服姿が板についているのは、やはり、仕事がらなのか。

「それで? 私にどうしろと言うんだね・・・・一度きりだと約束しただろう。あれとて危うい。・・・いや聞いていない。いったいどうなっているんだね? そんなことでは名前を貸してもらった平澤さんに迷惑がかかるだろう。だから、やめてけと私は言ったのだ。・・・・・・少し時間をくれたまえ・・・・・それは分かっているのだから、何度も言うな。それじゃぁ」

男は風貌とは似つかわしくない乱暴な口調で電話を切って、溜息をついた。

ーーー美術館から「別人歌麿」が盗まれただと? いったい誰がなんのためにそんなことを。それに美術館はなぜ私にそのことを連絡してこないのだ。

男は自分が深みに嵌ってしまったことをすでに悟った。
ほんの少しの自己顕示欲とプライドを守るために、大きな失敗をおかしたのだ。だが、勝算はあったはずなのだ。「6点」というのがポイントで、連作風に見えたそれを贋作と判定することは至難の技だろう。そもそも謎の多い無名に近い作家だ。全く新しい作品が出たと言っても、まず疑う者はいないはずだった。なにしろ、この自分が鑑定書を書いたのだから。
それほどに、よくできた贋作だった。だが、残念ながら贋作なのだ。それと知らされていなければ、真筆と鑑定したほどに。

話が持ちかけられた当初、肉筆画の贋作など不可能だと忠告したのだ。売り捌くなら、せめて版画浮世絵にしろと言ったのだった。好事家はこぞって買い取るだろう。少々状態は悪いが、掘り出し物だーーーそうとでも言ってやればバカどもはすぐに金を出す。
だが、そんな子供だましの商売ではなく、もっと本格的にやりたいのだと相手は言い張った。金のなる木を見つけたーーーそう言って差し出された写楽の肉筆画を見たとき、男は絶句した。これは未発見の真筆ではないのかと、一瞬思ったのだ。もしそうであれば、1000万は下らない。いや、写楽であれば、例えばヨーロッパではその何倍もの値段が付くはずだ。

だが、いきなり写楽では目立ちすぎる。そこで目をつけたのが、”別人歌麿”こと一掬斎栄文だった。この作品で、屋島美術館に通用するかを試したのだ。浮世絵には何家言もあるであろうこの美術館を騙し通せたら、好きにやるがいい、そう男は伝えていた。だが、鑑定書の偽装は一度きりだと固く約束したはずだ。むしろ自分が鑑定をつけたものが、闇の美術市場で流れている方が不自然だろう? そういうと、さすがにあんたは理屈がたつ男のようだ、だが、もしも真贋を疑われるような事態が生じたら、協力を頼むーーそう言葉をかけられた。

返事はうやむやにした。弱みを握られているのは事実なので、強くは拒否できないのだ。
だが、自分が見る限りも真筆と思われる贋作に関わるのは、これ以上嫌だとは思っている。その贋作を作った人間にも技術にももちろん興味があるのだがーーー

実は、浮世絵に限らず日本画の真贋鑑定は難しい。使われている紙の年代測定もあてにはならないし、X線を充てても探れるのは使われた技術や顔料に関する情報であって、真筆かどうかがわかるわけではない。そもそも、作成されていた時代に明確な贋作の意図がなくとも、模造品が作られていたりもする。画風と技量、そして落款、これぐらいしか判定のしようがないのだ。ウソのような話だが、オフセット印刷の浮世絵版画を、本物と思い込んで所蔵している人もいる。

ただ、男は版画浮世絵の模造品は、今後は例え闇市場であっても需要が低いと考えている。
なぜなら、昨今、現在の掘師が過去の名作をもとに版木を新たに起こし、現代の刷師が版を擦る時代なのだ。しかも、経年による色彩の劣化を考慮して、擦られた当時の色合いまでも復元するーーーそこまで来ている。そうやって復元された版画は、例えば有名な葛飾北斎の富嶽三十六景も1枚1万円台で購入できる。これは、日本の浮世絵技術の保存を兼ねて行われている文化事業でもあるのだ。こんな時代であるのに、何を好き好んで古い時代に刷られた状態の悪いものを手に入れる必要があるだろうか。

