Fragile

シティーハンターの二次小説を書いております。

Entries

はじめまして、でございます。

サバ猫と申します。
最近(2015年10月頃?)から、突然CHの中毒になりました。

かつて、アニメをテレビで見ていたくらいで原作は未読。
ドラマをやるというので、どんなんだっけ? と調べだしたら、なぜだか止まらなくなりました。
二次創作の皆様の作品を読み漁り、原作を大人買いして、今やどっぷりです。

読むだけでは飽き足らず、ついに自分でも書き始めてしまいました。
Pixivという投稿サイトで人様に読んでいただいたり、感想いただいたりして、ありがたさに涙目になりながら、自分の誤字脱字の多さに、さらに涙。
もうちょっと整理しようと、プログにすることにいたしました。

作品紹介を書きました。多過ぎて何を読んだらわからない! って方はこちらを覗いてみてください。
  ↓↓
「作品の簡単なご紹介」


##### 2016.8.12 追記 #####

当ブログのお話を年表に整理してみました。
こちらでご覧になれます。

##### 追記ここまで #####




##### 2016.6.27 追記 #####

書き始めたことろは、CHに派閥(?)があることを知りませんでした。
最近になりまして、私は根っからのサエバスキーであることが判明しましたので、追記いたします。
香あっての冴羽獠、というスタンスです。

当ブログでは、原作後と2016年の年齢を経た二人を創作しておりまして、小品もすべてこの世界観と時間軸の中で書いております。
子供まで作ってしまっておりますので、苦手な方はご注意ください。

##### 追記 ここまで#####


2016.4.22 リクエストについて追記しました。
2016.5.27 変更しました。


ご訪問いただいている皆様へ

ブログ開設しまして、1ヶ月半立ちました。
2016.4.20に1000パチ目をいただきまして、嬉しいコメントをいただきました。
感想をいただけると、妄想がさらに膨らみます!
憚りながら、キリ番リクを受け付けますので、パチとかカウンターで、これってキリよくね? と思われた方は、お話をリクエストしていただいてOKです。コメントとかメールでどうぞ!
ゾロ目とか連番みたいなのでも、個人的に「キリ」と思われたら、それで自己申告で。

ですが、以下、ご配慮ください。

・リクエスト内容は、当ブログの基本の二人の設定に読み替えさせて頂きます。(92年に結婚、98年に双子誕生、これは変更できません。)
・CH原作キャラならどのカップリングでもOKです。超脇役でも大丈夫です。
ですが、
・リョウちゃんが香以外とか、香がリョウちゃん以外はムリです。瞬間的にも書けませぬ!
・直接性描写もムリです。
ただし、
・パラレルのご要望はOKです。簡単な設定をいただけるので大丈夫です。
そして、
・AHはサバ猫的には存在しておりませんので、ご了承くださいorz

基本的には長編が好きなので(というか、気の利いたSSが書ける気がしない)、無駄に長いものになるかもしれませんが、喜んで書きます。
自分で書きたい連載の途中は、お時間を少々いただくかもしれませんが、ご了承ください。

###追記ここまで###





Attention!!
当ブログは、PCビューを推奨いたします。スマホ、ガラケーでも見にくい等ございましたら、ご連絡いただけまいさらできる限り対応いたしますが、私の環境的に難しいこともありますので、対応しきれないことがございます。申し訳ございません。

*原作者様とは当然ながらまったく関係がございません。
*原作イメージを大事にされている方には、閲覧をお勧めいたしません。
*当ブログの内容につきましては、作者、つまりサバ猫の想像の産物であり、完全なるフィクションです。
*誹謗中傷は小心者なので受け付けません。
*感想や励ましをいただけると、飛んで喜びます。
*一度、Pixivに投稿したものを、加筆・修正したものを基本的に上げて行く予定です(当面の方針です)。
 書く楽しさを投稿サイトで教えていただいたので、そちらのご縁をまずは大事にしたいと思っています。
*絵心はゼロですので、テキストオンリーでございます。
*原作からかけ離れたものは、能力的に書けないと思います。
*R指定が必要なものは、自分の能力を超えておりますので、書く予定はございません。

*AHについては、少しは読みましたが、今のところ設定が受け入れがたい人間です(スミマセン)。
*漢字表記が問題のリョウについては、当面はカタカナで表記いたします。
*基本的に、「リョウはかっこいい」と脳内で変換フィルタが働いている人間です。
*リョウと香の幸せを心から願っているので、悲しいお話も書けないと思います。

*コピー&ペーストはご遠慮ください。

これくらい、お断りしておけば大丈夫でしょうか?
ご助言いただけましたら、嬉しいです。

ありがたくも、当ブログにリンクいただく場合は、CH二次創作関連サイト様でしたら、リンクフリーです。
ご連絡には及びません。
これから素敵サイト様のリンクを作りますので、ご挨拶に伺うこともあるかと思います。
よろしくお願いいたします。


サイト名:Fragile
サイト管理者:サバ猫
URL: http://sabanekosan.blog.fc2.com/

                    2016.3.11 サバ猫 拝
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*CommentList

作品の簡単なご紹介

このサイトの作品たち(簡単なご紹介)
*作品が増えてきましたので、どれ読んだらいいの? って方にご案内を書いてみました。

「すべてはその一杯から」(長編/オムニバス/完結)
当サイトの基本となっている作品。すべての原点がここに。
冴子嬢の「三角関係」発言がどうしても受け入れられずに、原作初期を少々ねつ造し、「奥多摩後」の二人の物語を書きました。少しずつ寄り添う二人。その原点を一本の線でつなぐのは、槇村秀幸と冴子の想い出のバーと、そこで振る舞われた一杯のカクテル。そのカクテルはやがて、リョウと香の特別な一杯に-----


幕間ー「すべてはその一杯から」(中編2編/完結)
リョウと香の祝宴と、大切な大切な人との再会の物語。「すべてはその一杯から」からこぼれ落ちたお話です。


終幕ー「すべてはその一杯から」(中編1編/完結)
あらたな始まりの物語。様々な出会いと別れが冴羽リョウという男を形作った。香と新たな一歩を踏み出そうとする、その最初の一歩の物語。


「My Best Buddy」 (長編/完結)
リョウと香の子供たちは、2016年春、大学進学を控えていた。そこに呼び込まれた事件とはーーー全41話。
「もしもリョウと香が年齢を重ねていったら、こんな二人になっているかも」と、妄想を膨らまさせた物語。ダンディなリョウが国家を巻き込む大掛かりな事件を鋭く解決!
”お前こそ、オレの生涯最高のパートナーだ” ーMy Best Buddy……


「霧を超えて」(長編/完結)
子供が欲しいと言い出せない香、子供を持とうと決断できないリョウ。お互いを深く思いやりすぎる二人は、少しずつすれ違いはじめる。依頼遂行の過程で、香はリョウのもとを離れる決断をする。リョウは策略に巻き込まれ姿を消した。二人の運命は、まさにいま霧の中を進むーーー全29話。
”二度と銃口を人に向けるな。約束してくれ”ーーーリョウの想いは香に届くのか!?


「君に、愛を」(中編/完結)
1960年前後の京都と1997年の東京、この時空を結ぶものは? 二組の夫婦の愛情物語。
”私たちが息子に注いでやれなかった全ての愛を、君に託そう”……全11話。


キリリク作品(中編5編/完結)
リョウのドタバタコメディを含む中編たち。家族旅行に出かけたりもして、かなり自由です。二世たちのお話も。


花言葉のお題(1)(2)(お題コンプリート)
リョウと香の様々な時間を切り取ったショートストーリー。
「すべてはその一杯から」〜「My Best Buddy」のどこかの二人。双子も登場します!


「幼なじみの恋」(中編/連載停滞中)
リョウと香の長女槇村藍、ミック・エンジェルと名取かずえの長男ラルフ・エンジェル、二人は4歳年の差のある幼なじみ。
ラルフは藍の父親に怯えながらも、藍への愛を誓っている。二人の恋の行く末は!?


「色彩の美女」ー100のお題(更新中)
色にまつわるお話を100題。設定自由でいろいろな獠と香を描いています。
”phenomenon”と題して、「こんな奥多摩後のストーリーもあるかも」な物語を。恋をして、結ばれた後に襲い来る不安と、それに乗じるように何者かの襲撃にあい、凶弾に倒れた冴羽獠。寄り添う香は、獠の愛の大きさを知るーーー。


「新宿島物語」(パラレル長編/完結)
とある絶滅危惧種の保護活動に情熱を燃やす、生態学者冴羽獠の物語。他人を拒絶し、理想に生きようとする頑な心を癒すのは、一人の女学生だったーーー。全51話。
”愛を求める女を愛そうと思ったこともないし愛したこともない。だが、そんな女たちとはまったく違う槇村香。香はおのれを追いかけている。だがそれは、愛されたいからではないのだ。ただ、俺の側にいたいと言ってくれる。それは・・・それは、香が自分を無条件に愛してくれているからなのだろう?”
やがて開かれる心、未来へつながる物語へ。




自己紹介的に書いてみた。【同人サイト管理人に30の質問】

1.まずはあなたのH.N.をどうぞ。

サバ猫 と申します。サバ色の猫です。

2.サイト名は何ですか? 由来などもありましたら。

Fragile 壊れやすいモノという意味です。由来? なんとなくです。


3.サイトの開設日はいつですか?

2016.3.11 5年前の震災に追悼したのち、唐突に開設を思い立ちました。

4.あなたがサイトで扱っているジャンルはなんですか?

北条司先生の「シティーハンター」の二次創作(小説)です。

5.そのジャンルで扱っているコンテンツは? (ex.小説、イラスト)

小説オンリーです。絵心はゼロです。てか、たぶんマイナス行ってます。

6.作品について。 カップリングにはどのようなものがありますか?

リョウ*香 です。でも、原作登場人物は誰でも書けると思ってます。

7.作品について。 一番贔屓にしているキャラは誰ですか?

もちろん、リョウちゃんです。

8.作品について。 傾向は? (ex.ほのぼの、シリアス)

シリアス書きたいけど、書けない。ほのぼのはちょっと難しいかも。
いろいろ書いてみたいです。

9.作品について。 年齢制限はありますか?

まったくございません。
書いてる人間の精神年齢が低いので。。

10. 作品について。 書く(描く)上で気にかけていることは?

丁寧に書くこと。
愛を忘れないこと。

11. 作品について。 これからどんなものを書いて(描いて)みたいですか?

パラレルを書きたいという野望が。難しいと思うけれど。

12. あなたのサイトのイチ押し作品は?

おすすめできるものが書けるよう、頑張ります!

2017.2.14変更
君に、愛を。
パラレル的要素を含みながら、リョウの生い立ちをねつ造したという作品です。自分の書き方の一つのスタイルが、これで確立しました。
2016.5.9変更
ポーカーフェイス これが原点かと思います。

同窓会 は私自身とても楽しんで描いた作品で、好評のようです。


13. 更新予想頻度を教えてください。(不定期なら不定期と)

不定期です。週一くらいを目標、かな。

14. 今後のサイト運営方針は?(野望など)

とりあえず、続けること!

15. あなたの性別は?

男脳女脳で調べたら、男70%女30%でした。
一応、Femaleです。   

16. あなたの血液型は? それと同じキャラは思い当たりますか?

A型 キャラ? わかりません。

17. あなたの誕生日は? それと同じキャラはいますか?

8月19日 
ココ・シャネル、
9代目松本幸四郎(お誕生日にミュージカルを見にいったら、盛大に祝われて自分も嬉しくなったことがあります。)

18. 年齢、職業など、差し支えのない範囲で。

年齢は干支は3回以上は確実にまわってるってことで。
職業は、めっちゃ理系の技術系です。頭の中も、バリバリの理系です、と思ってます。


19. 出身地、活動範囲はどの辺ですか?

コスモポリタンということで。

20. 似ていると言われるキャラは? (顔でも性格でも)

ジブリに登場する5歳児くらいのキャラは、すべからく私をモデルにしていると思っております。

21. 好きなものを5つあげてみてください。(何でもいいです)
   
ワイン、猫、サッカー、自由、あとひとつ? わからん。。

22. 嫌いなものを5つあげてみてください。

人の噂話、自分勝手な人、使いっぱなしで放置されたコーヒーカップ、開けっ放しの引き出し、あと一つ? 特になし!

23. ハマりやすいキャラのタイプは?(萌ポイント)

ハードボイルド
アニメだと声がいいと、結構すぐはまる。声フェチです。


24. サイトで扱っているジャンル以外で話が通じるのは?

攻殻機動隊 特にアニメ版。神作品だと思ってます。タチコマのファンです。
鬼平犯科帳 鬼平は理想の上司。こんな人の下で仕事したい。
名探偵ポアロ 声はもちろん熊倉一雄さんで。灰色の脳細胞です。
十二国記 ファンタジーとかそんな枠はとっくに飛び越えた、傑作だと思ってます。


25. あなたのパソコン歴は?

Windows95から使ってます。


26. あなたのオタク歴は?

オタクなのでしょうか? だとしたら人生のほとんどだと思う。

27. 同人世界に足を突っ込んだキッカケは?

突っ込んだのでしょうか? ただ、書きたかったのです。

28. オタク関係以外の趣味は?

サッカー観戦 某J1チームの熱心なサポーターです。
スキー 下手の横好き。位置重力を弄ぶ感が好き。休憩にゲレンデでビール! これが最高です。
読書 乱読です。
DVD鑑賞 マニアックな映画が好き。

29 休日の過ごし方はどのようなものですか?

サッカー観戦 試合ある限り、できる限り参戦。忙しいです。
旅行 サッカー観戦かねていくことも多い。
温泉 秘湯巡り。そのうち温泉ソムリエをとりたい。
庭いじり ベニシアさんの庭を目標に、頑張ってます。
家庭菜園 おもに夏専門。野菜を育てるのは喜びです。
猫の世話 綺麗な猫と長年暮らしています。歳とって、いろいろと大変…。

30 最後に、読んでくれている人に愛の一言をどうぞ。

よろしくお願いいたします!



お題配布元
Tip Tap Toudie 第二基地(T×3第二基地)

作品年表 −ご参考に。

リョウと香の物語り;簡単な年表

tips


年代
物語りのタイトル
tips
1960年君に、愛を。リョウの両親の物語。
1997年の獠と香とリンクしていきます。
1985年
3月
ポーカーフェイス槇村秀幸との出会い。香との出会いの物語りを。
(1993年から回想)
1987年
晩秋
戸惑う心リョウと香、そして冴子の思いを。
1992年初夏空木花言葉のお題からー秘めたる恋
2012年彼岸花花言葉のお題で、槇兄のお墓参りの一コマを
1992年冬近付く二人「死なせやしないよ」の後日談。
1992年1月山葵花言葉のお題で、初めての朝を。
1992年2月スノードロップ花言葉のお題からー初恋のため息
1992年2月竜胆ちょっと弱気な獠を、花言葉のお題に寄せて。
1992年3月蒲公英花言葉のお題に寄せて、リョウの決意を。
1992年
初春
咲き誇る花リョウの重大を決断を。
1992年
初春
スイートピー花言葉のお題から二人の甘いひと時を。
1992年
2月
スノードロップ親友に追求されて赤面する香を、花言葉のお題のよせて。
1992年春それぞれの時刻(とき)恋が実る時、失う時を。
1992年春祝宴仲間達に見守れて。
1994年カモミール花言葉のお題によせて、獠と香の些細な喧嘩と仲直りのお話を。
1993年
新春
再会この人に、再び会わなければ二人の物語りは進みません。
1993年春解き放たれる闇一つの伝説の誕生? カクテルXYZのもう一つの物語り
1993年
初夏
邂逅多くの出会いと、そして未来へつながる物語り。
1993年
初夏
紫陽花花言葉のお題によせて、ミックの回想を。
1993年
晩秋
長編;「霧を超えてリョウと香の微妙なすれ違いを。
1994年オンシジウム花言葉のお題によせて、獠と香の映画のような日常の一コマを。
1997年君に、愛を。双子誕生の物語。
1998年
5月
金瘡小草二人の子供の名付けの物語りを、花言葉のお題によせて。
1998年
5月
布袋葵花言葉のお題で、出産間近の香を気遣うリョウを。
1998年
晩夏
新宿に戻る香を出迎えるリョウの想いを、花言葉にお題で。
1999年
3月
鷺草花言葉のお題で、比翼の鳥の二人を。
2002年5月花菖蒲花言葉ー嬉しい知らせ。獠の子育て日記?
2002年鳳仙花花言葉のお題によせて、孤独なリョウとその癒しを。
2002年ローズマリー花言葉のお題によせて、獠の追憶を。
2003年
8月
花火冴羽一家の初めての家族旅行。
2004年同窓会香を渋々同窓会に送り出したリョウが,散々な目に
2005麦藁菊リョウの過去と現在を、花言葉のお題によせて。
2006年リョウの授業参観?
マダム香の危険な午後!!
なんとしても授業参観に行きたいリョウ、ちょっと壊れてます。
2008年牛蒡花言葉のお題より。藍が猫を拾いました。
2012年パイナップル花言葉のお題から、スイーパー一家の午後の過ごし方?
2016年
3月
リョウのお誕生日に寄せて
2016年
3-4月
長編「My Best Buddy円熟した二人の物語り。長編ミステリーです。
2016年
7月
槇村秀のとある一日リョウと香の息子のとある一日を。
2016年夏藍とラルフの恋愛講座?
恋のレッスンは物理学とともに!
二人の娘とミックの長男の恋愛講座。
二人の恋の行方はいかに??
2021年頃七夕の出会い運命の人と出会う槇村秀の物語り(献上品)。今の所公開予定無し。




<番外>
獠と香のパラレルストーリー(長編)
新宿島物語」(pixivにて連載中

010 ウサギ

獠は受話器をぎゅっと握りしめた。
ーーーあのバカ、そそっかいしい自覚がまるでないんだから。
心の動揺を抑えて、獠はできるだけゆっくりと電話の相手に問いかけた。

「それで、香の様子はどうなんだ?」

電話の相手は新宿西署の刑事なのだった。この日の午後、香が都内の総合病院に救急搬送されたという。歩道橋の階段から転落したというのだ。
居合わせた人によって救急車がすぐに呼ばれた。病院は事件性が疑われると判断して、警察に通報したということだった。そして香の持ち物から、このアパートの電話番号が分かったという。

「意識を失っておられるので……こちらの先生の話では、命に別状はないとのことですが、後ほど精密検査ということになっています。……冴羽さん、でしたか。そんなわけなんで、入院手続きのために槇村さんのご家族と連絡がとりたいのですが」
「香には、身寄りはいない」
「では、どなたかお身内に近い方をご存知ですか?」

なぜこの刑事はこんな回りくどい聞き方をするのだろう、と獠は何故か苛立がつのった。
ーーーオレに来いと言えばいいではないか。

そこでハタと獠は思った。
ーーーオレは、香のなんなのだ?

「……オレが一番近い。香はここに住んでいるし、オレの仕事上のパートナーでもある」
「なるほど、それでは冴羽さん、こちらにご足労願えますか?」
「わかった」

獠は受話器を電話に戻して、しばらくそれを見つめた。
ーーー香に何かあっても、普通の関係でないオレは、こんなときになんの役にも立たないのではないか? 例えば交通事故にあっても、自分に連絡がくるのか? もしかして、葬式を出してやらなきゃいけないときに、オレでいいのか? いや、そんな縁起でもないことを考えるのはやめよう。今はとりあえず病院だ。

獠はしばらく考えて香の部屋に入り、クローゼットを開けて手慣れた手つきで下着を物色して、適当な紙袋に突っ込んだ。しょっちゅう下着を漁っているので、なんのためらいもない。少し考えて、よく来ているパジャマも袋に入れた。刑事は入院手続きと言ったから、とりあえずの着替えもいるだろうと思ったのだ。
アパートを出て階段を駆け下り、ミニ・クーパーに乗り込んだ。ハンドルを切りながら、刑事は事件性はないと考えているのだろうと予想した。昼日中に若い女性が歩道橋の階段を踏み外すーーー後ろ黒さはまるで感じられない。シティーハンターの相棒を狙うにしたって、こんな手は使わないだろう。
病院に着いて、受付で来訪を告げた。ほどなく2人組の刑事が現れて、挨拶を交わした。

「手続きにのっとったことなので我々が来ましたが、事件性はないと思います。ですが、ご本人の意識が戻られたら、連絡はください。形式上ですが調書を作る必要がありますから」

そう言って、名刺を差し出された。それを受け取ると、刑事が手帳を取り出したので、獠は察して名乗った。

「冴羽獠だ。職業は便利屋。連絡先は先ほどの電話番号だ」

刑事は頷いて、スルスルと書き取った。

「槇村さんは7階です。ナースステーションで彼女の身内と言えば、大丈夫かと」
「何から何まですまない」

刑事を見送ってから、獠はエレベーターに乗り込んだ。数字が大きくなっていくのをぼんやりと見上げながら、かつて同じようなことがあったことを思い出していた。あの時は確か、香は一時的な記憶喪失になったのだ。
ーーーまさか、な。

「7階です」

無機的なエレベーターの音声に案内されて、獠は7階フロアに足を踏み入れた。

ナースステーションのカウンターに近寄ってみたが、あいにく人気がない。獠はキョロキョロとあたりを見回して、直接病室を探すことにした。
廊下をまっすぐ進んで。3つ目の個室のプレートに香の名があった。コンコン、とノックするが反応がない。
獠は、引き戸をするりと開けて。室内に足を踏み入れた。
ベッドで香が眠っている。頭部にネットを被せられているのは、やはり頭を打ったためなのか……

獠はゆっくりとベッドに近づいた。
点滴針が刺された左腕が痛々しい。
傷が残る……一瞬獠はそんなことが気になった。こんな針跡など、気にするほどのものでもないのかもしれない。だが獠は、こんなことでさえ香が何か損なわれるようで、我慢ならないと思うのだ。

見下ろしていても、香は一向に起きる気配がない。
獠は手にしていた紙袋を床に置き、その手でそのまま香の右顎の下に手を添えて、脈拍を確認した。規則正しいそのリズムに安堵を覚え、「かおり」と呟いた。
その香が一瞬身じろいだ気がして、もう一度「かおり?」と声をかける。
それでも起きる気配がないので、獠は病室にあった椅子を引張ってきて、腰を降ろした。

しばらく眠る香を見つめて、ふとため息をついて、枕元のナースコールボタンを押した。緊急でないのに済まないと思いながらも、空っぽかもしれないナースステーションに戻るのは面倒だった。

「槇村さん、どうされました?」

すぐにコールバックの声がした。獠は思案して、「いや、先ほどナースステーションを覗いたら空っぽだったんで。香の身内だ」とぶっきらぼうに答えた。

「わかりました。医事課のものを呼びますので、 そのまま病室でお待ちください。患者さんはまだ眠ったままですか?」
「そのようだ」
「後ほど担当の先生からご説明を差し上げます」

しばらく待っていると、いかにも病院の事務といったブラウスにタイトスカートの女性が現れ、必要書類を渡された。迷うこともないので獠はするすると記入する。最後の入院保証人のところで、自分の名を書きかけて手が止まった。

「ここ、オレの名前でいいのか?」とボールペンの尻で署名欄を叩きながら、女性に尋ねた。
「ご主人様ですか?」
「え? あ、いや違う……」
「原則的にはお身内の方にお願いしているのですが」
「香は身内のようなものだ」
「では構いません。ご記入ください」

”冴羽獠”と書き込んで、「続柄」でまたしても手が止まった。知人と書いてしまえばいい,一瞬そう思うがふと思い立って「夫」と書き込んだ。内心ではこれからずっと香と生きていくと決めている。抱き合ったことも、キスしたこともないし、それ以上ももちろんないのだが、もう決めているのだ。いずれ、自分の本物の女にする。そして、生涯離さない。そう決めている。この書類を香が見ることはないだろう。だから構わない。こうやって、少しずつ自分の心を固めていくのだ。香に触れる一歩を踏み出すために。

入院手続きが済むと、今度は医者と看護師がセットで現れた。

「意識が戻らないですな」と医者は顎に右手を押し当てて考え込んでいる。
「頭を打ってはいますが、軽度の打撲です。あと、階段の転落だからですが、肩や膝も打撲している。骨折等はありませんので、よかったですな」
「運ばれてから、一度も意識が戻っていないのか?」
「そうです。軽症ですのですぐに気がつくと思って、こちらの病室にしたのだが……もう少し様子をみましょう。意識が戻ったら、呼んでください」

こんな簡単な説明でよいのかと、獠は少し納得がいかない。香は長年シティーハンターをやってきて、日頃エアロビもやっているし、身体は俊敏だ。転んでも受け身がとれるだろう。ボケッと転んで意識を失うような女ではない、とリョウは思い始めていた。


***


香は夢を見ている。
夢で見るのはやはり獠なのだった。

「お前、ここを出て行け」
「なに? パートナーを解消しようっていうわけ?」
「そうだ。お前はこれ以上こんなとこにいてはいけない。槇村からの大事な預かりものだ。こんなことはもうさせられない」
「それが……獠の本心なの? 今でも私はアニキからの預かりものなの?」
「お前をそれ以外のものと思ったことなど、一度もないさ」
「獠……」

嘘だ、と香は思う。ガラス越しだけどキスもした。愛するものとも言ってくれた。それが全部嘘なわけがない、そう思うのだ。それなのに、言い返せない。獠の目がいつになく真剣だからだ。
ぎゅっと目を閉じ、香は深呼吸する。これは夢だ。夢に違いない。そうして目をあけると、やはり獠がそこに佇んでいる。

「香、何度も言わせるな。早くここを立ち去れ」

何も言えない香に、獠はため息を吐いた。

「お前が出て行かないなら、オレが出て行く。ここは好きに処分しろ。退職金がわりだ」

立ち去ろうとする獠の腕を掴もうとしたが、するりと交わされた。視線は一度も向けられることなかった。

香は床にヘタリ込んで、顔を覆った。
ーーーせめて、せめて自分の気持ちは伝えたかった。獠を愛しているのだと、一度でいいから伝えればよかった。獠とともにあれない自分など、なんの価値もないのに。

奥多摩のあの日から、香は一歩も前に進めないでいた。
一度は獠の言葉に有頂天になった。けれどその後に戻ってきた日常の中で、あんなのいつもの獠の気まぐれなんじゃないのかと、疑い出した。だって、いつだって獠は自分には不真面目なのだ。依頼人にはモッコリは迫るものの依頼内容に対してはひどく誠実なのに、自分にはモッコリも迫らなければふざけてばかり。
もう、どうでもいいやと思う一方で、それでも獠の傍を離れられない自分にも、だんだん嫌気がさしてきていた。
獠から別れを告げられて、いっそ清々したかもしれない。でも、もうどこにも戻りたくない。誰にも会いたくないーーー


***


日付が変わる頃に、看護師が巡回に来たので、獠はこれほどまでに意識が戻らないのは、異常ではないのか? とようやく問いかけた。看護師が、担当医が明日朝一番にもう一度MRIのオーダーを入れたので、それで脳を検査をすることになっているから、ご主人も今日はお帰りになって大丈夫です、という。
そんなバカな話があるかと獠は思う。こんな状態の香をほっぽいて、アパートに戻るなんてできるわけがない。
獠は看護師が立ち去ったあとも香のベッドの脇に座って、顔を見つめ続けた。
ふと思い立って、右手を握ってみた。自分の無骨な手よりも、うんと繊細で美しい手。長年一緒に暮らしてきたのに、香がどんな手をしているかなんて考えたこともなかった。いつも、いつも香の顔ばかり見てきたから。もっとも、見つめていることを悟られないよう、巧妙に視線を逸らしてきたのだが。
繊細な手をしばらく両手で包んで、そうして視線を香の顔に向けた。

「香、俺、お前のこと、なんもわかってないのかもしれない。こんなちっさな手をしてるなんて、知らなかったよ。やっぱり、こんな手に銃は握らせられないな……」

答えない香に、獠は溜息をつく。

「香、なんで起きない? 俺が傍にいるのが嫌か?」

自分が一方的に想い続けてきただけなのかもしれない、唐突にそんなことを思った。思い返せば、一度も香から好きだなどと言われたことはないのだ。可愛らしい嫉妬をハンマーで表現したり、ヤキモチもハンマーになるから、全部それが自分への愛だと思い込んできた。死に様を見届けてくれるというのが、香なりの愛情表現なのかと思ってきたがーーー

「違うのか?」

本当は、もうとっくの昔に愛想をつかれていたのかもしれない。
ーーーだが、俺はお前が好きなんだよ。大切過ぎて、大事過ぎて、どうやって触れたらいいのか分からないんだ。


***

小さな香は小学校のウサギ小屋の前にいる。夏休みのウサギのお世話当番なのだ。本当は保護者と来なければならないのだが、刑事の兄は多忙でどうしても都合がつかない。この日は一緒の当番のお友達の母親に平謝りをして、香一人で参加していた。
身内が兄たった一人という香を、その母親は一瞬痛ましげに眺めたが、天真爛漫な明るい笑顔に、余計な詮索も心配もよそうと思わせる程度に香はしっかりした子供だった。

ウサギ小屋には7羽のウサギがいる。6羽がいわゆるパンダウサギで,白黒模様。残りの1羽だけが真っ白なウサギだった。香の友達たちは、みなパンダウサギを気に入っていて、真っ白な仔は可愛くないというのだ。目が赤いのもちょっと怖いーーーそんなことを聞くと、香は俄然、白ウサギの味方になりたくなるのだった。一つだけ色が違っても、気にしたふうでなく他のウサギと遊んでいるのも健気だし、でも、きっと悲しいことがあってワンワンと泣くことがあるから、目が赤い。そんなふうに悲しみを背負っているウサギーーー

この日、掃除が終わると香は最後に白ウサギをそわりと撫でてから、当番の掃除を終えた。
夏休みも終わろうとするある日、その白ウサギが死んでしまったのだと二学期の始業式の日に聞いた。香はその知らせに、家に帰ってから兄に知られないようにこっそりと泣いた。
急に弱って、夜中のうちに独りぼっちで死んでしまったという白ウサギが、本当に可哀想だと思った。あの赤いおメメにももう会えないのだと思うと、涙が止まらなかった。

たくさん泣いて腫れぼったい顔になってしまったから、アニキに心配をかけたんだっけ……

香はぼんやりとそんなことを思う。小さな香はもちろん自分で、その小さな香を大人の香が見ている。だからこれは夢なのだろうと思う。なぜ、こんな古いことを急に夢に見るのだろう?
そうぼんやりと思うと、唇に柔らかい何かが触れた。その感触は夢などでは到底なく、現実の質感を伴っていてーーーゆっくりと目を開けると、獠の顔が目の前にあった。その瞳はいまは閉じられている。
ーーーキ、キスされてる!
香は反射的に身体を起こそうとすると、獠が気がついて身体を離した。

「ゲ、なんで起きるんだよ!」

獠は多いに慌てた。寝ている香にキスぐらいしてもバチは当たらないだろうと、夜が白み始める直前に思い立って、キスしてみたのだ。唇の柔らかな感触だけでいいから、知りたいと獠は思ったのだ。このまま眠り続けてしまうなら、もういまやるしかないとも思った。自分の存在がきっと邪魔なのだ。だから香は目覚めない、そんな脅迫感情に苛まれ、一つキスを落としてお別れだーーーそんな風に思っていた。

「りょ、りょぉこそなによ!」

香は上半身を起こして、そう叫んだ。

「おまえ……ここは病室だ。もうちょっと声抑えろよ」
「え?」
「覚えてないんか? 階段から落っこちて救急搬送されたんだ」
「あ……」

覚えている。歩道橋を降りる時に、走ってきた誰かに後ろからぶつかられて、バランスを崩したのだ。

「そんでずっと眠りっぱなし。心配したぞ」
「え?」
「えとかあとか……おまぁさぁ、もうちょっと言葉を使えよ」
「ごめん。一度にいろんなことがあって、その、キ、キスとか……」
「血迷った」

ポツリとそう零した獠に、香は怒りが込み上げてハンマーを繰り出したが、いつもは軽々しく振り回すそれがやけに重たくてーーーと思った所で、獠がそのハンマーを支えた。

「あっちこっちぶつけてるんだ、無理するな。そ、それに血迷ったとかはジョーダンだから」
「え?」
「いいから。話はあとだ。どうだ? 気分悪かったりしないか? 痛いとこはないか?」
「大丈夫……みたい」

ぶつけた所はズキリと痛むが、痛くてどうしようもないというほどではない。

「医者、呼ぶぞ? 意識が戻ったって知らせなきゃならん」

だが、もうすぐ朝が来て、すぐに看護師が現れるだろうと獠は少し思案した。
ハンマーを床に降ろして、獠はそのまま香の手をとった。

「心配した。もう、俺のことが嫌になって戻ってこないかと思った」

急にいつになく真剣になった獠の表情に、香は吸い寄せられた。

「なんで……そんな……」

別れを告げたのは、獠のほうじゃないかと夢の中の会話を思い出す。そうしたら、悲しみが込み上げて、涙が一筋溢れた。

「おい、なんで泣くんだよ」
「りょぉのほうこそ……パートナー解消だって」

今はあれは夢だと分かっているのに、夢の中の獠の表情と、今の獠の表情が重なった。ひどく真剣で、真面目な顔なのだ。

「誰がそんな……」

獠は香の上半身を左腕で自分の胸に引き寄せて、そしてしばらく考えてから右腕もその背中に回した。こんなふうに、ちゃんと抱き寄せたのは初めてのことだった。

「お前は俺のパートナーだ。たった一人の。それに、俺の最期を見届けてくれるんだろう?」

香がコクリと頷いた。

「だったらさ、もっと別のパートナーにも、ならないか?」
「別のって?」

獠は深呼吸した。ふぅと息を吐いて、気持ちを落ち着ける。
ーーー今、自分の心臓が早音を打っていることを、香は気がついているだろうか。

「こういうこと」

獠はそう言って、香の顎をくいと右手でもちあげると、唇を近づけた。

「香、目、閉じて」

そうして、唇を深く合わせた。
しばらくそのままでいて、名残惜しげに唇を離すと、もう一度抱きしめた。

「香、俺と、本物のパートナーになってくれ」
「……本物のって?」

獠はがっくりと項垂れる。
ーーーコイツの鈍感は今に始まったことではないが、全部言わなきゃわかんねぇのかよ……

「わっかんねぇ女だな。モッコリのパートナーになろうっつってんだよ」

香が身体を固くしたのが分かった。

「……獠は、私にはモッコリしないんじゃなかったの?」

ーーーおい、今それを言うか。ここまで俺に言わせておいて……もうこれ以上口で説明は無理だ。ガラじゃなさすぎる。

「まぁいい。それもあとで教えてやるから」

そう言って獠は椅子に戻った。見つめ合うと、何か気恥ずかしい。獠はいたたまれなくなって、ベッドに右手をついて身を乗り出すと、もう一度香に口付けた。もうやけくそなのだ。
香が驚いて目を開いたままなので、少しだけ唇を離して、「だから目ぇ閉じろって言ってるだろう?」
そう言うや否や、左腕も伸ばしてぐいと引き寄せた。唇をこじ開け、舌を潜り込ませ、躊躇いがちな香の舌を搦め捕ってしばらく貪った。

唇を離してさらに抱き寄せて、香の襟元に鼻先を埋めた。その姿勢のまま、獠は低く掠れた声で囁いた。

「キスだってずいぶん久しぶりなんだ。俺はほんとに好きな女としか、こんなことしないから」
「え?」
「久しぶりだから、モッコリが次に進みたいって主張してるんだが、アパートに帰るまで我慢する。香も、それでいいな」
黙ったままの香に、獠は続けた。
「それで? どうして歩道橋から落ちた?」
「後ろから人にぶつかられて……」
「受け身、とれなかったんか?」
「目の前に小さな子を連れた親子連れがいて、避けたの。それで」
「そんで頭ぶつけて気を失ったんか?」
「そう、そうだと思う」
「バカなやつだ。そんなことして、自分が死んじまったらどうするんだよ」
「ごめん。でも、どうしようもなかったの」
「そういうときは、大声をあげろ。それで前の人も気がつく。ほんで自分はちゃんと受け身をとるんだ。身体だけで避けるんじゃない。いいな」
「……分かった」
「お前に何かあったらと思うと、生きた心地もしないんだ。だから気をつけて欲しい」

こんなことを言う獠が信じられない香だが、何か、言葉以上に自分に伝わって来るものがあった。
いつも、いつも獠はそうだった。何かあるときは、全身で自分を守ってきてくれたのだ。
だから伝えなければ。

「獠? あの、私、獠のこと好きよ」
「……知ってた。ちょっと黙ってろ」

そう言って、獠は香を抱きしめ続けた。この想いが、届きますようにーーーそう願った。


***


病棟が動き始めてから、診察を受けて、問題ないでしょうということで昼前には退院となった。ただ、頭を打っているのは事実なので、何か異変があればすぐに病院に来るようにということだけ、クギをさされた。
病院を出る前に、昨日の刑事に連絡をして、退院したので調書作成の協力すると電話して、新宿西署に立ち寄った。香は獠と相談して、自分の不注意で階段を踏み外したと話した。目撃証言があるわけではないので、それで通るだろうと予想している。正直に話せば、警察の捜査が長引いて、シティーハンター稼業がやりにくくなる。それ以前に、獠は自分の情報屋を使って、犯人をあぶり出そうと考えていた。そのほうが警察よりも何倍も早いのだ。香に怪我を負わせた落とし前は、自分がつけると心に決めている獠だった。




この日の夜、二人はようやく結ばれた。だが、コトはそれほど簡単ではなかった。

「打身がちゃんと直ってからにするか?」

この期に及んで、獠は尻込みする。本当に香を抱いてしまっていいのか、また迷い始めたのだ。そんな獠を強く引き寄せたのは、香のほうだった。

「私の全部を獠のものにして欲しい」

恥ずかしくてたまらない香だが、もう、夢の中のようなことはご免だと思ったのだ。
そして獠はきっとあの白ウサギなのだと、場違いにも思った。
ーーー周りと何か違うものを背負った人。悲しみも一人で抱え込んでいる人。だから、一人で死なせたりなんか、絶対にしない。

香は自分に触れた獠の手が震えていたことを、きっと生涯忘れないだろう。
やっと一つになれたとき、思わず溢れた切ない吐息を忘れないだろう。
そして、不器用すぎる獠が、どれだけ自分を愛してくれているかを、全身で感じることのできたこの日を、きっと忘れることはないだろう。

二人の想いはとっくに重なっていた。
だけれど身体を重ねることで、もっと分かり合える何かが確かに生まれたのだ。
二人で、歩いて行こう。死が二人をわかつ、その日まで。






*CommentList

017 牡丹

R要素ございます。パスかけるほどでもないですが、一応、苦手な方はお控えください。
phenomenon” シリーズで、「アクアマリン」から続いております。




017 牡丹

墓参りと指輪の注文を終えて教授のところに戻ってから、獠は少し休むと横になったきり、眠り続けている。
それはそうだろう。常識的に言っても控えめに言っっても、外を出歩ける状態ではまるでなかったのだから。なんとか獠なりのけじめの大仕事を終えた今、「眠ることで回復」というそれを、文字通り実践しているのだろう。
定期的にチェックしているバイタルサインは、なんの問題もないから心配せずともよいという教授の言葉に、香は頷きながらも眠り続ける獠の枕もとから離れることができない。

「香さんも休まなくは……」

かずえが病室を見舞った。

「私は大丈夫……」

そう儚げに言う香の隣に、かずえもパイプ椅子を拡げて座った。規則正しい呼吸を繰り返す獠を見ながら、かずえは香の膝に置かれた手に、なにげなくそっと触れた。

「愛するって、辛いわね」

かずえはそう零した。

「辛いのは……ほんとうに辛いのはいつも獠なの。でも、それを辛さとは、獠は決して言わない」

思い詰めたような香の声なのだ。かずえは少し思案した。

「香さん? 冴羽さんって、素敵な方よね?」

そう言うかずえの視線を香は逸らした。

「今、嫉妬心、起こったでしょう? 何故だかわかる?」

ーーー分かってる、そんなこと。かずえさんは美人で聡明だ。ミックと恋人同士になったとは言っても、この人は過去に獠に恋をしていた人。

獠と何かがあったわけではないことは分かっている。だけれど、本当はアメリカに行くはずだったかずえが教授のもとに留まったのは、少しでも獠の側にいたかったからなのだから。

「香さん? いい機会だから、はっきり言っておくけれど、私、ミックを愛してる。冴羽さんのことは、もうなんとも思ってないから」
「そんなこと、私には関係ない」

日々、獠の身体を診てくれて、世話になっているというのにこんな冷たい言い方しかできない自分が情けない。だが、かずえは気にしたふうでもなく続けた。

「昔からあなたちって名コンビだったけれど、今は本物のベストパートナーって感じね……心も、身体も結ばれた……そうなんでしょう?」

香は思わず頬に血が上った。二人の関係が変わったことは、近しい人間には誰にも話してはいない。歌舞伎町界隈では噂になりかけたけれど、かずえの耳に届くはずもないと思っている香だ。いつも出入りしているキャッツでさえ、これまで通りに過ごしている。けして演じているわけではなく、そうなってしまっていた。
何も言えないでいる香に、かずえは続けた。

「立ち入ったことを言ってごめんなさいね。でも、おめでとうと言いたくて。今は冴羽さんはこんな状態だけれど、そうでなければ、何かあなたたちを祝福したいと私たちは思っているから」

”私たち”……その言葉に、香はようやくかずえに視線を向けた。
「もちろん、私とミックよ。ミックも、本当によかったって、そう言ってるの」
「……よかったのかな。私にはよくわからない。獠がこんな大怪我をしても、私にはできることはなにもなくて」
そう言って香は俯いてしまった。
「冴羽さんは、あなたのために生き延びようと必至だったと思うわ。……銃で撃たれるとね、普通は失血死よりも外傷性ショック状態というのに先に陥って、死に至るの。もちろん精神力でなんとかなるものではないのだけれど、冴羽さんの場合は過去にも死線を彷徨った経験があったからか、医学的には説明がつかないほど強かった。普通なら120%死んでいたわ。そんな状態なのに、意識を失う直前に”香には知らせるな”って……あのとき、私、胸がしめつけられた。この人は、一人の女性のために生きようとしている、そう強く思った」
「かずえさん……」
「強い自分を、香さんには見ていてもらいたかったのでしょうね。でも、冴羽さんもただの人間だから……どう? ちょっとは素直になった?」
香はこくりと頷いた。そして、その獠の想いが、心に突き刺さった。そして、獠は本当に危険な時には、一人で死地に向かうのだろうという想いが再び香をとらえて離れない。そう思ったら、涙が溢れた。ポトリと膝に溢れた水の雫にかずえが気付き、イスから立ち上がってそのまま香の頭をふわりと抱き寄せた。白衣の白が目に眩しい。けれど冷たい色ではない。
「あなたが傍にいることで、冴羽さんは生きられている。そのことに、自信を持って。そして、二人の絆を信じて。あなたをひとりぼっちにしてしまうような人では、けしてないわ」
「かずえさんに、そんなことがどうして分かるの?」
抱き寄せられて、心は少し落ち着いていた。姉がいたら、やはりこんな風に慰めてくれたろうか。
かずえは香の肩をポンポンと叩いて、イスに戻った。
「ミックが言っていたの。エンジェル・ダストを克服すると、人が変わってしまうかもしれないなって。だから、それを自分の前に経験していた冴羽さんのことが、また少し分かるようになったって。それに、あの経験をした後は、他人にたいして誠実になるだろうって」
「誠実?」
「そう。冴羽さんはずいぶんと屈折したところがあるけれど、根本的なところでは人に誠実だと思うわ。XYZのお仕事そのものが、そういうものでしょう?」
香は頷くことしかできない。
「そうね。ミックもなんでも話してくれるわけではないけれど、アメリカ時代の冴羽さんと、日本で再会した冴羽さんの違いに驚いたって。それでも、大元のところは変わらない。だから、あんな男が一人の女を真面目に愛したら、愛される方が大変かもしれないって、そんな風にも言っていたわ」
獠はアメリカ時代は話したがらないのだ。アメリカどころか、過去をいっさい話さない。話したがらないものを、香も無理に聞き出したくはなかった。言葉のない香にかずえは続けた。
「大き過ぎる愛を受け止められるのは、きっと香さんぐらいだろうって……並みの女性では、冴羽さんの愛は受け止めきれないらしいわよ?」
そう言って、かずえは香に微笑みかけた。

この時、獠の睫毛が微かに震えて、それからゆっくりと目が開いた。
香が気がついて、獠の枕元に寄った。

「獠? 気がついたの?」
「かおり……」

ひどく声が掠れているのは、眠り続けていたからだろう。何度か瞬きをして、右腕が香に伸ばされて、そのまま抱き寄せられた。

「ちょ、ちょっと獠、かずえさんが……」
「香に会いたかったんだ」

そう獠が低く言うので、そのまま好きにさせた。しばらくすると腕が緩んだので、香は身体を起こした。
かずえが香とは逆側から獠を覗き込んだ。

「冴羽さん、ご気分はどう?」
「どれくらい眠っていた?」
「丸二日、というところね」
「なかなかの時間だな。どおりで腹が減ってるわけだ」
「それだけ話せるなら、大丈夫そうね?」
「問題ない。だが」と、言葉を切って、上半身を起こして続けた。
「風呂に入りたい。あっつい風呂」