男は美術品に関わってもう半世紀以上にもなる。審美眼も鑑定眼にも、もちろん自信がある。過去の偉大な芸術家の作品と仕事にふれ、紙に残された筆遣いからその作家の息づかいまでも感じられるほどだ。だが、かねてから浮世絵は男の中で芸術作品の中で少し別カテゴリーなのだった。言ってみればーーー浮世絵は工房作品であり、再現芸術でもある。クラシック音楽と似ていると男は思う。スコア自体にはそれほその価値はなく、マイスターの手にかかってオーケストラが音として表現するとき、偉大な作曲家のマスターピースが姿を現すのだ。再現の度に指揮者と奏者が変わるという違いはあるが、絵師、堀師、刷師のトリオで生み出されるそれは、よく似ている。だから芸術作品というよりは、芸術的な工芸品に近い色合いを持っている、そんな風に男は版画浮世絵を評価している。

だが、肉筆画となるとーーー男はまたしても写楽の贋作を見た日のことを思い出す。
肉筆画は、その絵師の完全にオリジナルな一点ものだ。そこには本物の持つ迫力がある。
写楽は、男の眼には「写楽」に確かに見えたのだ。あるいは、これを描いた人物に、まるで写楽が乗り移ってでもいるかのような。
会ってみたいと思った。贋作などやめて、自分の作品を発表せよと当然言いたかった。
だが、如何わしい世界に関わりたくないという思いが勝った。

それでも好奇心を抑えられずに、屋島美術館に渡すものは「別人歌麿」にせよ、と提案したのだ。そんなもの作れるはずがない、と男は当然思っていたこともある。現存作品もなかなか見られない作家だ。贋作の作成など到底無理だろう。だが、それくらいのものでないと、下手な試し打ちはできないのも事実なのだった。

栄文の作風は師匠の鳥文斎栄之から推測もできよう、だが、本人の作品の模写ならともかく、本人が描いたとおぼしき真作など、できようはずもないーーー男はそう思った。
ところが3ヶ月後、そのできようはずもないものが、男のもとに届けられたのだった。しかも、「別人歌麿」とされる「喜多川」と「自成弌家」の落款ではなく、「鳥文斎一流一掬斎栄文筆」と署し、「榮文」の朱文円印が押されている。これは、那須の個人コレクションに収蔵されている栄文の真筆と同一のものだ。本物を見た人間で、かつ手許に資料がなければできないねつ造だ。男は猛烈な好奇心に襲われたが、同時に怖れも感じた。深く関わってはならない、そう思ったのだ。

美術館には、鑑定はつけたが美術的価値よりも資料価値の方が高いものだという触れ込みにした。そして、昵懇だがそれほど恩義があるわけでもない平澤氏がもとの所有者ということにしておいた。平澤家の蔵から偶然出たものであるが、茶器のコレクターである平澤氏は興味がないという。だが、価値あるものであれば死蔵してはならないだろう、そんな触れ込みで鑑定家の自分に相談があったというストーリーにしたのだった。だから、価格も低く設定した。こうしておけば、もしも万が一にも贋作だと判明しても、鑑定書が意図的な偽造だと言われることはない。自分も見事に騙された、そう言い逃れられる。多少名誉に傷は付くが、鑑定とはそもそもこういうことが起こりえるのだと開き直れば良い。このように最悪の最悪まで考えた上だったが、盗難は予想外だ。この展開を、どう理解すれば良いのか。

もう一度、鑑定書を偽造せよと電話の声は告げていた。

これ以上、危ない橋を渡るくらいなのであれば、過去のただ一度の過ちを公表された方がましだと思うものの、それではほんとうに自分が築き上げてきたものは足下から崩れ去るだろう。この年になって、世間から白い眼で見られることは耐えられないし、自分が作り上げてきた骨董美術の世界を汚される気がして、何が良い選択なのかが分からない。

男は溜息をついて立ち上がると、部屋の電気を消して廊下に出た。なんとか、なんとかしなければならないが何をすればいい? 男は歩きながらひたすら考えた。


***

藍はさっそく柴崎家を訪れていた。一人で聞き取りなどできるのかと、自信家の秀と違って藍には心配もあるが、夫が姿を消した夫人を慰めるのが一番の目的だと、秀に背中を押されたのだ。無理に聞き出さなくていいし、おそらく簡単に口は割らないだろうと秀は予想していた。実際、藍もそう思っている。

柴崎家は比較的規模の大きな団地の一角にある。のっぺりとした薄ピンクのドアの前に立ち、藍は意を決して呼び鈴を押した。
人が近付く気配を敏感に感じ取り、藍は深呼吸して背筋を伸ばした。




ーーー続く





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プロフィール

サバ猫

Author:サバ猫
サバ猫です。
2015年秋、突然CH中毒になりました。
サエバスキーです。
冴羽獠の精神を辿る旅をしながら、幸せな冴羽一家を構築中。

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