そう言って香とかずえを交互に獠は見た。48時間近い眠りの縁から帰還して、最初の要求が風呂、というのは、それはどうなんだろうと香は少し呆れた。心配でたまらなかったこちらの身にもなって欲しいという気も、少しした。

「お風呂はちょっと無理ね。けれど、シャワー程度なら。傷口だけしっかり防水してなら許可します」
「なかなか厳しい女医さんだ」
「すべての傷口の抜糸できるまでは、お風呂は無理と思ってくださいね。感染症の危険性があります」
「わぁったよ。とにかくシャワーでいいから、湯を浴びたい。香、手伝え」

声をかけられた香はその言い方にムッとする。

「なによ、その横柄な言い方!」
「俺が風呂場ですっころんでもいいのかよ?」
「そんなことは言ってない。手伝えばいいんでしょう、手伝えば」

そんな軽口を叩き合う二人を微笑ましく皆がら、かずえは部屋をあとにした。自分はあまりお邪魔しないほうがいいのだろうと思ったのだ。

二人になってから、獠は着ていたものをすべて脱いで、自分の全身を確認する。傷の治り具合などは、自分で確認して納得するのだろうと、意外と放置主義な女医の判断に満足していた。
眠り続けたので身体が微妙に強ばってはいるが、順調な回復具合だと獠は満足する。ひどく空腹なので何とも言えないが、身体の状態は悪くない。

だが、ベッドから降りて立ち上がる時に、やはり一瞬ふらついて香に支えられた。

「すまんな」
そう照れくさそうな顔をする獠が可愛いと香は思った。
「まだまだ全快にはほど遠いんだから、ムリしないで」
「分かってる。だが、だいぶいいから。心配かけたな」

そんな獠に、香は優しく微笑み返す。
その後、病室に備え付けられているシャワールームの脱衣室で、二人は一悶着を起こした。

「カオリンも全部脱ぐの!」
「なんで私まで脱がなきゃいけないのよ。頭は洗ってあげるし、背中も流してあげるけど、服は着たままで大丈夫よ」
「いんや、脱ぐの!」
「獠……困らせないでよ。早くお湯を浴びてさっぱりしたいんでしょう?」
「香が脱いでくれなきゃ、ヤダ!」
「ヤダって……子供じゃないんだから、ね?」

駄々っ子と化した獠に、呆れる香である。

「ヤーダァ! カオリンが脱ぐまで、ここを動かない」
「獠……」

困り果てた香は、提案した。

「じゃぁ、全部は脱がないけど、ちょっとだけ脱ぐから、それでいい?」
「ちょっとって?」

香はにこっと笑って、コットンのセーターを脱いで、ミニスカートも躊躇いなく脱いだ。ようするにキャミソールと下着で我慢せよ、ということだ。
「ほら、これで一緒に入ってあげるから」と先にシャワールームに入った。獠は渋々香に続いた。
ゆったりめのイスに腰掛けて、香がシャワーで頭と背中に湯をかけた。

「どこかヘンな所があったら、すぐに言ってね? 我慢しちゃ、ダメよ?」
「へいへい。大丈夫だよ。思いっきりやってくれ」
「ねぇ、腕は上がるんだから、自分で頭洗えるわよね? 自分でやる?」
「カオリンに洗ってもらいたい」
「仕方のない人ね」と香は苦笑しながらシャンプーを泡立てて、獠の背中側からゴシゴシと頭を洗い始めた。
「正面からやってよ」と獠が言うが、無視した。そんなことをしたら自分の身体を獠に晒すことになる。たとえ怪我人であっても、ただで済むとは香には思えないのだ。
「ねぇ、カオリン、ボクちゃんカオリンのおっぱいが見たいんだけど」
これも無視した。頭が洗い終わると、今度は肩から背中を優しく洗った。
「また傷跡が増えちゃったね」と香はポツリと零した。獠は無言だ。背中をざっと流して、「はい。あとは自分でできるわね?」と言って、シャワーをフックに戻した所で、獠がウッと呻き声をあげて前屈みになった。
香は慌てて獠の前に回り、覗き込むように「獠? どうしたの? どこか痛むの?」と早口で捲し立てた。
途端に腕が伸ばされて、抱きすくめられた。
香の胸に顔を埋めるようにして、獠は吐息を漏らす。
「あぁ、やっとカオリンのおっぱいに辿り着いた」
「ちょっと、獠、騙したのね!」
「香が悪いんだ。出し惜しみするから」
そう言いながら、シャワーヘッドに手を伸ばして、そのまま香に湯を浴びせた。
「ちょ、ちょっと、びしょ濡れ、獠やめて」
「これで全部脱ぐしかなくなったろう?」
「獠のバカ」
策略にまんまとはまって、香は歯嚙みする。
「今度は俺が髪を洗ってやろう」
そう言いながら、キャミソールの両肩ひもに手をかけて、するりと脱がせた。そのままの手でブラのホックも器用に外した。それで両手で香のウェストを触って、香を見上げた。
「……思った通りだ。お前、少し痩せちまったな」
「え?」
「俺の看病でロクに寝てないし食べてないんだろう。すまない」
急に真面目になった獠の口調に、香は慌てた。確かにこの一週間、食事がまともに喉を通らない。獠の病室では、獠の様子が気になってよく眠れてもいない。でも傍にいたい気持ちのほうが勝っているのだ。体重が落ちたことには、自分でも気がつかなかったのに。
「さっきから気がついてたんだ。いつもと頬と顎のラインが違った。もっと健康的だったのに。鎖骨もこんなに目立ってなかったろう?」
獠が痛ましそうに香を見上げた。
「ちゃんと食べて、寝てくれ。お前の健康が損なわれたり、美しさが俺のせいで陰ってしまうのが、耐えられないんだ」
「獠……ダイエットになって、かえって嬉しいくらいよ。そんな顔、しないで」
「……けど、バストは保たれてるのが、さすがだ」
そう言って獠は右手で香の乳房に優しく触れた。この時になって、無防備に身体を晒していることにようやく香は気がついて、慌てて身体を引こうとした。獠の左腕が伸びて、それを遮ってぐっと引き寄せ、そのまま香の頂きに唇を寄せた。舌で優しく転がしてやると、途端に反応し始めた。
「りょぉ、ダメよ。こんなところで。頭、洗ってくれるんじゃなかったの?」
「洗ってやるさ。だが、そんなことより」
そう言って香の脇の下に両腕を差し込むと、くいと引き寄せて自分の右腿を跨ぐように坐らせた。そのまま逃れられないように頭ごと引き寄せて香の唇を貪る。舌を絡ませ合い、その間にも獠の左手が香の乳房に降りて、優しく揉みしだいた。香は久しぶりに触れられる感覚に、夢中になりかける自分を引き戻そうと理性を総動員するが、舌先から伝わる獠の熱い思いから逃れられない。それは言葉で語る以上の熱量で香を埋め尽くす、獠の命そのものに思えた。やがて、右手は臍をそわりと掠めて、そのまま下に降りてゆく。下着の上から的確に触られて、湿り気がじわりと広がったのが香自身にも分かった。出しっ放しのシャワーの水音がやけに気になったが、これがなければ自分の身体から流れ出すものが誤摩化せないと香は羞恥に一瞬震える。
「香、ちょっと腰浮かせて。パンティー、邪魔だ」
「獠、ダメよこんなところでこんなこと。怪我に障る」
「心配すんな。お前をイカせたいだけだから」
「え?」
「ちゃんと抱いてやれなくて済まない」
そう言って、今度は首筋から口づけの嵐を落として行くのだ。その間にも下着の上からの愛撫が止まらず、香はもう自分が引き返せないところまできていると嫌でも自覚した。獠のいつものモッコリをちゃんとそそり立っているが、自分をイカせたいだけだという獠の意図がわからない。分からないけれど、快楽がもどかしい波の中で揺れている。香は獠の肩に両手を置いてゆっくりと立ち上がった。獠が満足そうに見上げて、下着に手をかけてそれを思いのほか優しい手つきで降ろした。
「いい子だ、香」
そう低く呟いて、そうして再び手を引いて、今度は前を向かせて右腿を跨がせるように坐らせた。香はもうされるがままに獠に身体を預けるしかなくなっている。怪我人の獠を気遣えない自分が情けないが、満たされないもどかしさが勝った。
「カオリンは、自分でしたり、しないの?」
香の白い背中に吸い付いて赤い花びらを刻みながら、獠は囁いた。口づけの跡はやがて、真っ赤な牡丹の花びらを散らしたように、透き通るような白い肌に咲いた。散っているのに、まるで命が宿ったままのようなその赤に、獠は重ねて口付ける。左手が前に回されて、香の入り口を苛めはじめていた。
「……自分でって……っぁ……」
「ここ、すごい濡れてる。大洪水だ。触られるの、久しぶりなんだろう?」
そう言いながら指をぶすりと差しいれ、そのまま香の一番好きなポイントを攻めた。香が前のめりになりそうなのを、引き寄せる。
「それとも自分でして、開発してるからこんなに濡れるのか?」
「知らない……わよ……ぁあ……」
「我慢しないでいい。イッテいいから」と指をもう一本増やして、何度か抜き差しして、親指で花芽を優しく撫でた。
「……はぁ……ああっ……」
香は四肢を少し突っ張るようにして、そして、背を一瞬そらせるようにして果てた。獠の指は香の中に居座ったままで、その締め付けの余韻を優しく壊すようにさらにかき回した。
「……ん……ダメ……りょぉ」
「ダメじゃない。何度でもイッていいんだ」
低い声が耳元で響く。香はもう一度身体を震わせるように激しく達して、そして意識を手放した。くったりとした香を、獠は抱き直す。
本当なら自分のモッコリも開放してやりたいし、正直辛いのだが、今は体力回復優先とぐっと我慢しているのだった。

***

香が目覚ると、ベッドで獠に包み込まれているのに気がついて多いに慌てた。ちゃんと部屋着も身につけている。

「気がついた?」
「りょぉ、どうして?」
「気絶させてしまって済まなかった。だが、疲れてたんだろう。一時間くらい、よく寝てたよ」
「シャワーは?」
「俺は大丈夫。お前も清めてはやったが、あとでちゃんと浴びとけ」

言われて頬に血が昇った。いくら獠が望んだとは言え、怪我人の獠にあんなことをさせて。
「あの、獠?」
「なんだ?」
「獠はその……」
いつもの獠なら、必ず自分と繋がろうとするだろう。何度でも、そう何度でも。
「モッコリか?」と苦笑気味に獠は言って続けた。
「カオリンとエッチできないのは辛いけど、男のアレはさ、1回やるとだいたい100m全力疾走って言われるくらいスタミナを使うんだ。瞬間だがな」
「そんなに?」
「女性とは生理が違うから。カオリンはだんだん気持ちよくなってくだろう? そういうのも、男には実はないんだ」
「そうなんだ……」
「そんで、今の俺はちょっと100m走はキツい。走れなくはないが、走ってしまうとそのぶん回復が遅れる。だから我慢した」
「私だってそんな」
別にしてほしかったわけじゃないのに、そんなに物欲しげだったのかと香は声が小さくなった。
「俺がそうしたかったから。俺だけの香だから、それを確認したかった。それに気持ちよかっただろう? 香が気持ちいいと、俺も満たされる。そういうものなんだ」
香は恥ずかしくてたまらなくなって、獠の胸に潜り込んだ。そうしてハタと思った。
「こんな、腕枕なんて獠の身体に負担になる!」
そう言って慌てて起き上がろうとして、押さえ込まれた。
「大丈夫だから。ちょっとじっとしとけ」
「でも……」
「でももくそもない。俺がこうしたいんだから、いいんだ」
「……かずえさんや教授がきたらどうするの?」
「どうもしないさ。用があれば声をかけるだろうし、慌ててドアを閉めるだけかもしれんし、どうでもいいさ」
「獠……」
「ちょっと目ぇつぶっとけ。それだけでも疲れがとれる。俺もちょっと寝るから」
実は獠はもう眠気はまったくないし、かえって頭も冴えてきているが、香を労りたかったのだ。もう大丈夫だと、本当ならモッコリで伝えてやりたいが、それができない今、こうやって身体を密着させておくのは、獠にとっても大事なことだった。
香はやはり疲れているのだろう。言われたままに目を瞑ると、まるで帷が降りるような眠りに落ちた。そして久しぶりの獠の温もりが、風呂場での行為以上に香を満たしていた。
獠も香の温もりを抱いて、ようやく自分が生き返ったような気分になっていた。もう一週間もすれば、左脚以外はもとの生活に戻れるだろうと予測する。新たな襲撃の可能性を考えると憂鬱ではあるが、いつまでもこの家に留まり続けるわけにはいかないだろう。自分たちの街は新宿なのだから。

冴子がもたらしてくれた情報も、もう一度頭で咀嚼した。
Waspとかいう組織や、まったく知らないスイーパーに挑まれるのは、別に珍しいことではない。今回も同じケースだと考えれば、切り抜けるのはそう難しくはないだろう。自分には香という天使がいる。この存在がある限り、絶対に負けることはない。

その天使が身じろいだ。眠りから覚めたのだろう。先ほど寝てしまってから、さらに一時間が経過していた。

獠は腕枕をゆっくりと外して、そうしてボンヤリと目を開けている香に口付けた。最初は上唇を、そして次には下唇を啄む。そうして、「おはよう」と囁いた。

「おはよう」
「よく眠れた?」

香はコクリと頷いた。

「腹減った。なんか、食わせてくれる?」

またしても,香はコクリと頷いた。ゆっくりと身体を起こした。獠も起き上がった。
外はすっかり暗くなっている。香は少し覚束ない足付きで、病室を出た。さすがに部屋着のままこの家を彷徨くのはまずいかと思い、荷物置きに使っている和室に入って、へたり込んだ。
獠の愛が、嬉しい。それ以上に、気遣わせてしまったことが、悲しい。両手で顔を覆って、込み上げる涙を飲み込んだ。泣いたりしたらダメだ。強く、もっと強くならなければーーー

着替えるとき、自分の身体に刻まれた赤の花びらに驚いた。姿見がないので見下ろす範囲ですか分からないが、獠の想いの激しさを物語るように刻まれた証。これほどまでに愛されている、そう思うと、もっと獠を満たしたいと香は思うのだ。だが、なにも差し出せない自分が悲しい。獠と同じ想いの大きさで、彼を包み守りたいーーー
それだけが、今の香の願いだ。

気を取り直してキッチンに向かうと、ミックとかずえがダイニングテーブルで差し向かいにお茶を飲んでいるところだった。

「ミック、来てたのね」
「ついさっきね」

そう言ってウィンクしてみせた。

「リョウのやつ、どうだ?」
「心配してくれてありがとう。さっきようやく目を覚まして、お腹が空いたって……かずえさん、キッチン、使わせて頂いても?」と最後はかずえに向かって声をかけた。
「構わないわよ。食事も、精力がつくものでもう大丈夫でしょう」とふふっと笑った。
起きてから診察もしていないのにと香は不思議だが、獠の顔色を見ていれば分かるのだろうと思うことにした。
シンクで手を洗っていると、かずえがふと横に立った。そして小さな声で囁いた。
「香さん、左の首筋にキスマークが……ただの痣にも見えなくないけれど、一応、ね。でも、ここでは気にしなくていいわ。それにしてもあなたたち、さっそくお熱いのね」
そう言ってすっと離れてく。香は慌てて左手を耳の後ろに押し当てて、そのままパタパタとキッチンを出て洗面所に駆け込んだ。
それを見送って、かずえはニコリとミックに笑いかけた。
「ずいぶんラブラブみたいね」
「だな。だが、わざわざ伝えて恥ずかしがらせることもないんじゃないか?」
「それが楽しいんじゃない」
「カズエは意外と人が悪いな」とミックも笑みを浮かべて続けた。
「獠のやつは、わざとやってるんだろう。独占欲が強いんだよ」
「そうみたいね。もっとも、あんなキスマークにしなくったって、もともと冴羽さんの独占欲はダダ漏れだったと思うけれど」
「それもそうだ。それで? リョウのヤツは大丈夫なんだね?」
「あれだけの大怪我だったのに、脅威の回復力よ。ただ、左大腿骨の状態は、あとでX線をあてて確認しないといけないわね」
「身体がアイツの資本だから、よく診てやってくれ」
「分かってるわ……ねぇ、ミック? ミックはもう辛くないの?」
かずえはいつか聞いてみたいと思っていたことを、やっと聞いてみた。
スイーパーを引退せざるをえなかったとき、結局はミックは何も言わずに自分を抱き寄せただけなのだ。言葉にしないだけ、ミックの辛さがかずえの心に沁み込んだ。自分の反対を押し切って、冴羽獠に挑戦したほどに執着したスイーパーという仕事。違う、スイーパーであることが、ミックの誇りそのものでもあったはずなのだ。それを奪われたミックの心うちを、かずえは少しでいいから知りたいと思っている。やがて仕事も見つかり、今は明るく振る舞っているミックは、過去にほとんど触れることもない。

ミックはカップをテーブルに置いて立ち上がり、かずえの傍らに立って肩に手を置いた。
「カズエ、ボクは過去を振り返ったりしない。キミとの未来を見ているんだが、それではダメなのかな?」
「ミック……」
かずえも立ち上がって、ミックの胸におでこを押し当てた。
「立ち入ったことを言って、ごめんなさい」
「いいんだ。ボクはキミには隠し事はしない。ただ、分かって欲しいんだ。ボクは本当に過去を振り返ったりはしない」
そう言って、白い手袋をしたままの手でかずえの左頬に触れた。
ーーー手袋を外しても、何も感じることのないおのれの手指。かずえを十分感じさせてやることもできない。それなのに、かずえは一つも文句を言うことがない。ただ、寄り添ってくれるかずえが、心底愛おしい。
かずえとの未来があるならば、過去などはいらないと、本気でミックは思っている。

そのまま見つめ合った二人は、どちらともなく唇を合わせた。
キスマークを隠す方法を結局思いつけずに、諦めてキッチンに戻った香は、足を踏み込もうとして一歩後ずさった。目の間の光景に息を飲んだ。
ーーーとても、綺麗……。
抱き合って、口づけする一組の男女。黒髪と金髪が揺れて、不思議なコントラストを作っていた。まるで雑誌か何かの表紙のようでーーー見つめていては失礼だと思うのに、目が離せなかった。

やがてミックが香の気配に気がついたのだろう、かずえの腰を抱いたまま振り返った。

「キッチン、占領してすまなかったね。リョウに食事を作るんだろう? その間、ボクがリョウの話し相手になっていいだろうか?」

香は顔を赤くして、コクリと頷いた。





ーーー続く


*CommentList

50. 櫻子 ー未来への花 (最終話)

2年の修士課程は、思いのほか濃密で、そして短い。
この春、2年生になった香は、相変わらず忙しい毎日を送っていた。修士論文は秋頃に中間発表を行ない、1月には最終発表をして提出、それに対して口頭試問があって、学位が授与されるかどうかが決まる。新宿島職員として恥ずかしいものは出せない、一つも手が抜けないと香ははりきっている。論文副査に冴羽さんはどうかな? と浦見准教授は提案したが、この提案には香は赤くなって俯いてしまった。獠は歴博で客員講師の職にも引き続き就いているので、実は副査であれば資格があるのだった。

答えない香に浦見は問いかけた。

「冴羽さんなら、サバチョウの生態側面の専門家だから副査に相応しいと思うのだが・・・」

それはちょっと・・・と小さな声で答えた。普段はハキハキしている学生なのに、珍しいと浦見は思う。

「何か問題でも?」

香はまたしても俯いてしまった。

「一応、打診してみるから、いいね?」と言われて、うまく返事ができなかった。
実は、教員と学生が恋仲なのは、アメリカでは御法度だと一度獠に言われたことがあるのだ。
ーーーだけれど、研究のパートナーなら問題ない。早く、追いついてこい・・・足を絡ませ合いながらそうベッドで囁かれた。
だからきっと獠は断るだろう。手数をかけさせないために、ここで先生に言ってしまいたいが、どうしても恥ずかしくて言えない香なのだった。獠が何か良い理由をつけて断ってくれるだろう、そう思った香だが、浦見の打診に対して獠は、婚約者の副査は務められないとあっさりとはっきりと浦見に返答をしていた。浦見はこれ以上は個人的なことと、その話題に触れることはなく香の副査には学内から別の人間に依頼していた。

とにかく修論を仕上げることを目標とする一年だ。同期は博士に進むものもいれば、就活に臨んでいるものもいる。香はそんな中で、比較的十分に時間をかけて修論のまとめ作業にはいっている。夏休みにはやはり新宿島に戻り補足の調査をしたが、年末年始は修論のスケジュールが押していて島に帰ることができず、新宿のアパートで猫と過ごした。獠も仕事に忙しくしているので、お互いに今は我慢だねと電話で励まし合ってもいた。

獠は一月から始まる通常国会の予算委員会に向けて、各種資料作成と確認に追われている。歴博には継続して分館設立準備のための予算が配分される予定だが、獠が目指す方向から外れないよう、慎重に推移を見る必要があった。また、保護センターでオウカチョウの繁殖研究ができるよう、東京都との交渉も始まっていた。サバチョウの繁殖飼育技術を生かすという名目で話は通るものの、やはり予算も人員も増やさなければ実現できる話ではないからだ。
獠は将来的には施設内にサバチョウとオオカチョウが共に暮らすビオトープを設計してみたいという夢ももちはじめていた。この二つの鳥は、生息場所も食べるものも少しずつ重なっているが、地上と樹上というようにニッチを分け合っている。獠は新宿島の自然を模した施設に、この二種類の鳥を放してみたいのだった。これはもう研究というよりも、獠の極めて個人的な夢なのだが、皮肉なことに観光協会が乗り気になっている。

サバトピアは獠が開いてきた各種の会合と勉強会の努力が実り始め、関連する団体が、獠の強い働きかけがなくとも自主的に動き始めていた。もっとも獠が喜んだのが、畜産組合が合弁の堆肥会社を設立し、外部から専門家を招いて農家が使いやすい堆肥の開発を始めたことだった。流れができてきたのだと、獠は喜びを隠せない。結城礼子が熱心に、同業者に説明を重ねたこともあり、また、いずれにせよ畜産農家の不利になる話は一つもないということで、ことが動いたということでもあった。獠は礼子にはいずれ改めて礼をと言ったのだが、礼子はもう一つのやりがいをみつけたから、礼などいらないときっぱりと答えていてた。ただし、機会があれば食事でもどうかと獠を誘うので、獠は返答を保留していた。食事などどうということもないが、香の留守の時に結城礼子と食事をしたことがバレたら、大変なことになるだろうと獠は思う。

2月の寒い日、香の学位審査が終わり、その日のうちに香は獠に電話した。新宿島では観測史上4度目という珍しい雪が降る日だった。

「無事に全部終わりました。口頭試験も問題なく」
「そっか・・・おつかれさんだったな」

最後に会ったのは、昨年の9月のことで、思えば5ヶ月、会っていないのだった。たった5ヶ月だが、二人にとっては長い。香はすぐにも新宿島に帰りたいと思っていたが、それも実は叶わなくなっていた。そのことを獠に伝えなければならない。

「それでね、これから4月まで、歴博で研修を受けることになったの。研修というか、準備チームの歴博での仕事を一通りマスターして欲しいって。当面は私だけが現地部隊だから・・・」

そういうこともあるだろうと獠は予測していた。だからつとめて明るく言った。

「分かった。頑張れよ。俺もしばらくは島の外には出られそうにないんだ。それで、役所仕事がいっぱいになってしまったこともあって、憂さ晴らしに論文を書き始めてみたんだ。前にオヤジにヒントを貰ったんでね。これが書き出したら面白い。香に負けないように、俺もいい論文を書くよ」
「頑張って・・・」

会話が続かない。会いたいと言ってしまえば、涙が溢れる、そう香は思った。獠も会おうと思えば本当は無理をすれば新宿まで行ける。だが、もう少し、もう少しだけ香に頑張って欲しいと願う。寂しい心は今だけのもので、香は今は一人で乗り切るべき時だ。自分が側にいては、邪魔になるだけだろう。
受話器を握る手に力がこもる。研修はいつまで? そう聞きたいが、聞いてしまえば一刻も早くそれが終わることを願っているようにとられそうで、またしても獠は言葉を紡げない。

「ところでサバちゃんは元気か?」

だからこんなふうに関係ないことを言った。

「・・・うん。変わらないよ。でも寝てることが少し増えたかな。家で一人でお留守番も大丈夫みたい」
「そうか」

会話はやはり続かない。沈黙する香に獠は続けて言った。

「・・・また何かあったら、電話でも、メールでも」
「・・・わかった」
「それじゃ、切るよ?」
「・・・」
「香? 頑張れ、いいな?」
「わかってます」
「それじゃ」

名残惜しげに獠は通話終了ボタンを押した。獠は窓の外を見やる。雪はまだしんしんと降り続いていた。


***


3月も終わりの頃、S大学では卒業式と学位授与式が執り行なわれた。
式が終わって、香は友人達に囲まれている。後輩からも慕われているのか、写真撮影の波がおさまらない。香は、ゼミでも人気の先輩だった。調査地で就職してまた大学に戻ってきた、そんな経歴のせいか、ゼミでの発言はいつも少し大人びていて、学部生からは尊敬の眼差しを浴びて来たのだ。

獠は少し光沢のあるグレーのスーツ姿で保護者を装ってーーーいや、年齢的に保護者には到底見えないのだが、学位授与式が行なわれた後のキャンパスをふらりと歩き、授与式会場近くの芝生広場で香たちの一群を見つけたのだった。香とは2日前に電話で話したが、簡単な近況報告でこの授与式の話題は出なかった。いや、出さなかったのだ。

撮影の波が収まって、香はゆっくり顔を廻らせて、獠の姿をみとめた。信じられない、とその目は言っている。この日の香は、シルバーグレーのパンツスーツをマニッシュに着こなしていた。仕事を持つ女性、そう言った雰囲気が際立っている。その姿は、学生をやりながら、責任をもって歴博の仕事をこなしてきた自信に溢れているようだった。

ーーー来るとは聞いていなかった。

香はしばし息を飲んだ。

「獠・・・」と小さな声で呟いた。近くにいた友人や後輩が、つられて獠のほうに視線を向けた。

一陣の風が吹いて桜の花びらを散らした。このキャンパスは、かつて桜村と言われていた場所に土地を開いて建てられたので、過去の地名の通り桜が多いのだった。

「香」

獠がそう呟いた。声は聞こえないけれど、自分の名が呼ばれたのだと、香はすぐにわかった。そうすると、友人の一人が行ってあげなよと香の背を押した。その勢いで最初はゆっくりと、徐々に駆けるように香は獠のもとに急いだ。胸にぶつかる勢いで止まると、そのまま左腕が背中に回されて抱き寄せられた。いつか贈ったツバメのネクタイが目に飛び込んで、香は少し胸が熱くなる。もう5年も前のプレゼントなのに、こうやって大切にしてくれているんだーーーでも、こんな目立つ場所でさすがに恥ずかしい。

「獠、人が見てる」
「かまわない」

獠の低い声に、羞恥心は少し収まった。しばらく抱きしめられたあと、獠がひどく静かな声で言った。

「新宿島に、戻って来られるか?」

獠の質問の意味が分からない。だから、顔を見上げた。いつも自信満々の獠の瞳が、不安に揺れている。

「当たり前じゃない」と香は明るく答えた。

もう4月からの仕事も島で決まっているのに、なぜと香は思う。いつもいつも、自分のこととなると少し臆病になる獠がおかしい。

獠は一つ深呼吸した。

「香・・・俺、お前とこれからも歩いていきたい。・・・だから・・・お前とその・・・なんだな・・・アニキよりも近い関係になりたい」

顔を赤くさせながら、やっとのことで獠はそう言った。
香はふふっと笑った。相変わらず照れ屋過ぎて、真正面からの言葉が出てこない獠が、可愛いと香は思う。ちゃんと言ってくれると約束したのに、これじゃ無理っっぽい。まったく、しょうがない人だなぁと少し呆れもした。行動はこんなに大胆なのに、なぜ簡単な5文字が言えないのだろう? だから、自分が代わりに言ってあげようと、香は思った。

「獠? 私たち、結婚しよう。それでうんと幸せになろう。私、子どもは二人は絶対に産むの。一人は、お父さんが望む子に育てるわ」
「香……」
「大丈夫。きっと獠と私の子にはお父さんの想いが届くと思うから」

そう言う香の顔を覗きこんで、「香って、やっぱり大胆なのな」と言って、いつかの日のように触れるだけの口づけを落とした。
友人たちが見ているのにーーーと香は真っ赤になった。大胆なのは獠の方でしょうがとやはり思う。

「お世話になった先生たちに、ご挨拶に行かなきゃだから」
「分かった」
「今日はなるべく早く帰る。アパートに泊まるんでしょう?」
「そのつもりだ」
「いつまで?」
「明日帰る」
「このためだけにきたの?」
「そう。またセスナを使ったんだ」
「じゃぁ一緒に帰れない?」
「香が明日帰れるなら、一緒に香の車で帰ってもいいけど」
「”てもいいけど”ってなによ。ちゃんと明日出られるように準備してあるのよ?」
「・・・そうなのか」
「獠がなんにも聞かないから、言わなかったの。もしかして、ずっと不安だったの?」
「・・・」

図星だった。日に日に獠は不安に押しつぶされそうになっていた。ちゃんと帰ってくるに決まっているのに、根拠なく不安が頭をもたげていたのだ。だから、余計に電話で香に何も聞けなくなっていたのだ。顔を見るまで、ずっと、ずっと不安だった。

答えない獠に、獠のバカは知ってたけど、ほんと呆れるよ? と可愛らしく小首をかしげて、くるりと身体を反転させて友人たちのもとに戻っていくのを見送った。

ーーーそうだ。大バカものなんだ。

獠はひとりごちた。結局、まともなプロポーズもできず、香に全部言われてしまった。俺はこんなんばっかじゃないかと、獠は項垂れた。


***

1年後の3月28日、二人の誕生日のど真ん中に、入籍届けを二人で役所に提出した。この日に入籍することは、二人で相談して決めたのだった。香の職場でもあることで、何人かが噂を聞きつけて祝いの言葉を二人にかけた。

それから3日後の31日、香の25歳の誕生日に、二人は新宿島でささやかな式を挙げた。獠が7年間暮らした冠木地区の鎮守の神社だ。いつか二人で見上げたクスノキの古木が、この日も二人を包み込むようにそこにそびえていた。この日、紋付と白無垢の二人を見守るのは、二人のごく近い親族、つまり兄の槇村夫妻と海原神だけだった。二人が、そう望んだからだ。

この日のために東京からわざわざ来島していた斎主が、高らかに祝詞を読み上げる。その声が、神域に朗々と響いた。
獠が、普段は東京にいる本日の斎主で、つまりこの社の神主である人を捜し出して連絡をとると、あそこには神前式の式を十分に執り行なう設備がないが、構わないのかと一応確認された。獠はそれに対し、神様に対し礼儀が守られる簡素な式でよいし、むしろあのご神木のクスノキに二人の絆を誓いたいのだと正直に告げていた。それに対し、神主はいたく感銘を受けたといい、できる限り手配しようと約束してくれてこの日を迎えていたのだった。無事、固めの杯も交わし、異例ながらと断りながら、斎主がここに誕生した一組の夫婦に、心よりお喜び申し上げる、末長く、このクスノキが大地に根を張るように、子々孫々までの繁栄を願うと言葉をかけた。

少し離れた道路からも、式が行なわれているのが分かるからなのだろう、道行く車が速度を緩めて通り過ぎていく。遠目にも白無垢の花嫁の姿が、きっと皆の心を幸福にするだろうと獠は思う。

獠は香の白い手をとってクスノキを見上げた。
あの夏の日に大きな葉を広げていたこの古木は、今も変わらずそこに暮らす生き物たちに庇護を与えているのだろう。もうすぐこの木は花の季節を迎えるためか、夏には微かに香っていたにすぎない樟脳の香がひときわ強く感じられるのが、この場の厳かな雰囲気を際立たせていた。

根無し草のような人生しか想像できなかった獠だが、香と生きることを決めて、このクスノキのように、大地に根を張った生き方をしようと思った。それはなにも、この新宿島に骨を埋めるというような話ではなく、生き方の哲学の問題だった。
昨年の春から、香と挙式や披露宴をどうするかを散々話して、そうして獠がこの決意を伝えたとき、香は自然とあの鎮守の神社にしましょうと獠に提案したのだった。
教会も柄じゃない、ホテルウェディングも何か違う、でも、あの場所ならきっと私たちらしいと香は言ったのだ。無理してないかと獠は問いかけたが、なんにも、と香は笑顔を見せたのだった。

式が終わると、場所を移して、獠の長年の行きつけでもある寿司屋の二階でささやかな祝宴が開かれた。これも、獠と香が二人で相談して決めた。本当は何もしなくてもいいと思っていたのだが、仕事にプライベートにと様々に縁がある人たちに、あまりに不義理もできないからと、皆が楽しめる会をと二人で考えたのだ。

宴会場では保護センターの川島所長かご機嫌に高砂を謳いあげていたかと思うと、ミックがいかがわしいマジックを披露して皆の笑いを取っている。2歳になったミックとかずえの長男がかわいらしいと、女性出席者のアイドルとなっていた。そのジュニアのお守役はもっぱら教授のようで、まるで猫のように動きが読めない幼子を追いかけながら、美女に可愛がられるとは子供よなかなかやるのぉと、よくわからない感想を漏らしている。これでも教授は、共働き夫婦の子育てのちょっとした支援をしているつもりでもあった。
伊集院夫妻は祝いにと角樽を差しいれており、それで皆は多いに酔っぱらい宴は盛り上がった。この夫妻は獠と香が出会った頃からよく二人を知っている。だから、マイクを使って過去の恥ずかしい暴露話を始め、「埠頭のラブシーン未満」を夫妻で再現してみたりして獠が顔を真っ赤にするという一幕もあった。香はケラケラと笑いながら、目の端に涙をためた。獠が人目を気にしないからこんなことになるんだよと言うと、うるさい、仕方ないじゃないか、俺だっていっぱいいっぱいだったんだからと痴話げんかに発展しかけるのを、かずえが、こんな日に喧嘩なんてとやんわりと嗜めたりもした。
サバチョウのゆるキャラの「リョウちゃん」ももちろんお祝いにかけつけていた。着ぐるみの中の人は実は香の上司の佐々木課長であることは、まだ秘密にされている。のちのサプライズにするつもりだったが、課長は着ぐるみの頭を外すタイミングを完全に逸してしまい、大汗を掻きながら焦りに焦っていたりもした。観光協会の麻生かすみは、同僚と3人でなぜかキャンディーズの「春一番」をなかなかの美声で披露していた。

そんなにぎやかな広間の片隅で、槇村秀幸は海原と盃を傾けあっていた。前日に秀幸は初めて獠の父親を紹介されている。WWPインターナショナル代表ということで、秀幸はあまりの驚きに言葉を失うほどだったが、かつて獠を得体の知れない男だと感じていたのは、このような父親の元で育ったせいかと合点もいったのだった。

「香は、大丈夫ででしょうか?」

秀幸は海原に問いかける。

「大丈夫とは?」

海原も静かに答えた。

「早くに両親をなくして、私が育ててきました。充分なことをやってやれたか、あまり自信がないんです。おまけに、小さな世界で生きてきたのに、あなたのような方の縁続きなど、務まるだろうか?」

秀幸は思っていた通りを言った。あまりに世界が違う、秀幸はそう思う。

「務まるも何も。立派に育てられましたな。私こそ、倅はあんななので、ずっと心配して来たが・・・香さんと出逢って、だいぶましなオトコになったようだから。・・・実は獠の母親は香さんによく似ているのです。本人はそれは知らないんですが・・・。無意識に、求めたのでしょう。2人はあるべきところにおさまったのだと、私はそう思っています。・・・こちらこそ、大事な妹さんを倅が蔑ろにしないよう、よく見張っておきますから」と言って、ふわりと笑んで杯を空けた。そこにまた酒を継ぎながら、獠の父親が意外と気さくな人物であることに、秀幸はホッとしていた。そんな二人を、冴子が静かに見つめている。いくぶん優しげな雰囲気のました彼女のお腹には、今、新しい命が宿っている。半年もすれば、この夫婦にも家族が増えるのだ。二人で寄り添うように生きてきた槇村兄妹は、これからこうやって多くの家族に囲まれることになるのだろう。

祝宴は賑やかさを増して進んでいる。途中、獠が大将に、「こんなに煩くしてしまって済まない」と1階の板場に謝りにいくと、「他でもない獠さんの晴の日だ。多いに飲んで歌って喰ってくれていいから」と笑顔を向けられた。獠はこの島に来た当初、よくこの寿司屋を訪れて、日本流の包丁の使い方や魚の捌き方を習っていた。素人を板場に立たせられるかという大将に、何度も頭を下げた獠なのだった。キャッツ・アイが休業で、一人で飲みたい時にも獠はこの店を訪れた。大将とは少し気があうところは実はある。獠にとっては仕事の話をいっさいしないでいい、特別な場所でもあった。

実はGWの始まる直前に、東京でもガーデンパーティーも予定していた。新宿島に友人たちを呼ぶのはちょっとと遠慮した香に、それならばいっそ香の友人たちには東京でお披露目だと話はトントンと進んだ。場所は麻布の洒落た洋館で、とある大女優の生家を改装したものだとか。香が友人の結婚式に一度行ったことがあるとかで、とても素敵だったからと獠に話した。お前が好きな場所でいいよと獠は一つ返事で、関心はもっぱらウェディングドレスのほうにあった。ぜひとも香には、美しいドレスを着せたいと思ってきた獠なのだ。香の親友の絵梨子が、ウェディングドレスを作るならぜひ私にと、二人の婚約を知った時から手を上げてくれていたことも大きかった。
絵梨子はすでにヨーロッパでデザイナーとしてデビューを果たしており、それなりに多忙ではあったのだが、香に他の人のドレスは着せられないと、完全のオーダーメイドでそれは制作されたのだった。挙式はすでに済んでいるから、あくでもパーテイー用にと考えられた純白のオフショルダーのAラインのドレスは、香の健康的な美しさをより引き立たせるものだった。獠は自分は添え物なので、服装はどうでもいいと言ったのだが、これだから鳥の保護なんかやってる人は無粋なんだからと絵梨子にあきれられ、ネイビーのロングタキシードを着せられることになっていた。

学位授与式の日の「大胆なプロポーズ未満」を目撃していた香の友人たちが、香から話を聞いて、積極的に準備を手伝ってくれていた。彼女らの協力で、獠の仕事関係者にも招待状が送られている。だがそれ以上に、あのイケメン研究者をとことん苛めたいと、香の友人たちは密かにいろいろなサプライズを準備したりもした。またしても、赤面させられるのは獠ばかり、のパーティーなのだった。
これも全て会費制にして、ご祝儀のやりとりの煩わしさをなくすようにも心がけた。集まっていただいたお礼にと、サバチョウを妙にリアルに再現したピューター製の小さな文鎮を特別注文で誂えたりもした。本当は銀山の島にちなんで銀製にしたいところだったが、銀は置物には向かないから、やむなくピューターに。やけに立派な桐箱にそれは収められて、皆に贈られた。この文鎮は今後、獠のデスクでも香のデスクでも大活躍することだろう。なんと言っても、サバチョウ様々なのだから。

準備が進むと、今度はアメリカの獠の旧知の人間には知らせなくて良いのかと香が言い出した。さすがにそれはキリがないと獠は思ったのだが、ハウスキーパーのアンから獠に直接電話があり、せめてお祝いのパーティーをニューヨークの海原邸に準備させて欲しいと大泣きに泣かれた。旦那様はきっとご自分ではおっしゃれないだろうけれど、立派に花嫁を迎えた自慢の息子を、それこそご自慢になりたいばずた。それに何より、小さな頃からお育てしてきた私には祝わせてくれないのかと、そばにいた香にも電話の声が聞こえる大迫力なのだ。

大ごとになってすまない、そう獠は香に詫びたが、香は大丈夫だよ、お父さんが喜んでくださるなら、私もそうしたいと、やはり屈託無い笑顔を見せた。
香は慣れないアメリカスタイルの社交がおそろしくはある。けれど、冴羽獠の妻になるのだから、物怖じしていてはいけないと心に決めていた。

だが、7月に計画されていたこのニューヨークでのパーティーは、延期された。なぜなら、このほんの少し前に、香の妊娠がわかったからだ。そんなわけだから、長旅は無理なんだと父親に報告すると、それは何より嬉しい報告だから、香さんを労ってあげなさいと電話口で海原は獠に話した。

「香が、せっかく準備してもらったのにと、しきりに申し訳ないと言っていて、様子をみながらだけど、ちゃんとそちらに行きたいと、そう言っているんだ。それと、墓参りをしたいとも言ってる。ニューヨーク郊外に、あるんだって? 可能なら、出産前に行きたいって・・・.これはまぁ、今の所の香の希望だ」
「獠、お前は?」
「正直、よくわからないんだ。だが、香の希望は叶えてやりたい。だから、また連絡するから」
「無理をしないようにな。こちらのことは気にしなくていいから。香さんにくれぐれもよろしく伝えてくれ」
「わかった」

電話を切ってから、「香、これでいい?」と問いかけた。

「ほんとに、ゴメンね。アンさん、大丈夫かな?」
「なんで謝る? 俺が早く子供が欲しかったから・・・だから凄く嬉しいんだ。それに無理はできないんだから気にすることはない。・・・そう言えば、仕事はどうするつもりだ?」
「来年2月までは続けるつもり。育休半年って考えてる」
「臨月近くまでか。無理しなくていいんだぞ?」
「だって、私の代わりはいないんだよ? 頑張らなきゃだもの」
「子育て、協力してくれる人がいないけれど大丈夫か?」
「獠がいるじゃない」
「そうだったな」

そう言って、二人は笑いあった。どんな困難も二人で乗り越えよう、そう思っている。

安定期にはいり、香の意思もあって、ニューヨークを二人は訪れた。アンが張り切って準備したパーティーが、秋が深まった海原邸で開かれた。獠は長旅の疲れがないかと香を労りながら、父親の関係者にも一通り挨拶しなければならないという、それなりに気を使う会ではあったが、たまにはオヤジの顔も立てねばとその役割を果たしたのだった。獠がかつて調査地で知り合った懐かしい面々もかけつけてくれていた。マリィーやソニアが、伝手を辿って声をかけていたのだ。16年ぶりに会うケニー・フィールドが「色男、いい嫁さんを捕まえたな」と力強く背中を叩いた。他にも、袖触れ合う程度と思っていた昔の知己が、獠と香を祝福するために訪れいてた。祝福を受けながら、心を閉ざしていたのはおのればかりなのかと獠はひとしきり反省をした。

このパーティーの翌日、獠は両親が眠る場所に香とともに訪れた。冬にはまだ間があるはずなのに、墓地を吹く風が季節の変わり目を告げるような、そんな寒い日だった。

「実感がないな・・・」

墓石の前に立って獠はそうつぶやいた。
それは目の前の墓石が自分の両親のものであることなのか、それとも自分が父親になることなのか・・・
香はすこし考えて、膨らみ始めた自分のお腹に、獠の手を導いた。

「でも、こうやってちゃんと受け継がれてる」

これが全部の答えだろう。かつて一人の女性が、自分が生きた証にと子供を望んだ。愛する人との間に誕生したその命が、また次の世代へ受け継がれていく・・・そこまでをきっと、彼女は夢見たことだろう。

そのまま獠は香の肩を抱き寄せて、寒くないかと耳元で囁いた。
この二人のおかげで自分が今ここに立っている。そして、香を得られた。それは間違いない事実だ。そんなことを思った。
腕の中の香も、囁くような声で獠に答えた。

「寒くなったりしないように、ずっと抱きしめていて。きっと、お父さんがお母さんにそうしたように。お母さんが、お父さんにそうしたように」
「それは誰のこと?」
「誰でもない。私だったら獠。兄貴だったら冴子さん、お父さんにはお母さん、そういう事じゃないの?」
「・・・香は時々すごい。本当にあったかい人なんだな。・・・俺が、そんなお前を、寒さからもどんな困難からもきっと守ろう」

そう言って、香を抱く腕に力を込めた。
胸の中で香がポツリと言った。

「3月31日・・・」
「ん?」と獠が返した。
「お母さんの亡くなった日、3月31日って・・・」

獠は改めて墓石に目を落とした。確かに没日が3月31日になっている。

「私の誕生日と同じ日・・・獠のお母さんは、ちゃんと獠に会えたのね。そして最期の時まできっと獠を抱きしめていた・・・託して行く二人のお父さんを、信じきっていたのでしょうね・・・」

きっとそうだろうと香は思う。自分の夫であった冴羽昌幸という人はもちろんのこと、海原神にもきっと願ったことだろう。この子を、頼みますとーーー。

香は少し鼻をすすった。ちょっぴり涙が込み上げたのだ。きっと自分の母も同じだ。父と兄に、私の行く末を託してくれた。だから、私はとてもとても幸せに生きてきた。これからは、そんな幸せな家庭を、獠と作っていこう。

獠は、ああやはり、愛し慈しんでくれた母がいたのだと、改めて思った。
そうして運命の不思議を思う。

8年前のあの日ーーー

珍しくWWPインターナショナル事務局に呼び出された獠は、海原の執務室にいた。久しぶりに会う父親は、獠にちらりと視線を送っておもむろに切り出したのだった。

「東京湾の外れの新宿島という島に、絶滅の危機にある鳥がいる」

その海原の言葉とともにデスクに投げ出されて広がった書類の中から、獠は一枚の写真をとりあげた。
そこに映し出されていた白い羽に青い冠羽の美しい鳥。その姿に、自分の手でこの鳥を守りたいという思いが衝動的に巻き起こったのだ。

ーーー守りたかったのは、もしかしたら自分自身なのか? 救いたかったのは、喪われた父の魂なのか?

そんな思いにとらわれた。
そして、香に初めてサバチョウを会わせた日のことを唐突に思いだした。「答えは、サバチョウが持っている」と、香は確かに言ったのだ。無意識のように発せられた言葉が、真実だった。

あの日から、香と自分は出会い、恋に落ちるように定められていたのだろうと獠は思う。ずいぶんと遠回りをしてしまったが、まだまだ先は長い。出会ったのは運命かもしれないが、ここからの人生はおのれの意志で切り拓くのだと、獠は改めて決意した。


***


翌年の桜の季節に香は娘を産んだ。獠は 、長女に櫻子と名付けた。
もちろん、母の名を託したのだ。香がそうしようと、最初に言い出した。オウカチョウという鳥に出会い、この美しい鳥が母の名の由来で、そしてカオリという名を学名に持つこの不思議な巡り合わせ。きっと櫻さんが、いえ、お母さんが引き寄せてくれたのだと香は主張したのだった。獠も、きっとそうなのだろうと思った。

孫の誕生に際し、新宿島までかけつけていた海原に、獠はポツリと零した。

「オヤジ、女の子ではオヤジの希望にそわないか?」

そう獠は海原神に問いかける。問われた海原はゆっくりと首を左右に振った。

「いや、もう、そんなことはどうでもいい。獠と香さんと櫻子が幸せなら、それが一番だ」

海原は心からそう思った。そして続けた。

「だが獠、一つだけ頼みがあるんだ」
「なに?」
「お前の両親の墓に、櫻子と香さんを連れて参ってやって欲しい。孫の誕生を、きっと、喜ぶから」
「わかった。必ず行くよ」

その言葉の通り、櫻子が一歳を迎えた春に、獠と香はニューヨークを一年半ぶりに訪れた。
獠はベビーカーから櫻子を抱き上げて、墓石の前に膝をついた。

「父さん、母さん、孫を連れてきたぜ。母さんの名前を貰って、櫻子という名にしたんだ。今時の日本じゃ、古風なんだけど俺は気に入っている」

香も獠の横で膝を折って目線を会わせた。

「獠に、とてもよく似ているって、みんなに言われているんです。どうか見守ってあげてください」

そう言って香は手を合わせた。
かつて海原が言っていた通り、二つの墓石を覆うようにソメイヨシノの枝が張り出して、満開を迎えていた。
腕の中の櫻子が目を覚ましたので、獠は立ち上がって桜の枝の一つに近付いて、娘によく見えるようにしてやった。そうすると何か分かるのか、小さな手を一杯に伸ばして桜の枝を掴もうとするのだ。獠は花だけをいくつか摘んでやり、娘の手にもたせた。
もう独りで立つことができるので、獠はゆっくりと墓石の前に我が子を立たせた。そうすると、櫻子はゆっくりと両親を見上げて満面の笑みを見せ、手にした花を右手左手と何度か持ち替えてしゃがんだ。そうしてこの日、香が墓石に備えた花束の横に、冴羽櫻の墓には右手で、それから昌幸の墓には左手で、静かに桜の花を置いた。そのままの姿勢で両親を見上げてまた笑うのだ。それはまるで、大仕事を成し遂げたかのような満足気な顔なのである。

この子には分かるのかーーー獠はそう一瞬思う。
そんなわけがない。ただ見たものに反応して行動しているだけだ。
だが、父さん、母さん、この子は紛れもなくあなたたちの孫だから・・・

墓参を終えた二人は、海原邸に戻った。
もう一人の父親が二人を待っていて、どうだったと問いかける。

「桜が・・・とても綺麗だった」

そう、獠はポツリと答えた。
海原は、獠の言葉に一人桜の苗木を植えた秋の日の夕暮れを思いだす。獠のことはおれに任せておけと言い聞かせながら、苗木を植えたのだ。あの日から30余年、自分も孫と呼べる存在に出会えたこととが、海原は何よりも嬉しい。
櫻子がジィジィと言って、ベビーカーから手を伸ばしている。伸ばされた手を、海原は優しく握った。
跡継ぎなど本当にもうどうでもいい。この子が、健康に育って欲しいと海原は心から願った。


***


冴羽家には、櫻子が四歳の夏に長男が生まれた。名前は迷いに迷って、香の音をそのままに別の漢字にし、薫(かおる)と名付けられた。

この年、ようやく博物館が完成していた。最初に分館構想が計画されてから、9年の月日が流れていた。

香はこの2年前から、所属を国立歴史民俗博物館に移し、新宿島役場内に設置された博物館開館準備プロジェクトチームの一員として、出向というかたちで働いていた。仮の事務所が前年に出来上がり、いよいよ本格的な学芸員としての仕事を始め、そのまま分館開館を迎えていた。開館セレモニーには、設立構想委員のメンバーも出席し、旗頭であったK大総長もその席にいた。
K大総長は、博物館は完成がその目標ではなく、ここから生きた研究施設、教育施設として新宿島のみならず、地域文化の多様性の維持と発展のためにスタッフ関係者には力を発揮して欲しいと挨拶を述べた。獠もサバチョウ保護センターを代表して、また、分館の外部委員として、挨拶に立った。サバチョウの故郷の景観が形成された歴史的経緯と現在の様子を、この博物館を通して広く発信すべく、これからも尽力したいと自らの決意を述べ、また、これまで博物館構想を支持・支援いただいた「サバトピア会合」の関係者の皆様に、深く感謝を申し上げる、とそれこそ深く頭を下げた。セレモニー出席者の中からは自然と拍手が巻き起こり、獠はしばらく頭が上げられずに胸を熱くした。それを見つめる香も、思わず涙が込み上げた。時に横柄な口調と態度ではあったが、このプロジェクトを牽引してきたのは、冴羽獠その人だ。口調と態度とは裏腹に、いつも真摯に人と向き合い、そして粘り強く周りを導いてきたことを知るのは、誰よりも会合関係者なのだった。だから、この日を迎えた男の万感の思いは、皆の共通の思いでもあったのだろう。会場に響く拍手は、なかなか鳴り止むことはなかった。

同じ年に、獠は「”新宿島特別米” サバチョウブランド」のPRに何度か東京に出向いたりもした。このブランド米の収穫は、この年で2回目になる。獠は農協からブランド名に「サバチョウ」を使わせて欲しいと頭を下げられた日のことを、忘れてはいない。自分たちの活路を、この鳥との未来に見いだしたのだと、多くを語り合わずとも獠にもよく分かっていた。それだけの時間が、すでに流れているのだ。
このコメは、作付け2年目にしてコメの品評会で第一目標としていたAランクの評価を得ていた。有機農法に転換し、従来の農法に比べて収量が落ちないよう、品種改良を模索しなが早々にAランクに辿り着いたことで、農家は来年は特Aランクを、いや、その前にもっとアピールして付加価値をと、活気が出てきていた。獠は深く農家の取組みに感謝し、自分で役に立つならと自らコメのPRイベントも主催した。

一方で肝心のオウカチョウの飼育繁殖には苦戦している。この年の春に、鳥類研究所が自然下で採卵した卵で、サバチョウ保護センターが孵化の挑戦をし、初めて2羽が成鳥まで育ったところだった。これまで4度、挑戦してきたが「生後二週間の壁」があり、ここで雛を失ってしまうことが続いていたので、ようやく一歩前進したところだ。
成鳥で捕まえてきたオウカチョウの飼育自体はうまくいっていて、鳥はいたって元気なのだ。だが、交尾まではいたるものの無精卵しか産まない、などと問題を多く抱えながらも、獠はまだまだこれからだと日々知恵を絞っている。

このようにそれなりに仕事が忙しい中で、獠と香は2人の子供を育てている。香は子供たちを高校からアメリカに留学させると息巻いているが、獠はそんなことにはこだわらない。学ぶ場は関係ない、学びたいという意思があれば、おのずと道は拓けるのだから。

薫が一歳になった次の春に、家族は再びニューヨークを訪れて、墓参をした。

「櫻子は一歳のときにここにきたことがあるんだぞ」と獠は話しかける。

墓の前でモジモジしたようにしていた櫻子は、覚えてないと俯いた。獠は香に似た少し赤みがかった茶色の柔らかい髪をくしゃりと混ぜた。あの時と同じように抱き上げて、咲き誇る桜を間近で見せてやると、花を優しく触って、とっていい? と父親に問いかけた。
それに対して、構わないよと獠は頷く。櫻子が丁寧な手つきでいくつか花をとったので、獠はかつてのように娘を地面に立たせた。見ていると、桜の花二つ、ベビーカーに収まっている弟に差し出した。差し出された薫は手を伸ばしてそれを受け取って、きゃははと笑っている。櫻子はというと、自分の手に残った桜の一つを祖父の墓石に、一つを祖母の墓石にそなえて、真ん中でしゃがんで丁寧に手を合わせた。

槇村家の墓所でも、櫻子は非常に丁寧に手を合わせる。小さいながらに、何か思うところがあるのだろう。
満足いくだけ祈ることができたのか、櫻子は立ち上がって弟のところにいくと、おはなちょうだいと言って、右手を差し出した。少しくしゃくしゃにされた花を、香が薫の手から受け取って、櫻子の右手に載せた。櫻子はその花を一つずつ、先ほど自分が置いた花の隣に置いた。そうして再び弟に近寄って「かおちゃん、おててをあわせるんだよ」と言って、小さな手でさらに小さな弟の手をとって、そっと合わせた。薫はベビーカーの上で足をバタバタさせて喜んだ。やはり、満面の笑みを浮かべている。

獠と香はそんな二人を静かに見守った。櫻子は薫が生まれてから急激にませてきている。母を弟にとられたと少し僻んだ時もあるが、その分、父親に甘えて乗り切った。そうすると、急に姉としての自覚が生まれてきて、スプーンの持ち方やらコップの持ち方やら、積極的に薫に教えるのだ。遊ぶ時もまず自分が見本を見せる。もっともまだ1歳半の薫がどこまで理解しているかは定かではないが、櫻子にとっては弟が理解できているかどうかではなく、自分が見本になれているということが、誇りのようだった。

海原邸に戻ると、やはり海原が待ち構えていて、久方ぶりの孫との対面を喜んだ。アンはいまだ元気で、やはりアップルパイを焼いて獠たちを待っていた。この家での恒例となったティーサロンのメンバーも、今は賑やかなものなのだった。

紅茶をテーブルに戻して,獠は父にむかって言った。

「オヤジ、俺の一つ目の目標が達成できたんだ」と言って、この春のセンターの成果を話し始めた。




それは、獠にとってもっとも嬉しい報告だった。
博物館のような大きなものから、野良猫の里親探しのような小さなことまで、ただただサバチョウのために島中に仕掛けを作ってきた成果が、ようやく現れ始めていた。
推計ではあるが、前年のサバチョウの自然繁殖率が死亡率を始めて上回ったのである。これは自然環境下で、サバチョウが十分に繁殖できているということを示している。獠がサバチョウ保護センターに赴任してから、はや13年の月日が流れていた。依然、絶滅傾向の警告を外すわけにはいかない状態ではあるが、第一目標はクリアした。今後、個体数を種が自立的に維持される必要レベルまで引き上げていく過程に移行することになるだろう。

この成果を、天然記念物を所管する文科省に、獠はありのまま報告した。

「この傾向が続けば、天然記念物指定解除になるが、そのことは承知しているのかね」と文科の役人に高飛車に指摘されたが,獠は平然と答えた。

「それがなんだ。天然記念物だから保護される対象なのか? そうじゃないだろう。どんな生物の命も、本来は価値は等価だ。人間の都合で滅ぼそうとしたものにだけ注目するのが、そもそもおかしいんだ。指定解除結構。絶滅の危機にないほうが望ましいに決まってるじゃないか」

獠の言いように文科の役人は開いた口が塞がらないと思ったが、あまりの正論に返す言葉もない。

同時に環境省からは、地域環境保全活動の優良ケースとして「サバトピア」が大臣表彰されることになっていた。具体的な組織を持たず、住民の自主的な取り組みで天然記念物の絶滅傾向を緩和させたとして島全体が表彰対象となっていた。最初、受賞を打診してきた環境省自然環境局の今や局次長の槇村秀幸は、当初、サバチョウ保護センターを表彰すると獠に話したのだが、それは違うと獠が反論をした。保護センターはある意味何もやっていない。そうではなくて、住民意識の変革がもたらした快挙なのだからと。

これをきいた秀幸は、それを成し遂げたのはお前だろうがと内心で思うが別のことを言った。

「獠、この先、天然記念物の指定解除されて、絶滅危惧レベルが引き下げられていくと、保護センターの存続が危ういぞ?」

それに対して獠は答えた。

「それが目標だったから、構わないんだ。だが、スタッフの雇用は守らないとだろう? だから、オウカチョウだ」
「お前、この事態を予測してたのか?」
「ある程度は。だが、まだ保護センターは必要だ。本当にサバチョウが増加に転ずるかどうかは、今後次第だからな。だが、環境省から表彰してもらえば、島のみんなも誇りに思うだろう。鳥のエコアイランドとして、観光の売り込みも上々だ。おまけに、西九条の海鳥サンクチュアリも業績好調。これでオウカチョウのビオトープを作れば、鳥だらけのすんごい島になるから」

そう言って獠は軽やかに笑った。それは、いつものように自分の思い描くプランに微塵の疑念も持っていないということの現れなのだろう。その自信はいったいどこから来るのかと、秀幸は少し呆れるのだった。だが、心配性の兄・槇村秀幸は、妹のために一言を忘れない。

「・・・お前が失業して、香たちを露頭に迷わせるようなことだけは、やめてくれよ?」
「当たり前だ。俺を誰だと思ってるんだよ。家族は俺が守る」

迷いなく言い切る獠を、秀幸は信用しようと思う。
多くのことを成し遂げてきた冴羽獠という男を、槇村秀幸は知っている。思えば、約束を違えたのは、「香には手を出すな」のあの一度だけだった。今や義理の兄弟でもある二人だが、やはりこいつは兄弟というより親友と言った方がいいのだろうと秀幸は思っている。
沖縄での初めての出会いから、20年近くの月日が流れていた。あの頃、まだ中学生だった妹の伴侶にこの男がなるなどと、誰が想像がついただろうか。
だが、悪くない、そう秀幸は思った。


***

難しいお話になったからと、いつの間にか香は子供たちを連れて、場所を移していた。

海原は獠の報告をきいて目を細める。
かつて、絶滅危惧種をそうでなくしてみせると自分に宣言した息子。
そんなことが叶うとは、実は海原は考えてもみなかった。地球の刻む針は、残念ながら確実に一つの方向へ向かって進んでいる。新たに生まれる生き物よりも、滅んでいったものの方が遥かに多いだろう。森林は原始の時代からは世界全体で8割がすでに消失している。温暖化の傾向も止まらない。生命のゆりかごであるべき地球は、今や満身創痍だ。こんな状況で、野生動物の保護活動にどんな意味があるのかと、世界中にこの種の活動を広げている海原ですら思う。流れを止めるのではなく、緩和する、それしかできることがないのだろうと諦めかけてもいる。だが、息子が成し遂げたことが、海原に新たな勇気を与えるのだ。諦めるには、まだ早い、と。
そうして思う、息子はすでに自分を超えたのかもしれないと。
文字通りの、自慢の息子だ。

命の限りに生きた両親の強さが、受け継がれているのか。
あるいは、自分とは違う方法ではあるが、一つの理想に向かうその意志の強さが、それを成し遂げさせたのか。

あるいはその両方か。

二人の孫は、我らのこの理想を受け継ぐだけの器を持った存在なのだろうかーーー

ただ健やかに育てと願った海原だが、ほんの少しだけ、櫻子か薫のどちらかが、自分の後を継いでくれると嬉しいと、こっそりと思ったのだった。

感慨にふけっていた海原は、部屋に飛び込んできた香の明るい声で現実に引き戻された。

「獠、薫が!」
「どした、慌てて」と獠が答えた。
「りょぉって」

香の頬が上気している。

「しゃべったのか?」と、獠も声が上擦った。

「そう。櫻子がリョウちゃんのぬいぐるみで遊ばせてたら、言ったの。りょぉ、って」

それはまだまだ語彙の少ない長男・薫の記念すべき日になるのだろう。父親の名前ーーー実際にはサバチョウの「リョウちゃん」であるわけだが、両者は同じと言えば同じな訳でーーーそれを初めて言葉で発した日なのだから。獠はちょっぴり複雑な思いに捕われるが、よしとしよう、息子は、すくすくと成長しているのだと思った。

「オヤジもちょっと言葉を覚えさせてみるか? 薫は結構、物覚えがよさそうなんだ」

そう言って、子供たちの遊ぶ部屋に、父親を伴った。そこは、かつてまだ幼かった獠が孤独を抱えていた部屋でもあった。だが今は、幸せな夫婦とその子供たち、そして祖父の、新しい時間が始まる場所なのだろう。




まだまだ小さな男の子が、3人の大人に囲まれている。
床に敷かれたキルトマットに座ったその男の子は、「リョウちゃん」ぬいぐるみを両手で抱えて大人たちを見上げてニコリと笑った。
小さな女の子が近寄って、「かおちゃん、とりさんのおなまえは?」と男の子に語りかけてぬいぐるみを指差した。
男の子はむぎゅっとぬいぐるみを掴んで、りょーぉ? と小さな声で呟いた。
見つめる大人たちの顔に、自然に笑顔が広がった。





未来が、この子たちにとって少しでも優しい世界であればよいーーー
大人たちはそう願った。



ーーー「新宿島物語」 了







49. 輪廻 Metempsychosis

夏休みに入り、課題を片付けた香はすぐに新宿島に戻った。車を今や自宅とも思っている冴羽家につけると、赤いクーパーはまだ戻っていない。仕事なのだろう。香はサバ猫の入ったケージを持って車を降りた。どうも静かだと思ったら、サバ猫はすっかり船酔いしてしまったようで、虚ろな目で香を睨んだ。
リビングに入って、猫をケージから出してソファに座らせると、さぼりがちなノビを一つして体を丸めて眠ってしまった。

一通り部屋を検分すると、掃除は行き届いているようだとほっとした。冷蔵庫を開けると、ちゃんと自炊しているのもわかり、さらに香はほっとした。冷蔵庫の中のもので夕食が用意できるかと考えていると、車がカーポートに止まった気配がした。
香が急いで玄関に向かうと、ちょうど玄関ドアを開けて獠が姿を現したところだった。

「お帰り、香」と言って笑顔を見せる獠に、香は飛びついた。
「獠も、お帰り。早かったのね」

そう言って獠を見つめると、すぐに額に口づけが落とされた。

「香が帰ってくる日だから、頑張って仕事を終わらせてきたんだ。今日は、食事は外に行く? 疲れたろう?」
「大丈夫。冷蔵庫の中のものでなんとかできそうよ。ちゃんと自炊してたようで、感心感心」
「俺だってやればできるんだから。食事の前に、コーヒー、淹れてやろう」

獠はもう一度香の額に口づけを落とすと、腰にまわしていた腕を外して、香を見下ろした。

「また、奇麗になった?」と香の瞳に訊ねる。
「自分じゃ分かんない。なんか変わった?」
「ああ、奇麗になった。どんどん奇麗になるな」
「・・・褒め過ぎよ。コーヒーなら、私が淹れるから獠はサバちゃんの様子を見てあげて? フェリーに酔ったみたいで」

香の言葉に獠はようやく靴を脱いで、リビングに入った。見れば、サバ猫が確かにぐったりとしている。獠はソファーの猫の隣に静かに腰を下ろした。腰のあたりを優しく撫でると、猫は薄目を開いてむくっと起き上がると、やはりさぼりがちなノビを一つした。そのまま獠の股の上によっこらしょという感じでよじ上って、座り込んだ。

「香、サバちゃん、大丈夫そうだぞ。俺に寄ってくるから」
「そう?」
「本当に調子が悪い時は、人に近づかないものだから。少し疲れたんだろう。猫にとっては大旅行だから」

話しながらもゆっくり背を撫でてやると、やがて体を丸めて気持ち良さそうに目を閉じている。
食事の支度を始めた香に、獠はソファから声をかける。

「例のオウカチョウの見学だけど、西九条鳥類研究所の船にこちらに来てもらうことにした。ちょっと長い船旅になるが、大丈夫?」
「長いって?」
「問題の島まで丸二日ってとこかな」
「二日! それは大変ね。じゃぁ往復で4-5日ってこと?」
「そ、何しろ公海上の島なんだから」
「にゃんちゃんはどうしよう?」
「いつものペットホテルに預けるしかないな」
「あそこに預けると、必ず下痢するんだよね」
「可哀想だが、仕方ない。連れて行くわけにはいかないんだから」
「そうね」

香はそう言って、手を止めて獠の隣に座って猫を撫でた。サバ猫はこの家に来てから、ずっとそこが自分の住処であったように、二人によく懐いていた。ただ、二人ともが留守をするときには、決まってひどく不機嫌になるというように、喜怒哀楽が比較的はっきりとしている猫なのだった。東京の暮らしにもこの猫はすぐに慣れたが、槇村秀幸にはなかなか懐けないようで、香のナイトよろしく近付くものは容赦しないと警戒を怠らないのだ。猫にはきょうだいという概念はなかなか分からないらしい。

獠は隣に座った香の肩を抱き寄せて、そして口付けた。最初は軽く触れるように、そして啄むように、そしてやがて深く舌を絡め合う。次第に体が密着して、自然にサバ猫が押しつぶされる。ぬぎゅとかふぎゅとかいうおかしな声を出して、サバ猫は獠の膝上から飛び降りた。そのまましっぽを降って、部屋の片隅にある桐の爪研ぎ板でカリカリと前足の爪を研いだ。それにもすぐに飽きて、今度は部屋を出て2階へあがっていく。この家の第二のお気に入りの場所である、ベッドに向かうのであろう。

夢中で口付けていた二人は、猫の動きは分からない。ようやく離れた唇から薄く糸が引いて、香は恥ずかしそうに俯いた。

「おかえり」
「ただいま」

あらためてそう言葉を交わして、しばらく見つめ合った。獠はむくむくと欲望が擡げるが、帰ってそうそうではあまりだろうと一応自制する。せめて食事を終えて風呂も使って、それからベッドでおしゃべりをして、香の学業の様子を聞くのだ。余計なムシがついていないかもそれとなく確認する。獠はどうもロマンティックな雰囲気を作ってことに持ち込むというのが、自分の性にまったく合っていないし、そもそも香に対してはそういうことができないのだと自覚していた。日常の延長、そういうごく普通の時間の流れの中で香と愛を交わし合いたい、そう強く思うようになっている。
香は香で、いまだこういう時には獠に見つめられるとドキドキして、顔が火照るのがわかる。けして外見に惹かれたはずではないはずなのに、見つめられ、囁かれるととにかくドキドキするのだった。

***

翌週、二人は御園港に着岸している西九条鳥類研究所の調査船に乗船した。ファルコン号よりも一回り小さいが、やはり高速艇で個室も完備されていて、長旅でもそれなりに快適なようだ。
竹島からこの船でこの島にやってきていた麻上亜紀子は、港で待機していた二人を見て、左手を顎にあてて少し思案して、船室の変更をとクルーに指示を出している。

「お部屋は一つずつがよろしいかと思いましたが、ツインの大きめの部屋が開いていますのでそちらにお二人はご変更を」

そう、キリリとした声で申し渡した。この日は亜紀子は、作業着に作業ズボンで首からは双眼鏡を下げている。やはり彼女も間違いなくフィールドワーカーなのかと獠は思った。
部屋が香と同室とはありがたい、と獠は思う。調査地に向かう船の中まででも日常をと思うわけではないが、やはり同室のほうが楽しいのは確かなのだ。

「部屋割り変更、ありがとう」

船室に荷物を収めてから、獠は亜紀子のもとに戻りそう話しかけた。

「いえ。それならば最初から言ってくだされば良かったのに、サバトピアのスタッフだなんておっしゃって」
「なぜわかった?」
「そんなの・・・すぐに分かりますわ。それよりも、お話がございます。よろしくて?」
「オウカチョウのこと?」

亜紀子は頷いた。

デッキに置かれたテーブルセットの一つに亜紀子は腰掛けた。船はすでに御園港を出発し、南へと航路を向けている。夏の日差しが燦々と降り注いでいる。島ではほとんど風を感じなかったが、海上はやはり海風が南から強く吹いていた。もしかしたら、予定よりも航行に時間がかかるかもしれない。

獠も亜紀子の向かいに腰を降ろした。

「話とは?」
「まだ現物を見ていただいていないのですが、論文の方は読んでいただけたんですわよね?」
「もちろんだ」
「それで冴羽さんは、現場を見たいとお思いになった」

獠は頷いた。

「なぜ? とお聞きしても?」
「それは奇妙な質問だ。研究者なら誰でも興味を持つだろう。それに偶然、俺は君を知っていたから・・・そう言う意味では、頼み事ばかりですまない。・・・麗香は元気にやっているだろうか?」
「それはもちろん。保全研究室で、今は標識の勉強をしていただいてます。なにやらロマンスもさっそくあったようで」

そう言って亜紀子はクスリと笑った。

「ロマンス?」
「いえ、研究交流でエディンバラから研究者が来てるのですが、その方が麗香さんにゾッコンで・・・麗香さんもまんざらでもないようですが・・・うちとしては、せっかく採用した方をイギリスに連れて行かれては困ってしまうのですが・・・そんなことよりも、オウカチョウですわ」
「そうだったな。横道に逸れてすまない」
「・・・ただの好奇心以上のものを、お持ちではないのかと想像したものですから」
「強いてあげるなら、オウカチョウがサバチョウと同じシテハニア属の鳥だからだ。実はかなり以前になるが、おたくの研究所で剥製を見たんだ。実は、飛ぶ鳥ではないかと、俺も印象をもっていた。だからかな」

亜紀子は頷いた。

「冴羽さん、オウカチョウは今、人のいない島で繁殖しています。目立った天敵がいないので、比較的数は増えているのではないかと想像しています。これは今後の調査していかないと、確たることは言えないのですが。それとは別に、人工繁殖を検討しています。この鳥は、天然記念物の指定を受ける前に絶滅しましたし、今も公式データ上絶滅したという情報は書き換えられていません。おまけに公海上の島での発見ということで、今後、研究対象としてどう取り組んでいくか、いろいろと難しいのです」
「それはわかるが、繁殖させるといっっても、どこで?」

そうすると亜紀子は伺うように獠を見た。

「サバチョウ保護センターには、サバチョウの繁殖と飼育のノウハウが確立されておりますわね?」
「・・・もちろんだが、うちでか? うちがやれと??」
「シテハニア属にもっとも通じているのは、あなたですから。名目は立つかと」
「それはそうだろうが・・・うちにその余力があるだろうか」
「採卵はうちでします。その卵をぜひ孵していただきたいのです。飼育までできれば、いろいろなことが解明できます」

獠は腕を組んで考え始めた。自分の一存でなんとかなる話でもない。だがーーー

「時間がかかるぞ?」
「もとより承知の上」
「わかった。所長に相談してみよう。もともと、保護センターをクイナ科の展示施設として拡充することを考えていたんだ。オウカチョウをうちで飼育できれば、それなりに、というか、かなりの意味がある」

だが、と獠は気になって続けた。

「おたくはいいのか? 繁殖はそれなりの研究成果になるぞ?」
「私たちのチームは、オウカチョウがどうやって島を渡って生き延びたかの解明したいと思っています。そもそも、別の遺伝系統の可能性もあるわけで、研究テーマはたくさんあります。未来はそのあとで」
「うちと協力しようってことか」
「その通りです。それと・・・こちらの資料をご覧になっておいてください」

そう言って獠の前にA4の書類ケースを滑らせた。

「これで私は失礼しますわ」と亜紀子は立ち上がった。見ると、香が少し離れたところで、手摺に身体を預けて海を眺めている。この日は白のホットパンツに臍が見えそうなレモインローのカットソーで思い切り肌を露出している。調査船に乗るのに、こんな格好じゃと香は困った顔をしたが、船の中で作業するでなし、思う存分美脚を晒しておけばいいのだと獠がきかなかったのだ。獠自身も美脚をずっと見ていたい。せっかくのスタイルのよさを、作業着のような色気もそっけもないもので隠してはなるまい、と獠は思っている。香独りなのであれば、そんなに肌を出すなと言うところなのだが、衆目のあるところでは逆に獠は香を自慢したくて仕方ないという、まるで子供のような部分があるのだった。

麻上亜紀子は香の脇を通り過ぎる時に、ちらりとその全身に目をやった。ぷいと顔を逸らしたように見えたのは、場にそぐわない格好と侮ったか、意外と若さへの嫉妬なのかもしれない。きっと後者だと獠は確信をもつ。麻上亜紀子も、女を自分にぶつけてきた一人だ。俺ってモテて困るなと、獠は少し思うが、その俺を虜にして止まない目の前の香こそやはり最高の女なのだろうと、よくわからない自己肯定感に浸っていた。それにしても、つくづくいい女だ。
獠は香をみつめながら、こんな風にひどい優越感にも浸っている。
いろいろと、いや、きっとそのほとんどが獠の勝手な思い込みなのだが、こんな時間さえなにか幸せなのだった。

香が風に逆巻く髪を押さえて獠を振り向いた。

「お仕事の話、終わったの?」
「ああ」
「あの人、いつかの人ね」
「いつかって?」
「・・・青山の・・・獠がすごくドレスアップしてた日のお食事の相手でしょう?」
「そんな昔のこと、よく覚えてるな。麻上亜紀子さんていう、遣り手だ」
「また出た。獠の”遣り手”」

そう言って香はふふっと笑って続けた。

「やっぱりとても綺麗な人・・・大人の女性ね」
「お前のほうが全然魅力的だ」
「・・・時々、獠ってすんごい恥ずかしいこというよね?」
「そっかぁ。こんな大自然にいてさ、嘘吐いても仕方ないじゃないか」

大海原を見ながらそう言う自分が、獠はおかしくてしかたがない。かつてはずいぶんと自分に嘘を吐いてきたじゃないか。癒してくれるのは、海を泳ぐイルカの群れであったり、時にクジラの潮吹きであったり、空を自由に飛ぶ海鳥だっただろう? だが、人に対しては心を開けずにきた。もうあんな自分には戻りたくない、獠はそう思う。

「もしかしたらさ、オウカチョウを育てることになるかもしれない」
「育てる? そんなことできるの?」
「難しいから挑戦する。・・・俺、これからちょっと部屋で資料を読んでるから。お前はどうする?」
「もう少し海を眺めてる」
「そっか。夏でも海風は身体を冷やすから、適度なところで引き上げてこいよ?」
「だからこんな格好嫌だっていったのに」

そう言って、香は困った顔をした。

「なに? 寒いの?」
「・・・ちょっと」

確かに露出した肌には寒かろう。獠は羽織っていた薄手の上着を脱いで、ふわりと香の肩にかけた。

船室に戻ると、獠は亜紀子に渡された資料を静かに繰った。公的な資料ではないようで、誰かの日記のようであるようだった。手書きの達筆のそれは獠には読み解くのは簡単ではなかったが、なんとか読み進めた。

しばらく読み進めて、ああ、そうだったのかと獠はすべてのピースが嵌った気がしていた。
オウカチョウの種の同定が行なわれたのは、1940年代のことだった。戦中の混乱期になぜこのような作業が可能だったのかは不明だが、西九条家の鳥への並々ならぬ執念が、一人の研究者を南の小島に渡らせ、この桜色の美しい鳥を固有種として同定した。その研究者は当時、西九条家の慣例の通りこの鳥を一羽持ち帰り、まるで生きたままであるかのような美しい剥製にした。

そして、この剥製に見入られた人物がいたーーー小早川某。

旧華族の家同士のつながりであったのだろう。のちにライバル関係になって一方が没落したが、親睦を結んでいた時期もあったのだろう。
西九条家と並んで小早川家の名が出てきて、獠は深呼吸した。獠は今はこの苗字が自分に連なるものであることは承知していた。教授からも古い話を聞いたのだった。そして、種の同定を行なったのは、冴羽某とある。年代的には自分の祖父か曾祖父か。
ーーーこんなにも絡み合っているのか。

獠は目を閉じて船室の天井をを仰いだ。

自分の生みの親である櫻子の名前は、まさにこの鳥の名からとられたのだ。
桜香鳥、漢字ではこうあてている。人名に移す時に、より格を重んじたのかそれこそ字画の問題か時代的な傾向か、それはよくはわからないが櫻の名は間違いなくこの鳥に名に由来しているーーー
同じように儚く命を散らすとは知らず、櫻の両親は、この名を娘に与えたのか。
獠は想像を廻らした。シテハニア属のたった2種類の鳥を廻って、自分と香が出会う運命がもともと定められたような気がしはじめていた。
オウカチョウの繁殖に、なんとしても取り組もう。そして成功させるのだ。獠はそう決意した。

香が船室に戻って来たので、獠はそっと引き寄せて耳元に口を寄せた。

「香、オウカチョウはお前の鳥だった・・・」
「どういうこと?」
「・・・そういうことなんだ」

獠はまた過去に触れたのだろうと、香は思う。その背に、優しく腕をまわした。
大丈夫。私はここにいるーーー

***

2日後、調査船は大洋に浮かぶ小島に到着した。人が一度も住むことなく、国際社会からも興味を持たれることなく放置されたままのこの火山の島は、噴火形成から80年の月日を経て、美しい緑の島になっていた。小なりとも川も形成されているようで、河口付近に白砂の砂浜も広がっている。自然の力は偉大だ。人が何もせずとも、いや、しないからこそ、火山岩の裸の島がこうやって緑の島に生まれ変わり、そして命を育む。
獠は舳先からじっと島を凝視した。今回は上陸予定はない。なぜなら、これまで手つかずにきた島に人が入れば、着衣が運んだ植物の種や、なんらかの微生物を移入してしまうことになりかねないからだ。上陸にはそれなりの準備が必要なのだ。船が島を一周するために船首を変えたところで、バサリ、と音を立てて東側のほうで鳥が飛び立った。

香がその音に、あ、と声をあげて指差した。

その指先に、青空に薄ピンクを輝かせ、3羽の鳥が森の上を旋回しているのが見えた。

亜紀子が獠の脇に立ち、資料はよく読まれまして? と問いかけた。獠はうすく頷き返す。

「あの鳥を同定したのは、爺さんなんだな」
「そう。あなたのお爺さまです。剥製になさったのは、詳しくは記録が残っていませんが、ひいお爺様でしょう。研究所の所有する多くの剥製が、あなたのひいお爺様の手によるものですから」

答えない獠に亜紀子は続ける。

「膨大な日記を読み解いて参りますと、オウカチョウが飛ぶことができるのは、同定の時に分かっていたようです」
「それがなぜ飛べないと?」
「当時、棲息数の激減がすでに始まっていて、目撃例がすでに一般の方に少なかったのです。今偶然飛び立ちましたが、実際には、よく歩くことは事実のようです。それで、あなたのお爺さまは、オウカチョウを救う手だてとして、飛べないと嘘の記述を残した・・・」
「研究者としては失格だな」

獠の即答に亜紀子はちらりと目をやった。

「戦中の混乱期です。保護活動なども行えるわけでなく、どこへなりと飛んで新しい住処をみつけろ、そう願われたのかもしれません」
「よく辿り着いたな・・・」
「渡りの距離としては、短い方です。ですが、この鳥はここで地道に繁殖をし、そしてもとの島には戻らずにこの島に留まることを選んだ。環境的にはよかったのかもしれませんわ」
「それをおたくが解明する?」
「可能ならば。過去の復元は私のスタイルではありませんが、渡り鳥が留鳥となる条件というのは、必ず合理的に説明できるのです。ですから、この島をしばらくモニタリングします」
「さすが渡り鳥の専門家だ」
「というよりも、沙羅様の言葉を信じました」
「そうか・・・」

獠は飛翔するオウカチョウを眺める。思った通り青空が似合う鳥だと思った。同じシテハニア属のサバチョウも、本当はかつてはこうやって大空を飛んだのかもしれない。対になる鳥が絶滅してしまったと信じ込み、飛ぶことを諦めたのかーーー科学者としてはまったくあり得ない空想に苦笑しながら、もしかしたら過去にそんな伝承があるのではないかとちらりと思った。何しろこのオウカチョウは飛ぶことができるのだ。かつて新宿島にいて、サバチョウと身を寄せ合っていたって面白いじゃないかと、バカな空想をした。
あとで香に話してみよう、香ならきっとバカにせずにそんな話も聞いてくれることだろう。


***


夏は瞬く間に過ぎて、再び秋が訪れた。
博物館の設立構想委員会の進展も順調で、来年度中に縄文遺跡の保全計画をもとに、博物館の青写真を完成させるという合意まで進んでいる。銀山史跡については、絵図面から推定される比較的大きな坑道の位置が同定され、ここを起点に見学場所として整備できるかの検討が始まっている。
ここまでくると実動部隊となる準備チームが必要となり、国立歴史民俗学博物館内に新宿島分館プロジェクトチームが発足することになっていた。ここに、関係する大学からスタッフが送り込まれということで、香もこのメンバーに新宿島職員(S大国内留学中)として名を連ねている。先々の所属はどこになるかは決まっていないが、いよいよ香もこのプロジェクトでの活動が期待されている。もっとも、すでにその前年から香は銀山の史料編纂に着手しているので、初めてこのプロジェクトに関わるといっても気後れする必要はまったくなかった。プロジェクトチームのアドバイザーに自分の指導教官が名を連ねていることも心強く、また、こういう事態に備えて、獠が側面から環境を整えるために力を尽くしてくれたことが分からない香でもない。こうして、香の学生生活は忙しく過ぎていき、あっという間に冬の声が聞こえ、槇村家と野上家の婚礼の儀が、椿山荘で執り行なわれた。

獠はこの祝宴で、自分が香の席の隣でないことにブツクサと宴の主役である片割れに文句を言うことを忘れない。
当然、香の隣だと思って喜んで目白くんだりまでやってきたというのに、よりによって一番遠い席に獠の席は用意されており、これは槇村の嫌がらせに違いないとブツブツと一日中煩かったとかなんとか。
香はこの日は振り袖を着せられて、付き合いの薄い親族に囲まれて気まずそうにしていた。そんなところからは俺が救い出してやると獠は思うが、官僚同士の結婚式ということで万事堅苦しく過ぎていき、香に近付くチャンスがないのを歯嚙みした。本当はもっと地味にやりたかったものを、娘の晴れ姿を華々しくと願う野上家当主との駆け引きで、「椿山荘でこじんまり」という路線で落ち着いたのだとかいう話を思いだしながら、どこがこじんまりなんだよと獠は悪態をつくことを忘れず、祝宴に似合わないどす黒い空気をまとっていたのだった。

秀幸はこういう時ですら一切動じない様子で、淡々としている。肝が座っているのだかなんだか分からないが、とにかくよくわからん男だと獠は思った。冴子もいつもの通り冷静沈着ぶりだが、時折、隣の秀幸を見つめて少し涙ぐむのが、獠には新鮮だ。あいつも女だったか、と初めて会った時の女豹ぶりを思いだす。だが、純白のウエディングドレスに身を包んだ冴子は、誰の目にも美しく、獠は自分もいつの日にか香にこんなドレスを着せるのだと、そう決意した。

宴がはける段階で、獠はようやく香を捕まえられた。黒を基調として、右から左に流れるように桜の花びらを散らした振り袖はは、ひどく香に似合っていた。銀糸が多めの袋帯を京重ねで高めに結んだその姿は、いっそ香の長身と凛々しさを引き立てている。うまくバランスよく着付けた人に感謝だなと獠は眼福眼福と心で呟いた。
冬だから桜はあまりよくないそうだけれど、華やかな花だからいいでしょうって・・・そう言ってはにかむ香と会うのは、実はやはり2ヶ月ぶりなのだった。このまま香をアパートに連れ帰って、この帯を解いてやるのは自分の役割だと、獠は信じて疑わない。

「獠!」

そう呼ばれて振り向くと、やはり振り袖姿の麗香だった。

「久しぶりだな」と獠は返事をした。さりげなく、香の腰に腕をまわして少しだけ自分に引き寄せた。麗香のためでなく、香のために。香が以前、麗香を少し敵視していたのを獠は知っているのだ。

「お久しぶり。香さんも」

そう言って視線を二人に。香と麗香は親戚同士になったわけだが、それほど付き合いはないらしい、と獠は思う。

「元気にやってるそうだな。麻上君から聞いた」

麗香は頷いて、やりがいを見つけたから、ありがとうと獠に挨拶をして、香に会釈を送って立ち去っていった。以前の刺々しい感じはまったくなく、麗香は麗香の道を見つけたのだろうと獠は少しホッとしていた。

秀幸と冴子は仕事熱心なのか、翌日一日を休みにしただけですぐに仕事に戻るのだという。新婚旅行はいいのかと獠が問いかけると、冴子をチラリとみて、旅行より仕事がいいそうなんだと少し残念そうに零した。

「もっとも、それでこそ冴子なんだがな」

そう言う秀幸に、お前ら、お似合いだよと獠は最後は心からの祝福の言葉を贈ったのだった。

その夜、獠は冴羽アパートでワクワクしながら香の帰りを待っていた。着物の帯を解くなんてのは、アメリカでも当たり前だが経験しようがなく、実際にそれを見たことがあるわけではないのに、獠は妙に興奮していた。着物の構造がどうなっているのかは知らないが、一枚ずつ剥がしていくと、やがて顕われる柔肌ーーーたまらん、と獠は思う。

香は少し寄るところがあるからと、椿山荘で別れた。

玄関の鍵がかちりとあく音がして、ドアが開いた。ソファで微睡んでいたサバ猫がぴくりと身体を起こして、ノビをして床に飛び降りた。玄関に向かっていくようだ。獠は猫などに負けてなるものかと、急いで玄関に向かった。そこに立っていたのは、クリームイエローのワンピース姿の香だった。

「へ? なんで??」
「ただいま。なんでって、何が?」
「だって、振り袖・・・」
「あれはレンタルなの。返してきたから」
「しょなの?」

夢は儚くも崩れさった。
なんとも情けない顔の獠の横を、香はするりとすり抜けて、ソファに珍しく乱暴に寝転んだ。上品なワンピースの裾がずり上がって、際どいところまで見えそうになっている。獠は気をとり直して、それはそれで美味しいと思い、ソファの横で床に膝をついた。

「疲れたの?」
「疲れた。親族紹介とか、長くて。どれもこれも、大変だった」
「そっか」
「アニキはね、もっとアットホームにしたかったらしんだけど、いろいろ難しくて。冴子さんもずいぶんお父さんに抵抗したみたいなんだけど、最後はアニキが取りなしたの。それで余計に、あちらのご両親にはアニキは気に入られてる」
「世渡り上手な官僚の典型だな」
「そうかも・・・ね」
「それで? お疲れモードの香は、こんな無防備な格好で俺を誘ってくれちゃってるようなんだけど、それで間違いない?」

そう言いながら、膝頭をそわりと撫でた。
香は無言で獠を見つめる。

「ここじゃ、いや・・・ベッドに連れてって。でも、本当にクタクタなの。途中で寝ちゃうかも」

獠は膝裏に右腕を差し込んで、器用に抱き上げた。

「仰せのままに、お姫様。良い夢が見られるよう、俺が添い寝してやろう」

そう、ニヤリと笑った。

***

この年の年末年始は獠と香は新宿のアパートで過ごし、新年の挨拶に、二人で槇村家を訪れることにしていた。
香は自分の部屋はもう無くしてもらって構わないと兄に話していたのだが、帰る実家がなくては不憫だからと今も一応、部屋は残されている。冴子さんに申し訳ないと香はずいんぶんと言ったのだが、嫌ならマンション暮らしでもと提案したのに、冴子がここに住むと決めたのだから、それでいいのだと言われていた。

確かに、槇村家は十分に広く、多少古くはなってきているものの、しっかりとした建物で、空き家にするにはもったいないのは事実なのだった。

一月二日に年始の挨拶にと、新婚家庭を訪れた。
だが、新婚の甘い雰囲気には程遠く、キリリとした冴子に獠は苦笑する。だが、こんな女がプライベートで見せる顔というのも、また興味が無いわけでもない。だが、人妻の裏側を想像してどうすると、獠はいったん起こった好奇心をかき消した。

簡単に挨拶をして槇村家を辞去した獠と香を見送って、冴子は言った。

「あの二人、もう夫婦みたいね」
「獠のやつ、いったい何を考えているんだか」
「大丈夫じゃない? 以前と全然雰囲気が違うわ」
「冴子もそう思うか」
「別人とまでは言わないけれど、何か・・・そうね、人らしくなった」
「えらい評価だな」と秀幸は苦笑した。
「事実よ。香さんもすっかり落ち着いているし、なんの心配もいらないと思う」
「そう、だな」

香はそのまま新宿に残り、2月初旬に島に戻った。そしていつものように春休みは獠と過ごす。実は二人で過ごす2度目の晩冬だった。
寒さがあっという間に緩んで迎えた春、香の24歳の誕生日は、獠が仕事の予定を合わせて上京し、コンラッド東京のベイビュースイートで過ごすことにしていた。そんな贅沢と香は口先を尖らせたが、ロクにデートもできない埋め合わせだからと獠は笑った。

お互いの誕生日プレゼントは、二人で銀座をブラブラして時計屋を覗き、ペアウォッチを選んだ。学生さんは無駄遣い厳禁だと言って二つとも獠が買うというのを、香がそれじゃぁ私からのプレゼントにならないと、店の中でちょっとした痴話喧嘩に発展しかけて、お店の方にコホンと咳をされたりもした。

香と腕を絡めて街を歩いて、初めて恋人らしいことをしてやれたと、そう獠は思った。
あと一年、そしてとても大切な一年を楽しんで、そして頑張って欲しいと獠は願っている。




ーーー第五十話 「櫻子 未来への花」(最終話) へ続く 

*CommentList

48. 藍玉 Something Blue

年が明けて瞬く間に時間が過ぎていく。そんな日々の中で、東京に戻るために、香はため息をつきながら荷造りをしていた。どうしても寂しいという思いを、拭いきれないのだ。それに、獠が本当に一人で大丈夫なのか、香は心配でもあった。旺盛な性欲は健在で、自分がいなくて大丈夫なのか、男性の生理に詳しくない香にはよくわからないのだった。もうすぐ、初めて抱かれてから1年になる。お互いの肌の温もりに慣れ、身体の奥の奥まで知りつくした今、香自身も獠と離れて暮らすことに自信がない。

ため息の多くなった香を、獠はいつも優しく抱きしめる。初めての恋で、深い間柄になって、離れがたいのは獠も同じだ。だが、今はこうするしかない。

23歳の香の誕生日を、二人は自宅で迎えた。入学式が近いので、香は二日後には島を離れることになっていた。
獠は誕生日プレゼントにと、この年もペンダントを選んだ。いわゆるペアペンダントで、二つを組み合わせると、十字架になる。香が身につける方に、獠は「獠より愛を込めて」と英語で文字を刻んでいた。
夜はいつものように抱き合った。普段、比較的消極的な香が、この日は自分から乗り上げるように獠と一つになった。

「・っ・・かおりっ・・・どしたっ?」

獠は射精感をやり過ごしながら香に問いかける。身体の相性が良すぎるのか、獠は香に包まれるただけで一瞬腰の辺りがムズムズして一気に放出しそうになるのを押さえるのが、いつもの常だった。自分のタイミングでなく香から繋がってきたことで、余計に快感が高まっていた。香は目を閉じたまま、そのまま獠の胸に倒れ込んだ。

「どうも・・・しない」
「今日、やけに積極的じゃないか」

激しく、いっそ激しく抱いて欲しいと香は思っている。身体が獠を忘れてしまわないように、刻み付けて欲しい。獠も私を忘れないでと、そう思って身体を動かした。
日付を超えても二人はお互いを求め合った。何度交わっても、けして本当の意味では一つにはなれない。だけれど、身体が離れてしまっても、きっと心は一つなのだと、二人ともがそう願った。

***

香の旅立ちの日、香の車にサバ猫を積み込んで、獠はこの日はここで香を見送ることにしていた。これは別れではない。時々は香は島に帰ってくるーーー今や、彼女の居場所は東京ではなく新宿島だと獠は思っている。自分が仕事で都内に出る時も、会うことができるだろう。

運転席に乗り込んで、香は窓を開けて獠を見上げた。

「獠、行ってきます」
「あぁ、新宿のアパートのこと、頼んだ。時々、覗いてやってくれ」
「分かってる。獠も、ちゃんとご飯を食べて、身体に気をつけて」

そう言って涙ぐみそうになっている香に、獠は語りかける。

「たった2年だ。たいした時間じゃない。たまには会えるわけだし」

香は小さく頷いた。

「だがまあ、おまえに御守りと虫除けを渡しておく」

そう言ってポケットから薄いブルーのリボンのかけられた小さな白い箱を取り出して、香に手渡した。

「開けてみな?」

香は獠の言葉に、リボンを解いて箱をあけた。そこに収められているのは、リボンよりさらに薄いブルーのベルベットの小さな箱ーーージュエリーケースだ。香はそれを手に取って、ゆっくりと開けた。香は驚いた目をして固まっている。獠は手を伸ばして、そこから指輪を摘まみ上げた。

「左手、出して?」

言葉が出ないまま香は左手を窓の外に差し出した。獠はその手をとって、ゆっくりと薬指に指輪を滑り込ませて、そのまましばらく、香の手を握ったままでいた。獠は実は年が明けてすぐに、この指輪を注文していた。3連の小振りなダイヤに両脇にアクアマリンをあしらったプラチナリングだ。普段使いできるギリギリで、だが香の白い手を引き立たせる華やぎのあるものを贈りたいと考えて、獠はデザインを選んだのだった。

「婚約指輪のつもりだ。一応、給料三ヶ月分とかいう日本的誠意はクリアしたから」

そう獠は照れ臭そうに笑った。

「それと、もう、槇村には話してある。許しはもらってあるから。香は?」

その、あまりにそっけない言い方に、香はぷっと吹き出した。張りつめていた気持ちも、離れるのが寂しいと泣き叫んでいた心も、一気に暖かくなった。だけれど、これじゃぁあんまりだと香は思う。プロポーズってもっと神聖な儀式じゃないの? とチラリと思う。だから獠を見上げて零した。

「獠、・・・もっとちゃんと言ってほしいよ」

いつもの困ったときや心配なときとはちょっと違う、ハの字に眉を下げた香の前髪を左手でくしゃりとまぜた。そして内心思っている。ちゃんとってなんだ? 香さん、俺と結婚してくださいって花束差し出して言うんか?? そんな恥ずかしいことは、絶対にできそうにない。だがそれに、これはまだ本当のプロポーズじゃないんだ。この指輪は、二人の絆だ。モノに託したりしたくはないが、今は、これがほんのよすがにでもなればいい。だから言った。

「それはまた今度な。今感動させて、お前が弱くなったら嫌だから。だからちゃんと学位とって、またこの島に戻ってこい。いいな? それと、控えめな願いだが・・・」

そう言って香の手を離すと、浮気、すんなよな? おまえは変なとこでやさしいからと続けた。

「それはそのまんま獠に返す。優しいのは獠だから仕方ない。でも、あまり女の人に優しくしないで。浮気なんかしたら、絶対に許さないんだから」
「大丈夫だ。こっぱずかしい告白をするが、俺、お前と出会ってからずっと 、お前だけだ。他の女を抱いたことはない」

これだけ言えるなら、真面目なプロポーズなどわけがないと思うのだが、どうやら何かが違うらしい。

「・・・出会ってからって?」と香が小首を傾げた。
「風呂場の遭遇は別にして、あの、最初の正月から」

少しだけウソをついた。そして、「その好きな人を幸せにしてあげて」とかつて自分に言ってくれたあけみの気づかいに、あらためて感謝した。ズルズルと関係を続けていたら、香にまともに向き合うことなど、絶対にできなかったことだろう。
それに、あの児童公園でマフラーを巻かれた日から、香への思いは明確に自分の中にあった。きっとあれが自分が香に恋をしたはじめなのだから、それでいい。

「・・・行ってくるね」と香は窓をしめて、車を発進させた。嘘でも嬉しい。あんなぼんやりと憧れていただけの頃から、もしかしたら獠が自分を想ってくれていたのならーーー信頼しよう、香はそう思う。
走り去っていく香の青い車を見送って、獠も自分の車に乗り込んだ。

ーーー仕事が、待っている。

4月1日から二人の研究員が保護センターに着任している。獠はこの二人に期待をかけていた。大切に育てて、サバトピアの推進力になって欲しいと願っているのだ。今月中には史跡と遺跡の調査も本格的に始まることになっていた。サバトピア会合も6回目を迎えている。少しだけまた前進が見られ、農業委員会が農協に有機農業への転換を提案するようになっていた。会合を通じて、新宿島がより活性化していく方向は、サバトピアの実現にあるのだという意思統一がいよいよなされつつあった。

獠は市民講座を相変わらず担当し、農協での勉強会も月に1回のペースで行なっている。水田の苗を倒すサバチョウが、実は害鳥と呼ばれていることも知っていると獠は話し、その上で、鳥が水田にいることで、生態系がより豊かになることを理解して欲しいと話した。
豊かな生態系が結局は豊かな実りをもたらす。健全な水田生態系が保たれていればヤゴが育ち、トンボが飛びまわる光景が生まれる。そのトンボは害虫を食べ、植物の病気も減らすことができるだろう。魚道があればそれを通ってナマズやコイが水田に産卵のために訪れる。水田は稚魚が安心して暮らせるゆりかごであると同時に、その稚魚を餌とする高次消費者・・・つまりサバチョウの餌場でもある。サバチョウが落とす糞が土に戻り土壌の栄養となる。どの要素がかけても、生態系は死んでしまうのだーーーそう説明した。

勉強会の参加者にはなるべく忌憚のない意見を獠は求めて、よくその声を聞いた。そのうちに、昔の水田にはタウナギがよくいたものだが、最近はめっきり見なくなったとか、そのせいで害虫が減らないので農薬を使うようになったのだとか、農薬を使うからタウナギが減ったのであれば、やはり減農薬はいい点があるのではないのかとか、農家の側から自然と循環農業や有機農業に対する関心と興味が育ち始めたのだった。もう一息だと、獠は思う。辛抱強く対話していくしかないのだ。

獠と香は、メールで時々近況を報告し合った。香は順調に大学院生活をスタートさせ、浦見研究室で学んでいる。
夏休みには新宿島に戻ってくるということだったが、その前に一度、獠が仕事で上京した時に二人は新宿のアパートで会った。2ヶ月ぶりの再会に、言葉を交わすのももどかしく二人は激しく交わった。お互いに飢えているのは同じなのだ。満足いくまで抱き合って、それで獠は香を腕に抱き込んで、右手で髪を梳きながら尋ねた。いつものことだが、甘美なピロートークとはまるで程遠いのだが、こういう時こそうちとけて話せると、二人は感じている。堅苦しい話をしていても、身体が冷めるということもなく、そのまま第二ラウンドに進むことも珍しくないのだ。香はうまく獠に教育されていると言っていい。もしも違う恋を知っていたら、きっとなんて無粋な人だと獠に呆れたことだろう。

「大学はどうだ?」
「なにも問題ないよ。理系の科目が難しいかもだけど・・・統計学とかね、初めてだからちょっと苦戦」
「そういうのも勉強してるのか。いいね。今後が楽しみだ」
「あのね、獠。婚約指輪を贈ってくれたってことは、私たち結婚するんだよね?」
「そうだよ?」
「・・・いつ?」
「それはまだ。香はまず修士をとることを頑張れ」
「アニキが、許した覚えはないってちょっと怒ってた」
「何だよアイツ、あっちが俺に迫って来たのに忘れてるのか・・・」
「そういう意味じゃないとかなんとかブツブツ言ってたんだけど、私が幸せならそれでいいと、最後は言ってくれて」
「そうか」
「それで、アニキも冴子さんと年内には結婚するんですって。だから、私、こっちに移ろうと思うの」
「ここに住むってこと?」
「だって新婚さんの家に住むわけにいかないでしょう?」
「それはそうだな。槇村はなんと?」
「別に家にいて構わない、なんて無茶を言うの。冴子さんのこと、ちゃんと考えてあげてないでしょう? って思わず言っちゃった」
「あいつらしいな。・・・ここは好きに使ったらいいさ。一人暮らしが寂しくなければな」
「一人じゃ・・・ないから大丈夫。ここにいれば、獠がいつも側にいてくれる気がするから」
「それじゃまるで幽霊みたいだな」

そう言って獠は笑った。

「ところで香、今度、オウカチョウを見に行かないか?」
「去年話してた、あの鳥?」
「そう、西九条鳥類研究所にかけあって、繁殖地を案内してもらえることになった。香も一緒にどうだ?」
「行く! 絶対に」

自分の名が入った鳥に、香も興味がもちろんあった。

「では、香が島に帰っている間に行けるように話しておこう」
「楽しみにしてる」

獠は身体をずらして香の腰のくびれに指先で触れ、すっとなぞった。無駄のないラインが獠を虜にし、触れられる香はその感覚に飲み込まれる。獠は深く口づけて香の口内を犯した。もう、十分抱き合ったはずだが、まだ、足りないーーー獠はそう思った。

***

梅雨の最中に新宿島の獠のもとに槇村秀幸と野上冴子の挙式披露宴の招待状が届いていた。
香から聞いてはいたが、やはり本当だったのかと獠は返信はがきの出席に丸をして、投函した。美女をモノにするとは羨ましいことだと、通信欄にメッセージを添えた。
そのまま秀幸に電話をした。

「招待状、ありがとう。出席で出しといたから」

12月初旬の予定などさっぱりわからないが、サバトピアに尽力してくれた人物のめでたい席には、何が何でも行かなければならないだろう。

「わざわざそれを?」と秀幸が返す。
「いや、香のことなんだが、お前が冴子と一緒になるから、俺の新宿のアパートに棲むと言ってるんだ。だから、好きにさせてやって欲しい。いつから棲み始めてもいいと、俺からは言ってあるから」
「・・・香から聞いている。・・・獠、お前、婚約指輪を香に贈ったんだろう? 中途半端にするなよ。いったいこれからどうするつもりだ」
「どうもこうもない。ちゃんと考えてるから」
「だいたい俺はまったく聞いてないぞ」
「なんでそうなるかな。約束を履行したまでのことだろう?」
「・・・・」
「槇村、香はまだ若い。焦りたくないんだ。だが、ちゃんと考えてるから。香にも今は大学院で頑張るのが先決だと話してある。恋に溺れて自分を見失うようなことになって欲しくないんだ」
「お前・・・えらい自信だな。香がそれほどお前に惚れていると?」
「そうさ。だが、香は強い。自分で分かっていて、成長しようとしている」
「それは・・・よくわかっている」
「だったら口を出すな」

言いながら本当は自分の方がうんと香に惚れているのだと、獠には分かっている。離ればなれの暮らしで、誰よりも辛いのは自分だ。これまでこんなに誰かを求めたことはなかった。同時に、同世代の男たちに囲まれているであろう香を想像すると、その男どもに俺の女に手を出すなと片っ端から言って回りたいほどなのだ。それになによりも、本当に香は戻ってきてくれるのか、やはり島暮らしなどは嫌だと言い出さないか、獠のことなどもうなんとも思っていないなどと言い出さないか、心配しすぎて考えたのがエンゲージリングなのだ。束縛したくない、縛り付けたくないと思う一方で、喪うことを誰よりも怖れている。

槇村との電話を切って、急に思い立って、そのまま獠は父親に電話をした。勢いにのってしまえば、難しいことじゃない。

「久しぶり」
「どうした?」

心なしか元気のない獠に海原はそう答えた。

「オヤジ・・・俺の母親はどんな人だった?」

向き合おう、そう思いながら放置したまま時間が流れていた。だから、さらりと聞いてしまえばいいと思った。

「・・・電話でいいのか?」
「いいさ」
「名は櫻という。櫻は難しい方の字だ。・・・私がかつて愛した人だ」
「オヤジが?」
「そう。美しい人だった。教授がよく知っているよ。子供の頃からの主治医だから」

そういうことかと、獠は合点した。教授が最初から自分に親しげに接してきたのは、かつてよく知る人の息子だったからなのか。思えば、いくつも思わせぶりに教授は自分にヒントを出し続けていた。サバチョウの命名者が父親であることも、知っているのだろう。なんとなく追求するのが嫌で、あえて無視してきたのだと、改めて思った。

「そう、体がもしかして弱かったんだな」
「・・・そのとおりだ。生きた証が欲しいと、お前を望んだ」

そういうことなのかと、獠はこれも詳しく聞かずとも分かった。

「父親は?・・・いや、それはいい。俺のオヤジはただ一人でいいから」
「いや、気を使わなくていい。冴羽昌幸という、動物行動学者だった。私の親友だ。事故があって、お前が3歳のときに亡くなった」
「・・・覚えてる。いや、正確には思い出した。あの時だったんだなって」
「獠? 大丈夫か?」
「大丈夫。・・・二人は愛し合ってた?」
「深く」
「そうか・・・ありがとう。俺を息子にしてくれて」
「昌幸の想いが私に乗り移ったように生きてきた気がする。お前のことを、本当の息子と思ってるから」
「・・・」

答えない獠に、海原は問いかけた。

「もっと聞きたいことがあるなら、なんでも話そう。あの事故のことも」
「いや、それはいいんだ。知ってどうなるものでもない。・・・その人が、サバチョウの命名者?」
「そうだ。あの島に、かつてお前の父と母は二人で滞在していたんだ。まだ、お前が生まれるずっと前のことだ。日本を離れる決意をして、櫻を守ることを決意して、そんな頃に、あの鳥に名前を与えた。鳴き声が独特なんだと、あとで私に教えてくれてね。お前が生まれて獠と名付けた時、学名に自分の名を潜ませた鳥の鳴き声から息子の名を貰ったと、嬉しそうに笑っていた。あの日が来るまで、お前を櫻の分もというように、深く愛していた。強い男だった」
「・・・」

一度には受け止めきれないだろうと、海原は思う。獠は剛胆なようでいて、繊細なのだ。他人の機微に聡い分、実は自身も脆いところがある。だが、今の獠には香がいるから大丈夫なのだろうと、海原は思う。

「ところで、香さんは元気かね?」と努めて明るく問いかけた。
「この春から東京で大学院に通ってるんだ。まだ学ぶ必要があるから」
「そうか。いい女性を得たな。だが、早く結婚してくれると私もほっとするんだが」
「学生のうちは無理だ」
「あまり要求しすぎないように、大切にしてやりなさい」
「分かってる」

別れの挨拶をして電話を切った。
獠は窓の傍に立って、じっと外を見つめた。降り続く雨が庭をしとどと濡らしている。
ーーー銃声が耳奥に響くーーー身を挺して庇われた、それはよくわかっている。獠は窓の外を睨みつけたまま、きつく手を握りしめた。

冴羽昌幸と櫻という人が自分の両親なのかと改めて受け止めても、顔が思いだせるわけでなし、温もりを覚えているわけでもない。
父親の記憶はかすかにあるが母親の記憶がまるでないことの理由は分かった。確か、香も自分が生まれたときに母親を亡くしたのだと言っていたっけ。似た者同士の境遇・・・なのか。

香の声が聞きたい、そう思った。

スマホ越しに聞こえる香の声に、愛おしさがこみ上げた。

「香・・・」

いつも自信満々の獠であるのに、心無しか声が震えているように香は思った。違う、震えているのは声じゃない。獠の心だ。

「何か、あったの?」
「いや・・・香に会いたくなった。今すぐ抱きしめたい」
「・・・無理を言わないで。すぐ行ける距離じゃない」
「・・・」
「どうしちゃったの?」
「・・・オヤジから、両親のことを聞いた」

一人で、聞いたのかと香は案ずる。その時は、側にいてあげたいと思っていたのに。

「そう・・・大丈夫?」
「大丈夫じゃない。いますぐ香が欲しい」
「困らせないで。・・・週末、帰ろうか?」
「・・・・・・いや、大丈夫だ」

少し声が落ち着きを取り戻したように香は思った。

「獠? 本当に帰っても大丈夫なのよ?」
「いや、我がまま言って済まなかった。俺のが年上なのに、こんなんじゃダメだな。済まない」
「ちっとも済まなくなんか、ないよ」
「あとひと月で夏休みだろう? それまで我慢するから、大丈夫だ。香は強いな」
「そうよ、今頃気がついたの? そうだ、今度帰ったら、修論の相談に乗ってね。銀山にするか水田にするか、ちょっと迷ってるから」と、あえて明るい声で香は獠に言った。
「分かった。・・・槇ちゃんの招待状が来たんで、返事をしておいた。香も出るんだよな?」

声の調子が戻っている。獠は、大丈夫だと香は思った。

「もちろんよ」
「相手は経産省事務次官の娘さんだ。いろいろ大変だろう?」
「それがね、招待客もうんと絞ってこじんまりやるみたい。冴子さんが強引で、アニキはちっとも頭が上がらないの」

そう言って香はクスリと笑った。

「アニキがね、12月まではこの家にいろと煩いから、12月から獠のアパートに移ろうと思うの。サバちゃんも連れて行くけど、大丈夫だよね?」
「好きにしていいさ。あそこは香の家でもあるから」
「私たちの、でしょ? そうだ。昨日ね、ゼミの飲み会だったの。そうしたら、みんなに指輪のことをすごい追求されたのよ」

香の声が弾んでいるのが、獠にも嬉しい。

「指輪、してくれてるんだ」
「もちろんよ。学生にはちょっと立派すぎるけど・・・獠が、虫除けって言ってたから。だから」
「やっぱり、虫がよってくる?」
「それは内緒」
「香・・・」
「大丈夫よ。槇村香には将来を誓った相手がいるらしいって、もう噂になってるから」
「そう」
「それでいいんだよね?」
「もちろんだよ」

話しながら獠はどんどんと落ち着きを取り戻した。寂しいとか、辛いとか、そういったことをこれまで人にさらけ出したことがなかった。だけれど、香には甘えられた。声を聞いているだけで、癒される自分がいる。

「リビングにブラームスの3番のCDがあるでしょう?」
「ああ」
「あの曲、獠のお母さんが好きだった曲なんですって。良かったら、獠も聴いてみて」
「・・・そうする」
「離れていても、一人じゃないから。私はそう思ってる。だから獠も、頑張って?」
「ありがとう。なんかガキっぽくてほんとすまん」
「だから、それはいいの。でも、私はやっぱり強い獠が好き」
「そうあれるよう、努力する」
「努力なんかしなくていい。そのままの獠で、大丈夫だから」
「ありがとう、そろそろ切るよ。突然すまなかった」
「・・・おやすみなさい」
「おやすみ」

そう言って電話を切った。

同じように両親を亡くしていても、香はそれに引きずられることなく、むしろ両親に感謝して生きてきた。だからこその強さか、と獠は思う。自分は実の両親から目を逸らし、育ての親の愛に気付かぬふりをしきた。それは結局、自分自身を欺くのと同じことだ。欺いている分、その後ろめたさから理想に向かって生きようとしてきたということか。
獠は香に言われたように、ブラームスのCDをリビングで流した。物悲しいメロディー・・・響に身を委ねて母親を思い浮かべてみようとした。だが、浮かぶのは香の笑顔ばかりだ。それでいいんだと、獠は思う。物悲しく思われた旋律が、急に暖かみを増した気がした。一つ一つの音が愛されて、この楽曲が生まれたのだと獠は思う。
悲しんだり、泣いている香は想像できない。そんな顔は、俺が絶対にさせない。


ありがとう、香。お前がいてくれたら、俺は本当の意味で強くなれるのかもしれないーーー




ーーー第四十九話「輪廻 Metempsychosis」へ続く

47. 家族 Family

新宿島は黄色に輝く季節を迎えていた。
この島には固有種の植物がいくつかあるが、もっとも有名なのが冬を代表する花として知られるロウバイだった。正確にはシンジュクロウバイという。漢字で書くと蠟梅で、中国原産の落葉低木だ。梅のように枝先に黄色い花をつける。名前の通り蝋のようなカサカサした花弁で、光を通すとまるでガラスのようにそれが輝くのだった。色味の少ない冬の島の風景のそこかしこに、この黄色が輝く。種からも比較的育てやすい木ということもあってか、各戸の庭の隅に、あるいは田んぼの畦、畑の際などにもよく植えられていた。香りもよく切り花にしても日持ちする、ということで島民からは愛されている花だ。

香は職場の同僚からこのロウバイを分けてもらい、冴羽家の玄関に活けた。華やぎとほのかな甘い香りが、ここのところ心が沈みがちな香を励ましていた。
実は、香は10月の終わりにS大の院試を受け、見事合格通知を受け取っていた。浦見が修士の学生を指導している、環境科学研究科にこの春に進むことが正式に決まったのだ。香はその知らせを、少し悲しい思いで受け取っていた。やはり、島を離れるのが寂しいという思いを拭いきれないのだ。
年末年始も島にいるという香に、獠はそれぐらいはアニキのところへ帰ってやれと言うのだが、新宿島で過ごすと言って聞かないのだった。獠とて寂しくはあるが、家族の時間も大事だろうと思っているのだ。自分は父親とまるで会っていないのを棚にあげているが、香には兄を大切にして欲しいと心から願っている。

「年末年始、私は帰らないから」

そう言う香に獠はホットココアを差し出して、一口飲めと言ってダイニングテーブルで向き合った。

「香、少しは槇村のことを考えてやれ。いきなり一人暮らしになって、正月も一人ってわけにいかないだろう?」
「アニキだって子供じゃないんだから・・・それに、獠を一人にできない」

強い口調に獠は苦笑する。

「俺のことはいいから。アニキに顔を見せに行ってやれ」
「春からまた一緒に暮らすんだから、いいの」
「香・・・あまり困らせないでくれ。俺も槇村に申し訳が立たないだろう?」
「・・・だったら、獠も一緒にうちに行こう? ね?」
「それはダメだ。仕事があるから、俺はここを離れられない」

本当は仕事のシフトなどどうとでもなるが、獠はそう答えた。それに、この冬はやけに鳥インフルルエンザの流行が早く、しかも全国的拡大を見せているのも心配だった。春から実は、感染防止/拡大防止マニュアルを何度も改訂してきていて、まさかの時に備えてはいる。だが、獠はこういったマニュアルを実はあまり信用しておらず、万が一の時は自分がまずは実践して、マニュアルの穴を確認する必要があると考えていた。だから、この冬の間はよっぽどのことがない限り、島を開けるわけにはいかないと獠は思っている。

香の意志がなかなか変わらないまま、日々が過ぎて行く。クリスマスも間近になった頃の早朝というにはまだ早い時間、ベッド脇の獠のスマホが鳴った。まだ眠りの中にいた獠は、腕枕を急いで外してスマホを手にとり、慌てて受話ボタンを押した。センターからの着信なのだ。悪い予感が嫌でもした。

「・・・わかった。すぐに行く。現状のままにしておいて、絶対に手を触れないように。そして、誰も近付かないように。寒いところ悪いが、誰か見張りに立てておいてくれ。保健所には俺が連絡しよう」

口頭でいわずともすべてマニュアル通りだが、獠は念のためにそう指示を出した。
早朝というか深夜、野菜の収穫に向かっていた農家の軽トラが、保護センター近くで鳥が死んでいるのを発見し、急ぎ、通報してくれたとのことだった。一刻を争う事態だと獠にもわかっているが、経験の少ない人間に処理を任せられないと思っている。

香が身体を起こした。

「すまない。起こしたか? 緊急事態なんだ。香はまだ寝ていていいから」

珍しく慌てている獠に、香は努めて冷静に声をかけた。

「どうしたの?」
「マナヅルが施設の近くで死んでいるそうだ」

通報を受けた当直スタッフが、懐中電灯片手に現場に急行し、とりあえず死んでいるのがサバチョウではないことは確認し、外見からおそらくマナヅルではないかと獠に報告していた。

「それって、まさか」

香も獠から話は聞いてきたことなのですぐに分かった。鳥インフルエンザが島で発生することがあるとしたら、渡り鳥である可能性が一番高い、と。
獠は心を落ち着けるため、自分に言い聞かせるように言った。

「即断は禁物だ。これから状況を確認するから」

香はすぐに起き出して、急いでお湯を沸かして手近なティーパックで紅茶をマグカップに作って、着替えの終わった獠に差し出した。

「朝ごはん、研究室のドアにかけとくから、ちゃんと食べて」
「無理しないでいい。1日、どうなるかわからん。研究室に戻るヒマもないかもだから」
「慌てないで。準備はできてる、そうでしょう?」

そうだった。いざという時の感染拡大の防止マニュアルは獠自身が何度もシミュレーションし、何度も確認したのだった。香に言われて、一つ息をした。

「・・・ありがとう、香」

獠は左手で香の腰を抱き寄せ、軽く口付けた。

「行ってくる」
「行ってらっしゃい」

午前4時、獠のクーパーは保護センターに向かっている。この事態に及んで、そろそろ、サバチョウを他の場所で繁殖させる時がきたのかと、獠は思う。 
この島の固有種を外に出すことに躊躇はあるが、飼育・繁殖方法はすでにこのセンターで確立している。将来的なリスクを考えると、種の保存のためにどこか別の場所で繁殖させておくということも、必要なのかもしれない。
そもそも生物には、遺伝的撹乱というものが実は必要だ。サバチョウの場合、ほぼ一系統しか遺伝系統がないことが確認されており、撹乱が起こっていない時間が長くなっている。「ほぼ」というのは、もともと複数の系統であったものが、一つの系統にまとまってきていると推定されているのだ。よそで繁殖させることで、多少の揺らぎを生み出すことができるかもしれないと、獠は考えてもいる。
だが、今はそんなことよりもマナヅルだ。

通常、鳥インフル疑いの案件は保健所が処理することになっている。だが、サバチョウ保護センターとその近隣については、センター内の鳥の保護という観点から、全面的にセンターに対応が任されている。自然下のサバチョウについても、罹患が疑われる事例があれば、やはり獠たちが対応にあたる。天然記念物ということで、そういった特例が認められているのだった。

獠がでかけたあと、香は米を研いで御飯を炊いた。
この冬、何度か鳥インフルエンザのニュースを聞いて、香はサバチョウは大丈夫なのかと獠にも問うたのだ。いよいよ危ないんで、色々考えているーーー
そんな話をしたばかりなのだ。
獠は自然相手に戦っている。改めて香はそう思った。そうして、いつも現場のすべての責任は、一義的には自分にあるというのを口癖にしている獠を案ずる。獠は研究主幹であるから、もちろん責任が軽いわけではない。だけれど所長がいるのに・・・と香は時折思ってきた。だが、立場を超えて自由な活動を獠に許しているのは、まぎれもなく川島所長その人なのだ。獠はそのことを重く受け止めて、ルールを破るからにはそれなりの合理性を保ち、成果をあげるということを信条としている。同時に、最後の最後の責任を所長になすりつけてはいけないという、強い思いがあるのだ。香はそういう獠の生き方が好きだと思う。自分を誤摩化さず、他人におもねらず、まっすぐに理想に突き進んでいるのだろう。リスクを怖れず、もしも逆境にあってもそれを跳ね返す、その強さが、香を引き付ける魅力でもあるのだ。

香は魔法瓶に暖かいお茶を入れる。炊きあがったご飯でお握りを作った。爪楊枝で食べられるように、鶏唐揚げと卵焼きを添えた。小さなトートババックにお弁当をつめて、時計を見た。出勤前にサバチョウ保護センターに寄って、朝ご飯を届けようと思う。場合によってはお昼ご飯にもなるようにと、お握りは少し多めに用意した。

***


センターに到着した獠を、川島所長が出迎えてた。

「冴羽君、朝早くから済まない」

そう獠に声をかける所長に、大丈夫だから任せてくださいというように頷きかける。最悪でも、保護センター内のサバチョウは絶対に守らなければならないのだ。もしもセンター内で感染が起これば、すべて処分という道しかない。それはなにがなんでも避けなければならない。そのための感染拡大防止マニュアルなのだ。
獠は一つ大きな息をして、ディスポーザルの防護服を身に着けながら、防護テントの設営の指示を出す。検体を回収して別の場所で調査するという方法を獠はとらない。死骸のある場所ですべて完了させるという方針だった。移動自体が最大のリスクなのだ。

インフルエンザ陽性かどうかの検査は獠にはできないので、血液サンプルをとって保健所に送る手はずだ。その他に、解剖をしてすべての臓器のサンプルをとる。同時に死亡原因の特定を進めるのだ。
テントに入って一目見て、問題の検体が非常に美しい状態であることに、獠はひとまず安堵していた。初期の報告の通り、マナヅルに間違いない。イタチや猫にイタズラされたりトンビなどに突かれていると、そこからの島内の他の動物への感染を警戒しなければならないからだ。早朝とも言えない暗い時間に通報してくれた農家さんに、感謝せねばと獠は思う。陽が高くなれば、カラスやトンビが見逃さなかったことだろう。

解剖の補助には麗香が立った。彼女は年明けて1月末で退職し、この島を離れることになっている。冬のはじめに、獠の部屋を再び訪れ、春から心機一転西九条鳥類研究所で頑張ろうと思うと話していた。獠のことがどうということではなく、研究所で頑張ってみたいと思ったからと気丈に言う麗香に、それでこそ野上麗香だと獠は心の中でエールを送った。

作業がすべて終わったのは、8時を少し過ぎた頃だった。獠の所見では死亡原因はウィルス性の腸炎だと思われた。死後間もない解剖で、病変を肉眼で比較的明確に確認できたのだ。すべて写真に収め、獠はひとまず安堵している。あとは血液検査の結果だ。この日はセンターは念のため、一般見学客の受け入れを中止することになっていた。

検体やディスポの防護服、解剖に使った簡易メスはバイオハザード扱いのボックスに密閉して、これはセンター内で行なっている通常方法の処理に委ねる。防護テントを次亜塩素酸ナトリウムで消毒して完了だ。道路の一部を塞いで、こういった物々しい作業をしていたわけで、付近を通行する車は速度を緩めながら様子を窺っていた。何事かが起こったと近隣に知れ渡るのも時間の問題だろう。

獠は川島所長に、鳥インフルではない可能性があることを告げて、居室に戻った。ドアにトートバッグがぶら下げられている。覗くと、おつかれさまですというメモ書きとともに弁当箱が納められている。自分で描いたのだろう、香の笑顔の似顔絵が添えられていてピースサインとハートマークも書かれている。獠は緊張が一気に緩んで、デスクチェアに座り込んだ。

カップに暖かい茶を注いで飲むと、さらに気持ちが落ち着いた。
たとえ陽性という結果が出ても、おそらくマナヅル一羽で終わっているはずだと獠は思う。そもそもこの島はマナヅルの越冬地ではない。偶然、弱った一羽がこの島にたどり着いた、そういうことだろうと獠は予想している。ならば封じ込められたはずだ。

香の心遣いで朝食にして、獠はひたすら保健所からの連絡を待った。血液サンプルを運んだ麗香から連絡が入ったのは10時半のことだった。

「ネガティブでした。間違いなく」
「ありがとう。麗香も疲れたろう。今日は休んでもいいぞ?」
「いえ、これから戻ります。ほっとしました」
「俺もだ」
「保健所が一応、島内を巡回してくれるそうです。他に同じような例がないか」
「分かった」

獠は立ち上がって部屋を出て、所長室に向かってドアをノックした。中から入るように声がかかる。

「鳥インフルでない、で間違いないようだ」と川島所長に報告した。
「そうか。ひとまず安心した。で、どうかね?」

「対応マニュアルですか?」と獠が答えると、そうだという風に所長は頷いた。獠は所長のデスクの前におかれている応接セットに腰掛けて、両手を組んだ。

「今回は通報が早かったので、なんとかなった。問題は通報が遅れた場合かと」
「だが、こればかりはどうしようもない」
「あとで通報者に礼に行ってきます。丁寧な対応をすることで、協力者が増えるかもしれない」
「私が行こうか?」
「いえ、俺が行ってきます。農家の人と少し話もしたいので」
「そうか。頼んだよ。マニュアルは他は問題ないということで、よいのかな?」
「概ね。ただし、解剖時に病理所見を出せる人間が、俺以外にもいるといいのだが」
「私がいる」
「所長が?」
「いざという時は、私も働こう」
「ありがとうございます。だが、それとは別にやはりスタッフを増やしたい。麗香も抜けるし、思いきって3人ぐらい専門家を増やせないだろうか?」
「島だからねぇ。人材問題は深刻だ・・・大学院生をインターン的にリクルートするかどうだろう?」
「それもいいかもしれない。OJTみたいな感じで短期間でも来てくれると、人材教育も得意な保護センターで名が売れるかもしれない」
「君はなかなかスパルタ教育っぽいが、大丈夫かね?」

所長は笑いながら言った。獠は、自分と同レベルを他人に求めるタイプではないが、求めるものが高いのは事実なのだから。

「かわいいモッコリちゃんなら、俺も優しくできる」

そう言う獠に川島は苦笑する。

「そういうことを言っていると、キミの大事な彼女が泣くんじゃないかね?」
「嫉妬もスパイスのうちですから」
「あまり過ぎると、フラれてしまうぞ?」
「そこはうまい塩梅でやってます」
「そうか。神さんも一安心だろう。もう2年も前に、キミの結婚を予言してたがね」
「・・・オヤジはなんだか気が早いんだ。それに、まだまだ現役で頑張ってもらいたいのに、後継者を気にしている」

跡継ぎは孫に託す言った海原神の言葉を川島は覚えていたが、口には出さなかった。だが、話ながら獠の雰囲気がぐんと変わったことに、やはり気がついていた。特に他人を論理的に説き伏せる時に、鋭利なナイフを思わせる鋭さだったのが、何か人なつこくなっている。サバトピア構想で今後は農家との関係を築くのだという報告を川島は獠から受けていたが、この雰囲気であれば大丈夫かと思ったのだった。切れるナイフでは、のんびりとした農家の懐には飛び込んでいけないのではと、少し案じてもいた川島なのだった。

「スタッフの増員は、公募を全国に出すように私の方で手配しよう。OJTについても、全国の大学に告知するよう手配する」
「OJTを簡単に言いますが、制度も仕組みもなんにもまだないですよ?」
「それはキミの腕の見せ所だろう。スキーム構築は得意だろ? 任せたから」

そう言う川島に獠は苦笑するが、実際、獠の得意とするところでもあるのだ。

所長室を出て自分の部屋に戻ると、獠はスマホを取り出してメッセージを香に送った。

ー朝ご飯、ごちそうさん。インフルではなかったから、安心してくれ。今日はいつもの時間には帰れると思う。
ーよかった。午後もお仕事頑張って
ー香もほどほどに頑張れよ

獠はスマホをポケットに戻してデスクチェアに腰掛けた。
もう、香とは家族も同然なのだと獠は思っている。二人で眠ることも、食事をすることも、こうやって気軽に連絡することも、こんなにも自然で当たり前と思える人に出会えたことが、獠は時々信じられない気がするのだ。
幼い頃から、なんとなく借り物のような道を歩いていた。良い子を演じたつもりはなかったが、他人に干渉するのも干渉されるのも嫌で、心から何かを求めたことがなかった。正確に言えば、何を求めても本当に欲しいものは手に入れることなどできないのだと、それをどこかで怖れていた。だが、香はそのすべてを自分に与えてくれる気が、獠にはしているのだった。

獠はパソコンを立ち上げ、プレスリリース原稿を書き始めた。施設近くで野鳥の死骸が見つかったが、腸炎に由来する自然死で鳥インフルエンザではなかったこと、だが、今後とも動物の死骸を見かけた時には不用意に近寄らず、感染拡大防止に島民の皆さんの協力を願う、そのような内容でまとめて広報に流した。

夜は少し早めに帰宅すると、香がリビングで待っていて、両腕を獠の身体にまわしてふわりと抱きしめた。

「お帰りなさい。大事にならずによかった。朝早かったから、疲れたでしょう?」と胸におでこを押し当てたまま言った。

「これからもこんなことはあるだろうから、良い訓練になったよ」
「うん・・・わたし、年末から東京に帰ります。獠を困らせたくないから」
「そうか。槇村も喜ぶよ」
「獠は一人で大丈夫?」
「大丈夫だ。離れていても、香がいてくれるから」
「サバちゃんはどうする? 私が連れて帰ってもいいけど」
「いや、長距離移動は可哀想だ。俺が面倒を見るよ」
「よろしくお願いします。三が日のうちに帰ってくるから」

香は本当は獠とずっと過ごしたいと思っている。離れるのが寂しいのだ。アニキとは家族の絆があるから会わなくて大丈夫と思っていた香だが、この日一日考えて、獠の意見に従うことにしたのだった。獠は何事にも手を抜かず、真剣に生きている。その獠の側にいて、一次の甘えで生活スタイルを変えてはダメだ、と香は思ったのだ。今の二人はいわゆる同棲生活なわけで、それなりのケジメというのはつけなけらばならない。兄にも今の状況をちゃんと話さなければと香は思い始めていた。あまりに自然に二人の生活になったが、見ようによっては結婚もしていない二人がと苦い顔をする人もいることだろう。春から大学院に進むことは電話では話したが、ちゃんと顔を見て伝える必要もあるだろう。

獠は香に抱きつかれたまましばらくそのままでいて、首筋に顔を埋めた。

「そろそろ、解放してもらっていい? このままだとお帰りのキスもできないから」

そう優しい声で耳元で囁かれると、香は胸の奥がキュンとなるのだ。だから回した腕に力を込めて、背伸びするようにして、獠の唇に自分のそれを軽く押し当てて、すぐに離れた。そうしてさらに腕に力を込めて獠の胸に顔を埋めた。

「香・・・どうした? 今日はずいぶん甘えん坊さんだな」
「なんとなく・・・」
「そっか。晩ご飯食べて、それから思う存分イチャイチャしよう。今日はサバちゃんは一階でお休みいただく。それでいい?」

香はこくりと頷いた。
キムチチゲをつつきながら、獠はクリスマスプレゼントは何が欲しい? と香に訊ねた。直球な質問に香は小首をかしげた。
「・・・サプライズとかって発想・・・ないの?」と香は答える。
「だって、香の気に入るものを贈りたいだろう? 使わないものを贈っても仕方ない」
「なんか・・・獠ってすごく現実的だよね」
「リアリストであることは認める。ダメか?」
「いいえ。それが獠だから、それでいい。でもサプライズも嬉しいものだから」
「覚えておこう。で、何が欲しい?」
「・・・なんにも。獠と過ごせたらそれでいい」

香の答えに欲がないなぁと獠は苦笑する。そんなんじゃ、サプライズもできないと思うが、少し思うところはあった。香が続けた。

「だって、車まで買ってもらって、それ以上なんてないでしょう?」
「買ってやったわけじゃない。俺の持ち物を貸してるだけだ。そこは間違えるなよ?」

香は獠の言葉に、でも、実際には買ってもらったのと同じだと零す。
夫婦になってしまえば、香にこんな気を使わせることなどないのに、と獠は思う。だが、まだそれはダメだ。自分にとっても香にとっても、今は正念場なのだ。夫婦で乗り越えるべき時では、まだないと獠は思っている。

博物館については、国会の予算委員会での概算要求が通り、まだしばらくの調査が必要ということで、歴博とS大の共同チームが、来年度から縄文遺跡の本格的調査に入ることになっている。銀山跡に接するということで、こちらは付随した史跡として、やはり別の調査チームが作られている。K大総長は博物館分館に里山ミュージアムの性格を持たせたいという獠の案に、非常に共感を示していた。人類の歴史をひも解きながら、現代の生態系の問題に切り込んで行ける画期的な博物館にすべきだと、総長自身が他の構想委員会のメンバーを説き伏せたほどだった。であるから、時間がかかっても獠が目指す博物館は、形作られていくという手応えを獠は得ている。

問題はむしろ農協の説得だった。年が明けてすぐに、福井と兵庫から講演者を呼んでいて、まずは勉強会のような形からスタートしようと獠は心づもりいている。結城礼子に依頼していた計算については、結果は概ね満足いくもので、島内で堆肥を自給できるめどは、数字の上ではなんとかたっているのが、こちらも一筋縄でいかない課題を多く抱えている。一つずつ解決していくしかない、そう獠は思っている。

食事を終えて、順番に風呂を使った。獠は一緒に入ろうと香に言うのだが、やはり香は恥ずかしいから嫌だと言って聞かないのだった。獠はベッドの背もたれに背を預け、本を読みながら香を待っている。本当は風呂でもイチャイチャしたい獠なのだが、風呂上がりの香を組み敷くのも実は獠は楽しんでもいる。
ますます美しくなる香ーーー春から大学に戻ったら、キャンパスの花となることだろう。そんじょそこらの男に負けるとは獠は思わないが、不安も隠せないのは事実だった。年末年始に実家に帰すことぐらいはなんの心配もないが、その先に待っている2年は長いと獠にも分かっている。香が心変わりしないとも限らないーーーそれでも、おのれは香を追いかけるのだ。香しか、自分にはいないのだとそう思う。
香が階段をあがってくる気配に、獠は読んでいた本を閉じてサイドテーブルに置いた。

香を抱き寄せるとふわりとローズの香りがする。

「いい香りだ。バスソルト?」

香がこくりと頷く。

「ちょっと考えたんだけどさ、クリスマス、ホテルでもとる?」
「ホテル?」
「豪華なとこ。たまには場所が変えてもいいだろう?」
「いいよ、もったいない。それに、今から予約なんて無理でしょう?」
「そっかもな。すまない。要領悪くて」
「ここで二人で過ごせれば、それでいいから」
「世の中の恋人みたいに、ロクにデートもできずに済まないと思ってる」
「そんなの、考えたことがなかった。世の中の普通なんて関係ないもの」
「香は時々、俺が言いたいことをそのまま言ってくれるんだな」
「・・・いつも、一緒にいるから・・・かな」

香が恥ずかしそうに俯いた。

二人はこうやって体を寄せ合って毎日を過ごすのだ。それはまるで、あたかもずっと昔からそうであったように。
もう、そうでない人生など、考えられないと二人は思っている。



ーーー続く

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プロフィール

サバ猫

Author:サバ猫
サバ猫です。
2015年秋、突然CH中毒になりました。
サエバスキーです。
冴羽獠の精神を辿る旅をしながら、幸せな冴羽一家を構築中。

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